OEDO[3-1]予想される反論への反論
平和ボケのお花畑──こう罵られたまま、非武装主義の平和論者たちは何も反論できません。「対話による解決」位しか言い返せず、議論は平行線を辿るばかり。見てられません。肩を持つ訳ではありませんが「地球防衛隊」も非武装という点では同じです。代わりに反論してみましょう。
大事なお花畑を踏み荒らす際に使われるのが「鍵掛け論法」と言うべきか「空き巣理論」と呼ぶべきか──自衛を防犯に喩えた稚拙な比喩です。SNS上における短文の応酬でもよく見かけますし、時には有名人や学者まで口にしたりするので、その短絡さにはまったく辟易してしまいます。
彼らは軍備を正当化するために、「国の防衛」を「家の防犯」に喩えます。泥棒や強盗に侵入され財産や命を奪われないようにする最低限あたりまえの措置だと主張します。反撃能力を持たずして強盗に襲われた時、どうやって自分や家族を守るのか、話し合いが通じる相手なのかと煽り立てます。
聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい稚拙な喩えなのですが、護憲派の平和主義者たちも何ら有効な反論が返せないようです。反論されないから専門家から素人まで、口を揃えて大合唱するんでしょうね。しかし国家間の戦争というものは、そんな単純な図式にはありません。
その比喩に2つの設定を足してあげれば分かります。カメラと生体認証です。喩え鍵や武器がなくても、どんな死角も許さない万全の防犯カメラと、生体認証による国民総背番号制の監視、追跡装置を付けてやれば良いのです。要はどちらも「身バレ」装置なのですが、防犯効果は劇的に上がります。
自分の住所も行動も完全に把握されていれば、まともな人物は決して犯罪を起こそうとはしません。鍵のない家に侵入する空き巣も強盗も、自分がアノニマスだからこそ犯罪に走れるのです。お天道様の下で悪事は働けません。そして国家というものは、ローグネイションと言えども全て身バレしています。
その所在も明らかだし、指導者の顔も名前も知れ渡っています。どんな軍事行動を起こしても、瞬時に知れるどころか、ニュースとなって世界中を駆け巡ります。お花畑論者の人にぜひ聞いてみたいところです。自分が顔の知れた著名人だったとしても、鍵の掛かってない家があったら盗みに入りますか──と。
警察なんて存在しなくても、世間の目というものはそれ以上に手強い防衛システムになり得ます。戦争の場合、国際世論がそれにあたります。しかも相手は国家という集団。個人の中でも良心と悪の心がせめぎ合うことがあるように、どんな国にも平和を愛する人、良心を持つ人は必ず存在します。
「地球防衛隊」はただ、武器を捨てるだけではありません。実際の平和活動とメディアの力で世界中に(仮想敵国にも有無を言わさず)、その良心を植え付けていくのです。そんな正義の国家のお花畑に、コソ泥が土足で入れる訳がありません。それ以上に、彼らの心にこそ、花を植えてあげるのです。
「地球防衛隊」のアイコンをクマノミにしたのは、単純にレスキューカラーのオレンジからの連想です。「ウルトラ警備隊」を筆頭に、ヒーロー界で定番の色だから──というだけの理由です。こだわりはありません。「地球防衛隊」が実現された暁には、皆さんで好きに隊服の色は決めて下さい。
しかしその背景をイソギンチャク、英語でSea Anemone(シーアネモネ)にしたのは、その刺胞毒による防御力ゆえです。さらには攻撃するお花畑をも象徴しています。既にレッドオーシャンとなった軍需産業ではなく、人命救助産業という青い海にその株を増殖させ、世界を覆うお花畑となるのです。
夢物語のように思われるかもしれません。しかしあれだけ世界中が躍起になっていた植民地の奪い合いや、熱を上げていた共産主義が下火になった歴史を振り返れば、無理な話ではないでしょう。世界の価値観というのは半世紀もあれば逆転できるのです。矮小な「鍵掛け論法」や「空き巣理論」に付き合うのはもうやめにしましょう。
それでも絡んでくるお花畑論者がいたら、ヤクザや暴力団に喩えてみてはどうでしょう。「防犯のためにSECOMをつけるだろ、沖縄に自衛隊基地を置くのも同じだ」と右派・軍拡主義者は仰いますが、とんでもありません。
戦争を呼び込みかねない自衛隊基地を近隣に設置することなど、自宅の空き部屋をヤクザの事務所に貸し出すようなものです。「俺たちが守ってやるからよ!」と言われても、対立する組との闘争に巻き込まれかねません。だから分別ある沖縄の人たちは反対するのです。
一方逆に「地球防衛隊」というのは、武装していた組が戦争から足を洗い、カタギになるようなもの。国家とは所在や構成員まで把握されている「組」同然ですから、こう喩えた方が、ずっと現実に近いはずです。
あとは皆さん勝手にやってください。残ったシノギ(軍需産業)もどうぞ皆さんで削り合ってください。ウチは今日から改心して、子ども食堂を始めます、介護ボランティアを始めます──そんな組にわざわざ危険を犯してカチコミをかけてくる暴力団はいないでしょう。
昔と比べれば街から不良は減り、暴力団もすっかり斜陽産業になりました。かつては「不死身の龍」として鳴らした男も「俺はもう足を洗った。今は専業主夫や。俺は俺のやり方で家族(シマ)を守っとる。暴力では大切なもんは守れへん」と悟っています。戦争もそろそろ盃を返していい頃です。
※最後までお読み頂きありがとうございます。この「地球防衛隊」全体の構想は最初の投稿「OEDO[0-0]地球防衛隊法案──概論」にまとめています。それ以降の章は、この章も含めて、その詳細を小分けして説明する内容になっております。
第一部[1-1]〜[1-9]では「戦争観のアップデート」について。第二部[2-1]〜[2-9]では「地球防衛隊の活動と効用」について。第三部[3-1]〜[3-9]では「予想される反論への返答」について。第四部[4-1]〜[4-9]では「地球防衛隊に至る思想的背景」についてを綴って行く予定です。
敢えて辛辣に、挑発的に書いている箇所もありますが、真剣に日本の未来を危惧し、明るいものに変えたいとの願いで執筆に励んでいます。「スキ♡」「フォロー」や拡散のほど、お願いいたします。批判、反論のコメントも大歓迎です。