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来たぜスーパー断捨離タイム

「あ、なんか今日イケるかも」

突如訪れた捨てたい欲。


捨てようかどうしようか、空間は占拠してるけど置いておけないわけでもない、でもいらないよなぁ、でもこれからの仕事でヒントになることがあるかもしれないし…

と、ずーっと手放せずにいたもの。

仕事用の手帳(9冊)

1社目で採用の仕事をしていた時代のほぼ全てが詰まっている手帳。
プライベートの予定も書いてある。

スケジュール管理だけじゃなくて、具体的にどんな内容の仕事をしていて、どうやって仕事を管理していたのかなど、自分の仕事の軌跡と変遷みたいのが見えて、愛着が湧いてしまって手放せずにいた。
愛着というか執着に近いのかも。


使わないのに。
そしてこれまで特に見返すこともなかったのに。

言ってみればただ思い出が場所を取っているだけ。

この先仕事で役に立つかも、と言っても、採用の市場やスケジュール感なんて年々変化していて参考になることはないし、身につけたものは自分の中に残ってる。

急に思い立って床に全部並べ、古いものからパラパラめくってみた。

「あぁ、この時期この人と飲みに行ってたな」
「この年めっちゃ合コン行ってるな」
「あの人辞めたのこの時期か」

なんて思い出を回顧して懐かしくなったけど、急に冷静になって

…だからなに?

と思ってしまった。

冷たいのかもしれないけど、昔の飲み会の記憶はこの先必要ないし、手帳を見返して思い出したくらいの思い出はたいしたことないし、大事なのは今とこれからだろ、

と、かっこよさげな思考になり、他の年のは一気に速読して処分した。


手帳断捨離をきっかけに、今まで捨てるのをためらっていた物たちを引っ張り出してきた。

・紙で残ってる写真
・手紙
・昔の給与明細
・高校〜大学時代のプリクラ
・大学時代のバレーの大会のパンフレット
・高校の卒業文集
・教育実習の資料

今まで少しずつ処分してきてたので大量にあるわけではないけど、手帳を手放したことで全部が煩わしく思えてきて、データ化するものはデータ化し、個体はほぼ処分した。

特に学生時代のプリクラ帳は、もしも自分が不慮の事故とかで突然死してしまった場合、遺品整理の黒歴史最上位になる物だったので、安心すらした。なんでもっと早く捨てなかったんだろ。

あと結構困るのが手紙とか寄せ書きとか。
「喜んでくれるだろうな」
「思いを伝えたい」
という書く側の気持ちはわかるんだけど、相手の気持ちが文字で残されているものをもらうのは結構重いしさすがに処分しにくい。

自分も昔手紙書いてた人だから、今となっては処分に困る物押し付けてマジごめん、とあげた相手に対して思っている。

今後手紙は書かないようにするとして、どうしてもなにかメッセージを書かなきゃならない時は、絶対に付箋を使おうと思う。
「読んだら気兼ねなく捨ててくれ」という思いを込めて、粘着力弱めのすぐピラピラしちゃうやつを。


使いはしないけどそれなりに思い入れはあったはずなのに、ゴミ袋に入れた途端、「捨てたのどれだっけ?」となり、「あぁやっぱいらなかったんだな」と、すごくスッキリした。

たぶんこれから何捨ててもそう思う気がしている。
そして捨てたことすら忘れる。
今までもこれを繰り返してきた。

もともと物を持たないようにしていたけど、手帳や紙類を処分して収納棚がまるまる一段空いたのは本当に爽快だった。

1ランク身軽になり目の前が開けた感。
そしてもっと減らしたい欲に駆られている。


私はしょっちゅう持ち物を見直しては断捨離しているが、服とか物を手放す時より、今回のように記録や思い出を手放す時の方がためらいが大きい。

別に思い出に縛り付けられているなんてことはないはずなのに、存在の重みが服とは全然違う。
「いつか使う」なんて未来は95%来ないはずなのに、なぜか捨てられない。

服とか物は必要になったら新しい物で補充できるけど、過去の記録と思い出は新たに手に入れることはできないから執着しちゃうんだろうな。
捨てたいとか忘れたいとか思ってるわけでもないからこそ余計に。


それを今回一気に手放せたということは、やっぱり前に進むタイミングなのかもしれない。

手放したことによって空いたスペースは、これから必要なものを取り入れるための場所のはずだから。

でも余白も維持してたいんだよな…


スーパー断捨離タイム・DAY2開幕です。


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