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すごく素敵な形で地域おこしを実現できている方に出会った。

自分の生まれ育った場所が物理的にも記憶でも失われていくことに危機感を持ち、活動開始から今年で14年目になるのだという。
まさに秘境とも言える場所で、コンビニはもちろん商店のたぐいも見当たらない、本当になにもないところだが、幻想的な風景を作り出す自然に恵まれていた。
そこは初夏から秋にかけて、川霧が発生する。
霧幻峡と名付け、美しい風景写真とともに発信を続けている。
同時に、渡し船で川を渡り対岸の廃村を見学する観光資源を生み出すことで観光客を呼び込むことに成功しているのだ。

先日、足を運び、この幻想的な風景を体感することができた。
自然の為すことなのでもちろん見られないことがあると聞いていたので、2泊の湯治旅を兼ねての訪問だったのだが
幸いにも気象条件が川霧の発生にぴったりであったため、朝に晩にと見ることができた。
陽が沈むなかで露天風呂に浸かりながら、霧が川面をたゆたうさまは、忘れることができないくらい美しかった。
早朝、川辺の林のなかを散歩していると、川からあがってきた霧がいつのまにか体を包み込んでおり、なんとも言えない不思議な不思議な世界だった。
あの世との境界を、川と表現する古くからの日本人の心象風景の解像度の高さに感心する。

もはや資源とも言えるこの風景の価値に気付いたこと、自身ゆかりの地を風化させないという意思がひとつの名所を作り上げている。
廃村となってしまった故郷を語る様子は、誇らしげでありながら、もう二度と見ることのできない景色への寂寥を感じた。
いかに便利できれいに記録を残せる機械があろうとも、あの日に見た美しい霧の流れと遠くを見つめる目が語る思いを鮮明に残すことはできないのだろうなと手元のスマートフォンでこの文章を打ちながら思う。



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