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半夏生の前に

今日から文月。7月である。
早いもので今年も残すところ半年になった。
そして明日は「半夏生」になる。
立夏と立秋の間を夏と呼ぶなら、
ちょうど真ん中になるというわけだ。

田植えが終わり、稲が大地にしっかりと
根付くようにとタコを食べる。(主に関西地方)
讃岐ではうどんを食べる習わしが古くからある。
その年に収穫された麦を使ってうどんを打ち、
田植えの労をねぎらい振る舞ったことに
起因する、これが「うどんの日」の由来だ。
というわけで、明日はうどんと蛸飯を食べよう。

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振り返ってみると、郷里にもどって4年。
その半分がコロナ禍に悩まされている。
もういい加減にしてくれという思いと、
この2年で、この先の社会や暮らしが
どうなっていくのか見えてきた。

自粛生活を強いられ、自由を誓約された、
ネガティブなイメージを持ちがちである。
しかしネガティブなことばかりではない。
考えてみれば、生活や社会活動における無駄が
可視化され、それを削減する方向に
意識が向き始めたと思う。

エネルギーの無駄、仕組みの無駄、無責任な
意思決定の無駄は使えない人材の温床になる。
贅沢の無駄は社会の贅肉の無駄を呼ぶ。

それらに対して、経済が停滞するから
国力も衰退する、と尤もらしい論調が蔓延る。
それは当然といえば当然なのだが、考えれば、
これまでの文脈で測るからそうなるだけで、
新しい文脈構築ができれば変わるものである。
その文脈や方程式がまだ途上なだけである。

人もこれまでの文脈で生きてきているので、
そう簡単に慣れるものではない。
だけどここらで頭を転換しておく必要がある。
特に教育に関してはその最たる分野のような
気がする。すぐには成果が現れないものだし、
未来をつくる人をつくるのは教育だからだ。
そのための道筋をそろそろつけるべき
ではないだろうか。

文月の雨空を見ながら思う。


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