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記憶の曖昧さ

GW、久しぶりに実家へ行ってきました。
下記の記事を書いた時に、今度実家へ行ったら聞いてみようと思っていた事を確認できました。


少し前に久々に会った友人に「読み聞かせの記憶」についてに聞いてみると、私と同じく「ない」とのこと(笑)
3人姉妹の真ん中っ子の友人は、「絵本は家にあったけれど親も忙しくしていたから読み聞かせなんてしてもらってないわー。」と。うんまぁ・・・そう言われると納得もします。それが当然のことと認識しているから親思いだ(*´ω`*)


友人と違って私はというと自己中思考で。
絵本は子どものこころの発達において重要な役割を担っているし、絵本を読む時間が親にとってもこの上ない幸せになったりすると思っている私は、「その機会を逃していたなんて!!なんで~~!」とばかりに、両親に対して半ば怒りモードを発動させていたりしました(^^;)

実家にて。

私「お母さんってさぁ、私が小さい頃、絵本読み聞かせてくれたりしてたん?」
母「え~(苦渋の表情)お父さんしてたんちゃう?」

なんと!!

私「え~?!お父さん読み聞かせしてたん??」
父「うん。(多分言ってたような笑)」

よく分からんけどそういう事にしとこか的に頷く父(≧▽≦)

私が「お父さん、やるなぁ~!!」と言ったきり、母によって話題を変えられてしまったのでホントかウソか?詳しくは聞けずじまいでしたが、やはり母の方は読み聞かせなんてするかぃな!的な感じではありました。

私が2つになる前に弟が生まれ、母は弟の世話をする名目で父に任せてたのかもしれません。初めての子どもで、父は実は子煩悩な人。弟に母親をとられむくれている私に、絵本を読んであげていたのかもしれないです。

ガンコで私の意見は無視・反対、厳しく固いイメージが私の中にあったため、父が絵本を読み聞かせるなんてあり得ないと思っていました。思い込みによるというか笑…記憶というのはホント曖昧なものですね。


真偽は脇において私は今回、記憶を塗り替えることが出来ました。
近頃は年のせいか”怒り”もゆるくなったような気がしているので、父のイメージも書き換えてみるといいのかもしれません。


自分の中にある怒り・憎しみや傷は、無理矢理書き換えたりなかった事にする必要はなく返って逆効果となりますが、こんな風に自然に自分の都合よく、過去の記憶をつくっていくことができると、相手との関係性をゆるやかに人生が生きやすくなるような気がします。

いつか私が両親に絵本の読み聞かせをしてみようと思っています(*´ω`*)


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