この愛を成就させるには
遂げられない愛がここにある。
たしかにここに存在しているのに
その愛を成就させる術を私はまだ知らない。
これは、悲劇のラブストーリーではない。
不幸な家族の物語でもない。
凡庸な「友情」という愛の話である。
恋愛感情をもとにする愛情であれば
交際したり結婚したりして
生涯隣で添い遂げると誓い合うことが
一種の愛の成就であると考える。
血縁をもとにする家族という愛情であれば
子を養い成人させ、
その先老いていく親の看病をし
最終的にはその生涯を看取るということが
一種の愛の成就であると考える。
しかし、友情という名の愛情は
どうやって成就させれば良いのだろうか?
それぞれに歩みたい人生があり、
その二つの人生が
物理的に交わることは恐らくない。
幸せになって欲しいと強く願っても、
相手の人生を背負うことことはできない。
その役目は多くの場合、
血縁関係のある家族であったり
恋愛感情を持つパートナーの役目だから。
2020年、世界はパンデミックに襲われた。
故郷を離れ一人都会で暮らす私は
ひたすらに孤独で、恐ろしかった。
文明の利器によりもたらされた
私にとっての新しい社会生活は
マンションのワンルームで完結すると知った。
食事、恋愛、労働、買い物、娯楽。
物理的な"私"という存在がなくても
社会は回っていくのだと知ってしまった。
そんな時、心の支えとなったのが友だった。
スマホ越しのくだらないメッセージや
電話越しのダラダラと終わらない会話、
マスク越しの笑顔や
ドア越しに届けられた花束とポカリ。
それら一つ一つが孤独を生き延びるため
必要不可欠で、すべてをくれたのが友だった。
そして誰より素直に
孤独な気持ちを共有し合って過ごしてきた。
そんな友に心から幸せになって欲しい。
本当はこれからも二人並んで
歳をとっていけたら幸せだと思う。
だけど私は彼女と隣にいて
生涯幸せにすることはできないと思う。
もし二人が家族だったら?
恋愛感情を抱いていたら?
友情という名の愛情は
一生成就することはないのだろうか。
友情とは、物理的な証明を持たない。
戸籍謄本に友達の記載欄は無い。
スマホの電話帳にある友達の連絡先は
その証明とは言えない。
SNSの相互フォローも同様だろう。
詰まるところ、結局友情というのは
物理的に証明できない
精神のみに依る愛情であり
「想い続ける」ということでしか
存続させる方法は無いようだ。
24年間しか生きたことがない私は
この先10年20年30年
あらゆる人生のイベントを通して
友情というものがどのように継続されるのか
まだあまりよく分かっていない。
職場が離れれば終わり?
遠い街に住むようになれば終わり?
結婚してパートナーができれば終わり?
子供が産まれて忙しくなれば終わり?
いや、多分きっと
物理的な証明が存在しないこの愛は
つまり物理的な終了も存在しない。
破局も離婚もなければ絶縁もない、
半永久的に存続する愛なのではないか。
だからきっと、大丈夫。
スマホ越し、電話越し、
ドア越しマスク越しに繋いだ友情は
この先何を隔てても変わらない。
距離も時間も二人の間に割って入ることなんて
到底できないはず。
だからどうか、二人がそれぞれの幸せを
自分の力で見つけられますように。
友としてそれを願うことしかできないけれど、
ずっとずっと、愛してます。