2020年3月の記事一覧
野暮について、あるいは自分への啖呵
日曜が月曜にかわる夜中にやっているバンプオブチキンのラジオがすきで毎週きいている。たいがいとりとめない話をしているが、こないだボーカルがちょっとくることを言っていた。「曲の意味」についてだった。「なんかそんな気がするってところがたぶん大事なところ」「言語化できるのはたぶんもっと表層のところ」。めっちゃわかる。その通りだ。言葉にならない部分への/からの働きかけが音楽だとよく知っているし、なんでもか
もっとみる一緒に迷子になろう(10-FEET「淋しさに火をくべ」)
テンフィートがわたしの一部になった経験から書こう。
院試の勉強に本腰をいれていた二か月ほど、たいへんなおもいをしていた。不安で勉強いがい手につかず食事も睡眠も邪魔なほどで、寝ていると金縛りによくあった。好きでやっていることをこんなに苦しくしてなんの意味があるのかと疑うのをやめられなかった。正解がほしかったし、間違ってないと言ってほしかったけれど同時に、間違ってなどないことは自分がいちばんよく
テンフィートのやさしさについて
やさしいひと、と聞くとき、すぐにタクマ(敬愛をこめてそう呼ぶ)を思う。かれ以上にやさしいという言葉をおくりたいひとがいない。テンフィの歌はやさしい。けれども、「ヒトリセカイ」のMVをみたひとはわかるかもしれないが、そこに、ある悲しみがずっとながれているのは、かれ自身が、自分のやさしさを疑っているからだとおもう。
かれが、もし、根っからやさしくて純真だったら、歌う根拠はないだろう。あのやさしさ
RADWIMPSの愛のこと
去年の夏、「ANTI ANTI GENERATION TOUR 2019」の最終日に行ったとき、びっくりするぐらい泣いた。ラッドのライブは何度も観ているが単純に「かっこいい」「たのしい」「すごい」という感想が大半で、涙が出るようなことはほぼなかったので驚いた。同時に、納得がいった。ラッドがずっと歌おうとしてきた「愛」のかたちが、ようやくはっきり見えたと思ったからだ。
ラッドの「愛」は特殊だっ