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巡回セールスマン問題 #32

二歳になる子どものひとは、車が好きだ。

この子の頭のなかの八割は車で占められてるんじゃないか、てくらい車のことばかり考えている(ように見える)。

バスや重機が一番のお気に入りだが、たくはいしゃやゆうびんしゃ、引っ越しのトラックなんかも好きで、街で見かけると指差して、はしゃぐ。


その子どもができてから、ネットショッピングの割合が増えた。

自家用車を持っていないせいもあって、オムツやシャンプーなどの消耗品から、おやつや冷凍食品、或いは普段着る服からおもちゃに至るまで、子ども用品はほとんど全てインターネットで買っている。

買いに行く暇がないからだ。
それに、子を連れて店へ行ったところで、すぐに飽きてグズり、落ち着いて商品を選ぶこともできない。

子の寝てる間に、ネットで選び、ポチッと注文する。それで何とかやっている。


子と行った図書館で『はしれ!たくはいびん』と云う絵本を借りる。

読んで聞かせると、気に入ってひとり熱心に頁を繰っては、聞いた文章をもう覚えて、まだ字も読めないのにひとり読んでいる(ように見える)。

これにかぎらず、物流に材を取った絵本は探すと結構あって、人気のお仕事なのだな、とおもう。

僕らも知らなかった仕事の中身が、わかりやすく描かれていて、面白い。


図書館の帰りがけ、ついでに大人の本も、と眺めた棚で、野口智雄『日本の物流問題』(ちくま新書1781)を見つける。

巷間騒がれる物流の2024年問題が気になっていたのもあり、手に取り読む。

子どもといっしょに、僕も物流のお勉強、である。


前半は、その2024年問題とは何か?がていねいにまとめられていて、分かりやすい。

歴史的な経緯から、現在の業界、特に担い手であるトラックドライバーの労働環境について、詳しく書かれている。

その劣悪さに驚く。

絵本での人気と、労働環境の劣悪さ。その落差は激しく、子どもたちに尊敬される仕事として、正当には扱われていないような印象をうける。

一転して後半は、人手不足の問題を解消するための方策が展開される。技術革新と制度設計、明るい未来。

著者はそう主張するが、僕にはとてもそんなふうにはおもわれなかった。多くの技術が、実現(実装)からは程遠い、夢物語におもえる。


おもえば僕がいまの職場で働きはじめたさいしょは、宅配の仕事だった。
書類の受け渡しや集金に、顧問先を自転車で回った。

簡単な仕事だが、それでも効率的に回る方法を考えた。
行く先の位置関係、抜け道や空いている道、回る順番。

考えたのは、僕ひとりではなかった。
職場の先輩のSさん(女性だ)が、その日行くべき客先を決め、書類を用意し、ある程度の順序を示してくれた。

巡回セールスマン問題と云う数学の問題がある。
幾つかの行き先を回るのに最適な経路を算出する方法を考えるのだが、回るポイントが多ければ多いほど、解くのは難しくなる。

人手不足を乗り切るため、この計算をAIに任せよう、と云う企みが物量業界にはあるらしい。

どうなんだろう、と僕はおもう。
僕のかつてやったような、或いはSさんの代わりが、果たしてAIに務まるのだろうか。僕にはとても難しいことにようにおもえるのだけど。

Sさんの仕事は、かなり高度であるにも関わらず、雇用主や専門職の同僚からは、あまり評価されていないように僕にはかんじられた。

資格などは必要ない。一見、誰にでもできそうだが、うまく回すにはコツとセンスがいる。何より居なくなると困る。

名前のない家事と似て、そういう仕事こそ、この国の労働をささえてるエッセンシャルなワークであるはずだが、僕らの社会はそれらを巧く価値づけできていない。

司馬遼太郎『関ヶ原』という小説で石田三成を描いているが、その中で、日本史上で兵站(ロジスティクス)という概念を持っていたのは、後にも先にも石田三成だけだ、と語っていた。

その石田三成が、脳味噌まで筋肉の詰まっているような、先陣を切る武将たちから蔑まれ、結局は敗れ去ったのをおもうと、そこに事務仕事を卒なくこなすSさんの姿が重なる。

この国は昔も今も、事務仕事を舐めている。


トラックドライバー基本給が安く、歩合(残業)で稼がなければならない。その仕組みに問題がある。

劣悪な労働環境が更に拍車をかける。キツい、汚い、危険の3Kで、人が集まらない。

さきに読んだ『朝鮮人強制連行』でも、まったく同様の問題で戦中の炭鉱労働は破綻し、後世=現在まで精算されない禍根を残した。

これは物流業界に限った話ではないが、労働に対してきちんとした給料を払って、人と集まる環境を整える以外にこの国の未来はないのではないか。

著者は再配達を悪者のように見做し、その根絶をしつこいほど主張する。

しかしその割合は高々10%ほどだ。
その効率を切り詰めることに、果たしてどれほどの効果があるのか、代償はないのか、素人ながら違和感をおぼえる。

だって何だか、根本的な批判を避け、私たちにできることを、みたいな節約術を紹介する、エヌエチケーの報道情報番組みたいじゃないか。

再配達よりも深刻におもえたのは、トラックの積載率だ。

何と荷物は四割しか積まれておらず、つまり残りの六割は「空気」を運んでいる、という。驚愕である。
こっちの改善のほうが、圧倒的に重要なんじゃないか。


以下は僕の完全な素人考えだが、送料無料を全業界でやめてはどうだろうか。

今はいくら以上買うと送料無料、てのが一般的だ。
実際、妻も母もそして僕もだが、何かをネットで買うときは、送料無料になるように商品を買い足したりする。

この無料による経済効果がどれほどか知らないが、まとめて買うことで送料が多少は安くなるにしても、タダ、というのをやめてはどうか。
100円でも200円でも取ればいい。
そうやって集めた送料が、ドライバーの賃金や労働環境の改善へ、ちゃんと回るかどうか、と云う新たな問題が浮上しそうではあるが。

送料を取らないことで、宅配という仕事そのものが価値の無いことと勘違いされてはいまいか。
タダなんだからいいでしょ、と云うふうに。
タダより高いものはない。タダは怖い。

ちゃんと料金を取ることで、仕事を価値づけする。

本当は、優秀なドライバーや兵站と云う事務へ何らかの資格を与えたり(つまりは仕事に名前を与えたり)、もっと云えば、本当にいなくなったら困る仕事は、全部公務員として税金で雇えばいいのに、とさえ僕はおもっているのだが、話がややこしくなるのでここでは踏みこまないでおく。いずれまたべつの機会に。


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