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生きているということ
宇野千代さんがこんな言葉を残されている。
「私は生きている」という発想から
「私は生かされている」という発想に
転換するとき、
周囲を取り巻く自然の不思議さ、
有り難さに気がつくのである。
ときどき思い起こすのだけれど、
ぼくらは日常の中でどれほど生きるということに
ついて考えているのだろう。
日々生きることが厳しくなっていく状況が生じ、
それが身に沁みて感じられるようになったとき、
自ずと「生きる」ことについて考えるのだろう。
例えば、今年、世界的な規模でCOVID-19感染症が
蔓延し引き起こした事態は、否応なく今後の
社会のあり方、生活の行方、そして、その中で
自分の生き方を考える時間を得ることになった。
今まで、さほど真剣に考えることのなかった
人たちも、考えなければならぬ命題を
与えられたかのようだ。
私は思う。
「生かされている」ことの意味を考えること。
「活かされているか」を問いかけること。
「活かしているか」を問うこと。
「生きる」は「活きる」なり。
常に頭の片隅にでも、このことを置いておき、
ときどき思い起こして考えるべきときなのだろう。
時間はたんまりある。と以前は思っていても
時間は意外にも少ないということを知るべきだ。
今からでも遅くはない。
考えることを放棄しない暮らしをしたいものだ。
今、生きているということは、
「生きる」を選択し継続していることの証なのだから。