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こころも、生きている

人間の命は、色んな生命の集合体だ。
細胞、神経、菌類。
皮膚を境界にして、その内側の存在すべてが
1人の人間の世界を生きている。
地球を生きる人間の縮小版のようだと思う。

ところが「こころ」だけは、不思議である。
「こころ」だけは境界の外側へ行ける。
行けるというか、実体がなく、どこに居るのかも感じられない。
脳の機能っぽいが、掴みどころがない。

「こころ」だけは、
他者の「こころ」と繋がってみたり
逆に他者の「こころ」から干渉されたり
なんなら過去・未来の時間を行き来もできる。
自分の中でともに生きる他の生命と同じ範囲・同じ時間軸にいない。
細胞も菌類も、今・ココにしかいないのに。

そして、「こころ」だけは、
たまに存在することから逃げ出したくなる。
理由はさまざま、その重さも長さも。
「こころ」だけが、なぜ違うのか。

実は、違わない。
「こころ」も生きようとしている。
逃げ出したいという言葉に翻訳しているのは「思考」。
「こころ」ではない。
「こころ」は本当は、現状と違う形で生きたいのだ。

赤ちゃんは生きるために「こころ」を境界の外へ出して他者に繋がる。
・遊びたい
・尻が気持ち悪い
そして他者の反応である「こころ」を注意深く見る。
・遊んでくれそう
・なぜか怒っている

「こころ」を使った情報伝達手段は生きる術。
自分の「こころ」を境界の外へ出し他者と繋がったり
他者の「こころ」を拾って戻ったり。

大人になるまでに学ぶ術は人それぞれ。
・泣く/怒る
・自分を抑圧する
・相手を信じて穏やかに主張する
・他人と関わらない
この中に不正解はない、あるわけない。
すべて生きるために必死で学んだ術。
おかげで今生きているのだ。

生きづらさを抱えている時、あることに気づいていない。
<助けを請わなくても生きられること>
もう感情で訴えなくても
自分を抑圧しなくても良いということ。
けれども気づいてない「こころ」は同じ行動をとる。
すると余計に生きづらくなる。

おめでとう。
もう自分が痛む術を使う時間は終わったよ。
十分すぎるほど頑張って駆使したよ。
まずは、ねぎらおう。
そして好きに生きられる大人になったことを祝おう。
生きるためだけじゃない、新しい術を探しに行こう。

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