社会や機械の全自動化は、人間のブラックボックス化ー現代の「利便性」は、実は便利どころか寧ろ逆。本当の「建設的・生産的」とは?

とあるかたからの引用。

ー自動=無駄?
この世では、人間が考え出した「全自動」が一番無駄である。
そもそもが、自動にしなくていいものを自動にしている。
そして、こういうものを維持するのに莫大なエネルギーを必要とする。
これが全て我々の住む環境に多大な負荷をかけるわけだ。
人間が利便性を手に入れる代わりに(後略)ー


本当にそう。

そして、実はそれは「利便性」ですらないのに、「利便性である」と、今の時代と社会に思い込まされて(定義づけられて)しまっている。

そしてヒトの外側と内側に対する扱いは同じだから、結局、「自動機械」というものが生まれどんどん全自動化が進むようになってきてからであるーいつの間にか自分自身の中も全自動で動くように盛大にプログラムするようになってしまって、しかもその全自動は「自分でコントロールしたり修正・修理したりできない」と思い込んでしまって、勝手に自分の内側で動く全自動プログラムパターンに逆にコントロールされ(操られ・支配され)て、しかもその自動プログラムの発動に全身全霊エネルギーを大量に消費消耗させ、それでいて、その中で何が起こっているかどんな過程となっているか、(自分自身そのもののことなのに!)、考える能力や自覚する能力すらもどんどん失ってしまっている。

もちろん、ヒトは殆ど自動パターンプログラム設定で動くこと自体は元々そうなのだが、江戸時代くらいまでは、これは、例えば外側にあって人々が賢く工夫して作ったり使っていた「道具」と同じで、大自然やヒトのそもそもの心と身体の原理原則と協和調和連携して、「もはや自分の手に負えなくなって離れてしまった訳のわからぬ仕組み仕掛けに操られコントロールできない方向へ行く」ではなく、「原理原則を利用し神業的に突き抜けるまでにコントロールする方向」に用いていた。

いや、そもそも「コントロールするされる」云々の概念すらない。

ただ、原理原則と共に生き、共に在り、だからこそただ自然体あるがままで大自然の摂理が自分の中でも無限大に発揮され、それを邪魔をせず自己一致しいつの間にか既に利用(人生の動力に)できているからこそ、全てが建設的生産的というだけ。

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