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ワーママ心理職、適応障害になる

こんにちは、りんです。
タイトルの通り、2024年の7月に適応障害を発症しました。
今は通院をしながら少しずつ療養をしています。

発症時から現在までの様子を記録に残してみたいと思います。

適応障害とは

私は、2024年の7月上旬から中旬にかけて内科と精神科を受診し、適応障害と診断されました。

主治医からは、急激な環境の変化と慢性的な寝不足が重なって調子を崩してしまったのだろうと言われました。

適応障害は、このように説明されています。

日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいう。

日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態をいいます。ストレスの原因が明確であることが定義上重要となります。

症状はゆううつな気分、不安感、頭痛、不眠など、人によって様々ですが、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらは一般的には正常な人にも現れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

治療にはまず原因となっているストレスを軽減し、心理的に回復させることが必要です。また、場合によっては薬物療法が必要なこともあります。

適応障害 | e-ヘルスネット(厚生労働省) (mhlw.go.jp)

一応私は心理職なので、体調が悪いながらも、自分のことをモニターする自分の存在も感じていました。
受診前は、「ああ、診断がつくならこれかな…」、「この検査ではこれくらいの数値になるかな…」とぼんやり考えていました。

精神科ではSDSという、抑うつの状態をみる検査を実施していただいたのですが、自分の予想よりも重い程度であったので少し驚きました。

が、それくらい追い込まれていたのだなということも自覚することができました。

嵐のような生活と夜泣き

主治医の見立てでは、急激な環境の変化と慢性的な寝不足が重なって発症したのではないかということでした。

この数か月の間、我が家はさまざまなライフイベントを経験しました。
それは自分が思う以上に、負担のかかるものだったのだろうなと振り返っています。
詳しくはこちらに記事を書いてみましたのでよかったらご覧ください。

そして、我が家の次男は0歳のときから夜に4~5回夜泣きをしていました。
生まれてからこのかた、1度も夜通し眠ることはなかったのです。

「2人目は1人目より寝るよ」とよく励まされていましたが、そんなことはなく、寝ない長男以上に寝ない赤ちゃんでした。

必然的に私も眠れない毎日を過ごしており、夜間4~5回の夜泣き対応(ほぼ徹夜状態)をした後に子どもたちを保育園に送り、そのまま慣れない仕事に行くという生活を1か月ほど続けていました。

夫も転勤したばかりで新しい職場に慣れることに必死で、夫婦ともに限界を感じていました。

【1週目】倒れる

新しい仕事に就いて1か月が経っていました。
その日は週休日(週4勤務で平日に1日休みがあります)で貴重な平日の休みでした。
週休日は、毎週とにかくたまった家事や食材の買い出しに追われます。
できていない家事をやっつけ、何とか日々の帳尻を合わせる日でした。

この日は、なぜか身体が疲れているなと思って30分ほど昼寝をしました。

しかし、目が覚めた後もなかなか起き上がれないのです。身体が鉛のように重く、全くコントロールが効きません。
そのときは「疲れが溜まっちゃったかな…」と思っていましたが、もう身体は限界を迎えていました。

翌日、たまたま職場で上司との面談があったのですが、その場でもずっと涙を流しており、すぐに自宅で休むように指示を受けました。
それから病休に入りました。

土日は本当に大変でした。(夫が)
まるで使い物にならない、起き上がれない妻+元気すぎる3歳と1歳の男児のお世話をしなければいけない状況です。

夫もこれは緊急事態だということで、飛行機の距離に住む義母に連絡し、こちらに来てもらうことにしました。

幸い、義母は仕事を現在しておらず、大きな予定等も入っていなかったので、翌週の月曜日にこちらに来てくれました。

【2週目】寝たきりの毎日

この週は、食事とトイレ以外ほとんど寝室のマットレスで横になっていました。
朝、子どもたちを夫が保育園に送った後に義母が作ってくれた朝食を食べ、そのまま寝室で2時間眠りました。
お昼も昼食を食べた後はそのまま2~3時間眠っていました。

これまで眠れなかった時間を取り戻すように、昏々と眠っていました。

そしてベッドに横になりながら常に涙を流している状態で、子どもたちともほとんど関わることができていませんでした。

ただ、次男の夜泣きはまだ続いていたので、それは自分が対応しました。

表情は全くなく、能面のような顔で過ごしていました。

一刻も早く病院を受診して服薬したい思いがありましたが、島唯一の精神科の初診は「数週間待ちになります」と言われました。

夫の地元に一旦戻って受診するか、など夫と義母を話をしましたが、当時はもう起き上がるのもやっとの状態でした。
この状態で義実家(船と飛行機で移動しなければならない)に行くのは無理だろうと思い、島内で治療をすることにしました。

精神科の予診の予約は取ることができたので、それまでは一般の内科クリニックを受診し、安定剤と睡眠導入剤を処方していただきました。

その後、精神科の予診を受け、当時は緊急性が高いだろうと判断されその翌日に受診をすることができました。

夫とともに受診し、お薬を使いながら療養することになりました。

【3週目】少しずつ起き上がれるようになる

朝も昼も寝込む生活はまだ続きます。

しかし、安定剤を処方してもらったことで、抑うつ感は改善し、ずっと涙を流すことはなくなってきました。

とにかく子どもたちが保育園に行っている間にまとまって眠ることを意識しました。
義母の栄養療法のおかげで、栄養と睡眠をしっかり確保することができました。

そして2週間滞在してくれた義母は、義実家に帰っていったのでした。
(本当にありがとうございました…!!)



【4週目】少しずつ家事や読書ができるようになる

義母が義実家に戻り、家族だけの生活がスタートしました。
朝の身体のだるさは、まだ強く残っています。

朝はこれまでと同様2時間は眠っていましたが、午後から近所のスーパーに行ったりすることができるようになりました。

また、今まで全くメイクをすることができなかったのですが、ファンデを塗ったり眉を書いたりといった簡単なメイク作業ができるようになってきました。

また、日中本を読めるようになってきました。
このころは、Xでよくつぶやいていたので、その投稿を載せてみます。


【5週目】何かをやりたいが体力がついていかいない


少しずつ日常生活を取り戻すことができ、やってみたいことが出てきました。
noteを書いてみたり、学会に参加したいという意欲が出てき始めた時期です。


一方で、特に休日は元気いっぱいの息子たちと過ごすのに疲弊してしまい、まだまだ体力は戻っていないことを自覚しました。

一番辛いのはやはり朝。
朝がしっかり動けるようになるのが自分にとっての回復のサインだと感じます。


ワーママ心理職が適応障害を経験して

発症から現在までの記録は、ここで一旦終わりたいと思います。

今回初めて適応障害を発症しましたが、身体も心も本当にしんどかったです。
特に辛かったのは、何気ない毎日を送ることさえままならなくなること。

これまでは、多少気分が落ち込んでも、生活を営むことは何とかできていました。

しかし、今回は極度のだるさが身体にまとわりつき、脳の働きもかなり抑制され、本当に何もできませんでした。
人として生活をすることは、こんなに重労働なのか…と途方に暮れたことを覚えています。

また、今回記録をしてみると、産褥期の床上げの経過と似ているなとも感じました。

私は、長男のときも次男のときも、里帰りはせず、夫の育休も一切ありませんでした。
退院後からフル稼働で毎日動き続けていました。

産褥期は6~8週間かけて、出産で大ダメージを負った身体を回復させていく時期です。産院でも、この1か月は赤ちゃんのお世話だけをして、あとは家事などせず横になっているように指導されます。
しかし産後の私は、この大切な時期にも目を向けずに身体を酷使してしまっていました。

今回、適応障害を発症し療養をする過程は、産後の床上げをやり直しているように思えました。

まずは十分な睡眠と栄養の確保。

基本中の基本ですが、あらためてこの2つは死守していかないといけないなと感じたのでした。

また思い出すことがあれば、追記していきたいと思います。


今回もお読みいただきありがとうございました。
皆さんの心身が、どうか健やかでありますように。





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