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自分を知る1年にしたいと思いつつ、歩く

2024年も、あっという間に11日が過ぎ去った。この分だと、あっという間に1月が終わり、1年が終わるだろう。そして私はまた1歳、年を取る。

年末年始、年度初め、誕生日など、一年の中には時間の流れを意識せざるを得ない特別な日が存在する。その日が来ると私は人生の短さを憂い、いつか自分も死を迎えるという事実に直面して恐怖を感じるのだ。果たして私はあと何年生きられるのか?残された人生で何を成すべきか?そんな老人のような思いが頭をよぎる。既に初老といえる年齢なので無理もないが。

そんなことを考えながら、私はいつものウォーキングコースを歩き始めた。

冬場は午後になると気温がぐっと下がるので、歩くのは昼過ぎまでに限られる

それにしても今回の年末年始は、私にとって特別な時間だった。不覚にもA型インフルエンザにかかり、年末から年始にかけて布団の中で過ごしていたからだ。意識が朦朧として頭が働かないので本や動画も見られず、寝ることしかできなかった。
いつもならば、紅白や箱根駅伝や新春特番のようなTVを見たり、昨年の振り返りや今年の目標設定をしたりと、年の区切りを意識しながら年末年始を過ごしているが、それらを全くしないまま正月が過ぎた。そして回復した今も目標を立てる気が起きず、ダラダラと時間だけが進んでいる。

ということで、いっそ2024年は目標を立てずに生きてみようかと考えた。思えば私は毎年、複数の目標を設定しては満足に達成できず、1年が終わることの繰り返しだった。昨年(2023年)の手帳には、「ブログを4本/月、50本/年」とか、「読書10冊/月」とか、「映画鑑賞3本/月」といった数値目標が10個も設定されている。そして案の定、達成できた目標は一つもない。明らかに目標を立てすぎだったのだ。

目標を立てた時は、絶対達成できるという謎の自信に満ちているのも通例

ただ振り返れば、私は50歳を機に会社を退職してフリーライターになって以来、ぶれることなく仕事を続けられている。もちろんライターだけで食っていくのは難しいが、ちょっとした副業もしているし経費も抑えているので、普通に生活はできている。最近ではありがたいことに、依頼仕事も増えてきた。もちろん無報酬の仕事もあるが(ブログや一部メディアの取材など)、そもそもライター稼業が趣味と自己投資だと割り切っているので問題ない。自分がやりたいこと(全国を気ままに旅したり、田舎暮らしを楽しんだり、人に会って話を聞いたり、自由にコラムを書いたりすること)が、何となく仕事になっているのは幸せなことだ。
したがって、別に年始めに目標など立てなくても、何ら問題なかったのだ。

ということを今さらながら認識した上で、(ベタな言い方になるが)今年は「自分を知ること」に時間を費やしてみたい。といっても自分探しではなく、自分の中からオリジナルな思考や発想を引き出すことに注力したいと思う。その取っ掛かりとして、本を読み、旅をして、人と会って話し、音楽や映画を嗜むことを続けたい。要は昨年までやってきたことと何ら変わりないが、自分が何かと接した時に(=世界に触れた時に)何を思い、何を感じたのかを忠実に記録したいのだ。成果を測る指標としては、やはりアウトプット。このnoteとブログの更新頻度が目安になるだろう。
ただし、昨年までのような数値目標は定めない。作品数よりも、自分の思考がスパークする場を増やしたい。なので、あちこち出歩く機会が増えると思う。ウォーキングも、思考を整理できる重要な場の一つ。昨年以上に意識して取り組みたい。

…とここまで思考を整理して、やっと2024年がスタートした気がした。先入観や常識にとらわれることなく自分の思考や感性が広がり、見える世界が広がることを自分自身に期待したい。

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