見出し画像

母には素直になれない。

#いい歯のために
ある日の帰省。
玄関を開けた瞬間、右頬が大きく腫れ上がった母の顔が目に飛び込んできた。
かつての私なら、「なにやってんだよ、どうせ放っておいたんだろう」と心の中で冷たく突き放していた。
長年のすれ違いが積もり重なり、母と私の間には互いの距離を遠ざけるようになり、刺々しい関係がつづいていた。

古い畳の上にすわると、ささくれが刺さるような感触。
久しぶりに見る母の後ろ姿。老い感じた。腰が少し曲がり、細くなった。
昔の強気な母の面影とは違う。私の昼食を用意している背中。

私の好物を出してくれた。甘辛い香り。親と一緒に暮らしていた頃を思い出した。何年ぶりだろう。
心の中でうれしい気持ちが生まれ思わず表情に出そうになったが、出さなかった。
気がついたら私の皿は空っぽに。
母はそれを見て、「おかわりあるよ?」と聞いてくれたが、私はいらないと答えた。代わりにもっといい言い方ができたはずなのに。
自分がいやにになった。

私は窓の向こうの青空を見ながら言った。
「その腫れ。歯医者さんに行けば、腫れも早く治るかもしれないよ。また一緒にみんなでご飯いけたら楽しいんじゃないか?前行って美味しかった店またいかないか?」

なぜそんな回りくどい言い方をしたのか、自分でもわからなかった。
「そうだね。昔行ったね。」と母。言い方は思ったより優しく弱々しかった。

時が経つのは、思った以上に早い。その現実を突きつけられた。
衝動的に悲しくなった。こんな母の姿を見たくなかった。心配させやがって。
でも、母に少し寄り添えた今日の自分に、ほんの少し嬉しくもあり、おどろきもあった。

素直になれない息子。
私は心の中で、ただただ、長生きしてほしい、良くなってほしいと思った。

平日の夜、重い体を引きずるように歩く暗い歩道。
母に電話をした。
明るい声、「あなたに言われたから歯医者に行ってきたよ。友達の娘さんが働いていたよ。それから・・」そんな母の感謝のことば慣れてないから私は黙って聞いていた。なんだか体が軽くなった。

歯医者さん、母をどうかよろしくお願いします。

母は私に向き合っている。次は私の番だ。
でも、母に素直になれるのは、母の腫れが引いたずっとずっと後になりそうだ。


いいなと思ったら応援しよう!

青空太郎
いただいたチップはカフェで、温かいソイラテをいただきながら、創作活動をしようかと考えています😊