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【文フリ東京39】エッセイ「青いガラスの目をした、子犬と猫」(本文冒頭)

(明日開催の「文学フリマ東京39」新刊収録のエッセイのサンプルです。)

 大学生の頃から長い間、私は、BUMP OF CHICKEN(以下「バンプ」)のファンでした。今もこうして言葉を紡ぐときや、元気がなくなったときには背中を押してもらっています。でも、ライブに行ったり新譜を追ったりすることは、なくなっていました。

 バンプの歌は、いつも心臓にダイレクトに流れこんでくるようで、不思議なくらいそのときの私が抱えている想いに重なってくれました。その上、偶然の一致としか思えない奇跡的な出来事も、何度も繰り返されました。

 そんなに大切だったバンプの唄が、いつしか心の枝葉を少しも揺らさず、素通りするようになりました。あるいは私が、わざと素通りさせていたのかもしれませんが。

 バンプの唄は、たくさんの力をくれるけれど、同時に「勇気を出そうとする弱虫の自分」に浸る閉じられた世界に、私を留めてしまうとも感じていました。人の柔らかな心のコアに触れ、響き合い、本音をかき鳴らす、その力の強さゆえに。

「強くなりたい」

「こんな自分じゃダメだ」

「もっと優しい自分になりたい」

「怖くても誰かと手をつなぎたい」

 ——そんなことを考え続ける、自分の頭の中の世界。こぼした涙の理由を探し続けて悩むことで、行動するのと同じくらいのエネルギーを払って、それで許されたような気持ちになってしまう世界。

 内側の世界で心を豊かにしたのなら、次は本当の傷を追う外の世界へ出て、自分の言葉で唄を歌わなければならない。そう思った私は——そしてただシンプルに「大人」になりたかった私は——もう、ここにいていい時間は終わったのだ、と思いました。
 まあ、その時にも、もうとっくに大人な年齢になっていたのだけれど。


 実家を出て、東京に来て、仕事を見つけて、何年も経ちました。職場では後輩の指導役のような立場になっていて、一応それなりに、「大人」と言っていい生活をできるようになったのかもしれません。
 でもね、周期的に巡ってくるあいつに久しぶりに会ってしまったんです。
「ねえねえ、あなた、見て見ぬ振りしてたものがあるよね?」・・・・・・

(続きは本編でお楽しみください)

*

久しぶりの新作ですが、数年前に行ったBUMPライブの感想のブログ記事「さよならBUMP」をベースにしています。

今回の本の全作品の伏線をブワーーーーーーっと回収しています。

ぜひ、ブースにてご確認ください!


サークル名 COTORILLA
文学フリマ東京 ブース番号「P-05」

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