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生きた証を振り返る

書き込みの意図は、生きる を考えることがベースになっています。タヒぬことを推奨するものではありません


わたしが出会ったひとたちのタヒについて。未遂も含めます。その人と一緒に過ごした日々を忘れないことで、そのひとが生きた証を未来に持っていけると思っています。でも、それは果たして供養になるのでしょうか。正解はないと思いますが、残された側のことを考えると近しい方はどんな気持ちでしょうか。出来るだけ配慮したいのですが、ひとによって受け取り方も違うでしょうし供養だなんてきれいごとに聞こえるでしょうし、アンチも出るかもしれません。でも正解がないのならここで吐き出していいですか。目にすることで病状が悪化しそうな方は、絶対に読まないでください。またノンフィクションも含まれているかもしれませんが、そうでもないかもしれません。解釈は読み手にまかせます。

タヒを考えることは、生を考えることだと信じて残します。決して推奨するものではありません。

精神科でのタヒは特殊です。わたしが一般病棟に居たときは、老衰、がん(身体、血液など)、神経疾患・筋疾患(遺伝子病も含めます)など、経過がみられるタヒでした。毎日看護をしていると、今日は調子が良さそう、今日は体調が悪そう、もうすこしで・・・とある程度経過が分かるものです。他のスタッフともに状態を共有して、その人のタヒに向かう段階に寄り添って看護をしていく事が出来ます。その人も、段々と受け入れて大切なひと達と過ごしてその時を待ちます。

そのときが来たあとも、時間はかかるもののご家族やスタッフ間でよい思い出に浸ることが出来る気がします。

精神科では・・・それは突然なのです。昨日、当日夜まで明るく話していた、いつもOD、自傷、散歩、タヒにたいと口にすることで辛さを乗り切っていたのに、突然なのです。突然過ぎてわたし達は到底受け入れることが出来ません。居るはずのその人が、経過もなくある日突然この世から居なくなるのです。

ちなみにわたしが見てきた未遂(未遂と本人は思っていなくとも)だと、化粧水、シャンプー、ネジ、ホチキスの針、くすりのシート、えんぴつ、ハンカチ、クリップ、練炭、ライター、鏡などなど数えたらきりがなく何でもそれに使えます。当然、高い所から・・・とか、ベルトやタオルを・・・みたいなものもあります。

幻覚、幻聴で箸、スプーン、フォーク、ハンガー、ペンを喉や腹部に突き刺したり、近くにある果物ナイフで・・・とか、あとは食事(水分も)を一切拒否することもあります。

精神症状や副作用のせいで、水を飲み過ぎて中毒になって搬送・・・は良く聞く話で、入院中は便器の水を飲んでしまう人も居ました。

ボディチェックをすり抜けて市販薬、処方薬、違法薬物を、ということもありました。女性はブラジャーやポーチの中に、男性は靴下の中に隠していたことがありました。あとは・・・公開できません。

ほとんど助かるので、後遺症(こころ、からだ)がある場合その後は見ていられません。既遂できなかったことで自分を責めたり、そのことに囚われて企図前より絶望的になっている人もいます。そんな時は看護師の出番なのですが。

また調子が良くなったと思われる患者で、散歩に行ったまま戻って来ず探していたら、電車やビルに・・・警察から電話があり気が付いて・・・。そんな時はどうして、という気持ちでいっぱいになります。どうして・・・の中身ですが、自分がサインを見逃して助けることが出来なかったのでは、どうして気が付いてあげられなかったんだろう、という気持ちとどうしてそっちに、という両方です。とにかく長い間無力感に苛まれました。ベテランでもそうです。新人さんは長い間休職した人も居ました。

長いので続きます。

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