ばあちゃんがデイサービスで恋バナしてきた話。
ばあちゃんに「アンタ子どもたち出てったら寂しくなべなぁ…」と、
バツイチシングルマザー子3で、後2〜3年したら末っ子も自立するべ。という私の事を心配された流れで、
寂しいとろくでもない男にひっかかる、っていう恋バナに発展した。
ちなみに8年付き合っている恋人が、何事もなければきっとそばにいてくれてるだろうし、寂しいけど物理的には寂しくなさそうっていう事は説明がめんどくさくなりそうだったので飲み込んでおいた。
ばあちゃんから聞いた
「過去に寂しくてろくでもない男に引っかかってしまったデイサービス仲間の婆さんの話し」
も、興味深かったのだが、その婆さんに対するウチのばあちゃんの返しがもっと面白かった。
中年女子の頃、優しくされてほだされた婆さんが一緒になった男はどうやら893がらみのやべー奴だったらしく、薄々ダメンズだとわかっていたのに寂しくてついてったというばあさんに、
「なんでいい歳してタダで優しくされると思ったんだか。男なら誰でもいいって思ってたオメーが悪ぃべよ」って言い放ち周囲のじいさんばあさんを苦笑いに巻き込んだらしい。
ダメンズに引っかかってしまう婆さんの思考に何が起きてるかもモチロン興味深いのだけど、
私はこの時のばあちゃんの
「タダで優しくされる」
というセリフが痛く沁みてきたのだ。
どうやらばあちゃんの中で
優しさは報酬であるという定義が存在しているらしい。
そしてそれは
タダで優しさをもらったらそりゃあ罰せられるだろう
という恐ろしい定義でもある事に私は震えた。
うちのばあちゃんは苦労人で
嫁いだ先の夫や舅姑に馬車馬のようにこき使われ
感謝されるどころか虐げられ、どれだけ奉仕しようが
優しさなどもらえなかった暮らしだったんだろうなということは、話を聞いただけで孫の私にも容易に想像がついた。
報酬であるはずの優しさがもらえなかったばあちゃんは、自分を虐げてきた人たちが全員タヒんでしまった今でも許してない。
なぜなら、いまだにされたことを昨日の事のように思い出しては話題に出すし、「なんか見られてる気がして嫌だ」という理由で、何度戻しても遺影を見えないところに隠しちゃったりする。
ばあちゃんが優しさを無銭飲食していったヤツらを罰してるのだ。
ばあちゃんにとって、
タダで優しくしてくる男に泣かされる婆さんは
ツケが回って来て当然のことなのだ。
皆さんの中にも
無意識に自分で定めてしまっている概念はないでしょうか?
恐ろしい事に、その概念が目の前の現実を作り上げてしまう事があります。
ばあちゃんの作ってきた現実。
こんだけ奉仕してんだから優しさ返せよ?
タダで優しさもらおうとすんなよ?
この思考が、
タダで優しさ奪おうとする人たちを生み出し、
尽くしても返さない優しさ泥棒の被害に遭う。
ばあちゃんは本当に人の為に尽くすし
誰にでも優しさで接し、いつも笑顔で、
道端で世間話をしただけの人と友達になるくらいにコミュ力も高い。
それでも、そんな被害に遭うのは
潜在意識と自分のもつ前提が現実に現れることは、切っても切れないと証明されてるな。と、
再確認した話だった。
言われのない被害によく合う人は
今一度自分の前提はなんだろう?と
掘り起こしてみるのをおすすめします。
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