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推し活とブランディング

突然主張から始めるが、着物が大好きである。
小学生くらいから興味を持ち始めて、それからずっと、写真や展覧会、デパートの呉服屋さんや古着屋さんに眺めに行っては、
着物で過ごす日常がある人生って素敵♡
なんて思いながら、いわゆる見る専だったのだが
ひょんなきっかけから、今や週に1,2回は着物で過ごす日々である。
"素敵♡"な人生になったはいいが、この着物というのはとんでもない沼で
後先考えずに小紋やら訪問着やら帯やら小物やらを買っていたら、あっという間に洋服のスペースを奪っていき断捨離がかなりはかどった。
そのぶん和服は増えたのでスペース的には増加ではあるのだから、本当の断捨離とは言い難いが。
引っ越しの際は必ず着物を収納する桐の箱やケースが入る、かつ除湿機を稼働できる電源が近くにあるところが必須条件であり、もともと家具やら器やらのかさばる荷物の多いことも重なり、家探しには結構な苦労…
そんな苦労さえ差し引きゼロ、なんならマイナスに感じるほどに大好きな着物だが、明確なきっかけがあった。
小学生のときに読んだ、とある漫画家さんのエッセイ漫画のうちのひとつのコラムだ。
エッセイ漫画というより、美容雑誌に連載していたイラストと文章で構成されたもので、そのほとんどの回が化粧品や美容施術に関するものであったのだけど、時折ファッションにまつわる話もあり、着物はそのなかのひとつだった。
大先輩の漫画家さんが着物姿で、颯爽としかもまったく自然な着方で車を運転していてシビレたという内容だったのだが、読んでいるこっちまでシビレて、それを20年は覚えている。
着物ってがんばって着て、ハレの日のお出かけのためにあつらえるものという感覚から、ケの服として気軽に着ていいものなんだという発見とその大先輩のスタンスへの憧れがこめられていて、子どもながらにつられて憧れてしまった。
そんなきっかけから、着物=かっこいいの計算式ができたわけだが、そのエッセイ漫画の漫画家さん自体のことも大好きで今もずっと作品を読んでいる。
いわゆる"推し"であり、趣味やこうした文章の文体にまで影響を受けている。
絵や作風はもとより、キャラの心理や人間の深層心理をあらわすセリフがなんとも絶妙でそこも好き。
(ちなみに、全作品のなかで一番印象的なセリフは「同じ思いをしてるからこそ 同じ地獄に落とさなきゃ気が済まねえのさ」。女の世界をこの一言で表していると個人的には思っている。)

そんな推しが、最近では着物のデザインまで手がけていて、先日そのブランドのトークショーに行ってみた。
ブランド立ち上げのきっかけやローンチする新作、図案の試行錯誤、そして着物への愛を語るもので時間があっという間に過ぎるほどにとても密度の濃いトークショーであり、気持ち的にも物理的にもずっと前のめりで観覧していた。
あんなに背筋伸ばして聞いたことは、これまで一度もない。

イベントには私と同じように、先生の着物、漫画といった作品を愛する同志と思われる人ばかりで、質疑応答や前後の会話などを聞いていると、先生自体が推しという人がほとんどのようであった。
そんなわけなので、なんとなく会場には一体感が生まれ、トークショーのあいだは始終皆さんのときめく声が聞こえたように感じる。
自分と同じ興味を持ち、同じものを愛する人々に囲まれることがこんなに心地よく、楽しいものなのかと思った。

後日思い出して、ブランディングの本質や手法はこれが理想なのだろうなとしみじみ思う。
無二の世界観や価値を創り、無理強いすることなく「これって素敵だと思うんだよね!」、「こんな世界観に夢中なの!」と語りかけ、同じ目線を持つ人々の賛同を得ることの繰り返しがいつしかブランドになっていくのだと思う。

ブランディングの仕事をしていてなによりも大事なことは、ブランドをどれだけ愛せるか、だと思う。
五感で感じる商品、作品の表面的な部分だけでなく、作られた経緯・理由、作り手のバックグラウンド…
それらをきちんと紐解くことは理解以上の心象変化を生む。
また、作る側、仕掛ける側だけでなく、受け取り手側にもこの体験を促すことによって、ブランドの熱量はかけ算で火力が増すと考える。
と、簡単に言うものの、その仕掛けを仕掛けでないように作ること、自然発生させることが、ブランディングを担うなかでもっとも難しいことであるのだが、と地下鉄にゆられながら思う休日の午後だった。

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