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双極症 と 戦争について

SNSで「障がい者は戦争に行かなくて済む」といった書き込みを見ました。
わたしは「自分の状況を前向きに捉えている一つの表れである」と肯定的に捉えている一方で、双極症を抱えた人の心境が複雑に投影されていると考えます。「戦争に行かなくて済む」について、深堀していきたいと思います。


「戦争に行かなくて済む」について


■自己防衛や自己肯定

障害を持つことで社会的な制約や苦しみを感じる一方、その状況に何らかの「特権的」側面を見出そうとする心理かもしれません。障害を持つことで失ったものを補完しようとする無意識の防衛反応や、自分の立場を肯定的に捉えようとする努力と言えるかもしれません。


■世の中に対する諦めや皮肉

世間に対するある種の皮肉や、障害を抱えた自分と健常者との立場の違いを冷静に捉えている側面もあります。健常者が通常背負うべきとされる責任や義務から自分は外れている、ということをある意味で達観した視点で表現しているのかもしれません。


■社会的な疎外感の表れ

障害を持つことで「社会の外にいる」と感じている孤独や疎外感が込められている可能性もあります。「戦争に行かなくても済む」というのは、社会の主要な出来事や義務から距離を置かれる立場にあることを指しているとも取れます。


■戦争を象徴としている可能性

「戦争」は単なる比喩であり、一般的な社会生活や競争、努力、成功といったものを象徴している可能性があります。双極症を抱えていると、社会的なプレッシャーや期待を達成することが困難に感じられる場合があります。そのため、この言葉は「自分はそうした競争社会から除外される立場にいる」という感覚の表明とも考えられます。


■二面性を持つ感情の可能性

安堵感と同時に悲哀も含まれているかもしれません。戦争という恐ろしい事態から免除されることは一見ポジティブですが、同時に「社会の一員としての役割を果たせない」という思いを抱いている可能性もあります。



一見シンプルな発言ですがそこには障害を抱えることへの葛藤、社会に対する思い、そして自分自身を受け入れるための努力が複雑に絡み合っているように思えます。


どのような思いでこの発言をしたかは分かりませんが、自分だったらどこに当てはまるのか、と考えてみました。自分がこの発言をするなら「障害に対するネガティブな感情」があるかもしれません。



現実に無理に向き合おうとすると、心が疲れてしまうこともあります。情報過多になったり、気持ちが沈んでしまうこともあるので、バランスを取りながら関心を持ち続けることが大切だということは、戦争も双極症も同じかもしれません。個人的に、戦争と双極症が似ている点について考えてみました(不謹慎な話ですね)。


戦争を忘れないためにできること


■情報を得ること:

定期的に信頼できるメディアで国際情勢に関するニュースをチェックすることで、世界の現状を意識することができます。戦争や紛争が起きている地域や人々の状況について知ることで、少しでも理解を深めることができます。


■寄付や支援活動(つながり):

戦争や紛争で影響を受けている地域に支援を送ることは、具体的な行動として意味があります。難民や戦争被害者に対して、募金やボランティア活動を通じて支援することができます。


■心を寄せること:

できる範囲で戦争や紛争に関心を持ち周囲にその現実を伝えることで、少しずつ意識を広げることができます。周囲との会話の中で、世界の情勢について話し合うことも有効です。少しでも理解を深める努力を続けることが、平和を大切にするために重要なことです。


戦争が続く限り多くの人々が命を落とし、避難民や難民として生きることを強いられています。双極症についても「現実」を認識し続け、私たちができる行動を見出していけたらと個人的に思いました。非常に重いテーマとなってしまいましたが、すべての人々が平和で安全な生活を送れるようになったらいいな、と思います。ありがとうございました。


脱線し過ぎだと思った方、戦争と双極症を一緒にするなんて不謹慎だと思った方(おっしゃる通りです)、たまたま通りかかったらこの記事だったので仕方なく読んでしまったという方、応援して下さる方、もしよろしければ「スキ」ボタンを押して頂けると幸いです。




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