実は自由への道が近づいているのに、「密室」に閉じ込められたと感じてしまう
私は、人は誰しも(本当は、元々は自分を守る”つもり”で作り上げてきた)魔法陣で自分自身を覆い尽くして、その中で生きているのだ、という記事をいくつか出してきました。
そして、”生き辛さ”を感じる人の一番の怖い問題は、その「魔法陣」が、実はあなたの人生全体から見ると「あなたを本当に守ってくれる」魔法陣ではなく、実はその魔法陣によってあなた全体がコントロールされているかのようにどんどん”いろいろなことがうまくいかない”方向へ行ったり人生の可能性を次々閉ざしていく、あなた自身を守るつもりで窮地に追い込んでいく恐ろしい「魔法陣」を持ってしまっている方がとてつもなく多いということなのだ。このあなたの日常生活一挙手一投足全部を覆っている魔法陣を、あなたを光の無限の可能性の世界へ転換させる美しい光の魔法の雲の渦に変換していくこと、これこそが心理療法の核心であり、何より取り組んでいく必要のあることなのだと、書いています。
最近、イメージしやすくなるよう「魔法陣」という表現にしてみておりますが、この「魔法陣(自己暗示・セルフトーク・人生脚本プログラム)」について、もしまだ何のことだかわからないよ、という方は、以下の記事群もぜひ併せて読んでみてください。
さて。ここからが本日の記事内容です。
人生で”生きづらさ”を抱えて、心や身体、人間関係や社会と自分との関係などなどに何らかの問題を抱えて生きておられ、「魔法陣」があなたの人生にとって”負”の方向に作用する恐ろしい魔法陣に包まれることで今まで生き抜いてきた方…
私のクライアントさんたちもそうです。
こういう方たちは、大抵ほとんど、外界の刺激に対する感じ方、考え方を、ことごとく真逆に受け取ってしまう変換プログラム(解釈)を魔法陣の構造として持ってしまっている方たちです。
つまり、外側から何か、例えばセラピストの私からみたら「それはあなたの人生の可能性を拓いてくれる素晴らしい情報、ご縁、厚意、チャンスじゃないか!」と思うようなことがあったとしても、そういうものに限って、「私はあんなことを言われたこんなことを言われた!人生の可能性を閉ざされた!私はもう八方塞がりだ!」という受け取り方・思考回路に陥ってしまいます。
時には、その逆パターン…「それは絶対にあなたにとって人生を有益でない、もったいない方向へ進ませてしまうよ」と思うようなことを、「あの人がああしてくれる、こうしてくれるらしい、これは棚から牡丹餅のようなラッキーな出来事だ!私にはこの道しかないに違いない!」と、引きずり込まれ、いつの間にか気付いたら痛い目を見てしまう……下手をしたらそれこそ自分の中に(自分で見えていなかっただけで)本当はあったはずの人生の可能性をいくつか塞いでしまうことになり、取り返しのつかない事態にもなりかねない淵まで……という場合も。
私は今まで、人の外界の見え方聞こえ方感じ方というのは、「一切唯心造」である、という話も何度か書いています。
つまり、あなたの自覚にあがるよりも前の部分で、もはや機械的に外界の情報や出来事に対する振り分け装置が(魔法陣によって)働いていて、外側の本当ならばあなたのチャンスであったり”あなた自身があなた自身の人生の手綱をつかんで自由になる”道なのに「悪いこと」という振り分けをし、本来あなたの人生を危機にも陥れかねないことや他人や環境に支配され依存され依存する道は「もしかしたら私のためのラッキーかも、きっと私はこれしかないに違いない」などと振り分けてしまうようになっている、ということですね。
そして、だからこそ、いろいろな心理療法が必要な人にはそれももちろんですが、何より日常的な場面からひとつひとつとにかく、この魔法陣を美しい金色の魔法雲に変えて行く、という作業、セラピーが何より重要となるわけです。
私のクライアントさんが、非常にわかりやすい表現をされました。
そして、もちろんそのクライアントさんだけでなく、他のクライアントさんたちも、同じような体験をされているものです。
私とカウンセリングや心理療法をやっていく中で、
「密室に閉じ込められているような感じ」「息苦しい」感覚を感じる時期があったり、セラピストであるはずの私に対して、どうしようもない憎しみを感じて時にはそれに呑まれてしまったり、「こいつのセラピーじゃだめだ!」と不信の塊になってしまったり。
…いや、もちろん、本当に私が合わなかったり私のセラピーではだめだという場合は、当然ながらもっと素晴らしい先生方のもとへ行っていただいて良いのです、いや、寧ろその方が良いでしょうから私も推奨します(笑)
しかし、これが、「(クライアントさんの)魔法陣」の強烈な力によってクライアントさんを振り回すことで起きてしまっているものである場合の方が、実は…断然多いです。
今では確かに、結果的にあなたを苦しめこれから更に危険を加速させてゆく魔法陣かもしれません。が、ここにやっと来るまで、今までは、この魔法陣によってあなたは自分を守ってきたわけです。自分を守るためにひとまずこの魔法陣を使うほか、なかったわけです。
だからこそ、今までの魔法陣に感謝をして労って役割を終えてもらって、魔法陣もあなた自身も卒業して、新しい金色のきらきら美しい、本当に空を縦横無尽に飛び回り可能性を次々拓いてゆくことができる、自分を解放する魔法に身を包み直すわけです。
しかし、今まで、古い危険な「魔法陣」で身を守ることを覚え、何かあったらそれを突き出してその後ろに隠れてしまうパターンがもう身に付いてしまっているわけですから、実はこの現象、当たり前なのです。
私のカウンセリングや心理療法を受けながら「密室」を感じ、もしかしたら逆に閉じ込められていくのではという恐ろしい不安をも感じ、私への憎しみを感じる…これは、出てきて当たり前です。
そして、私のカウンセリングやセラピーでご自身の人生の手綱をご自身で握る道へ踏み出していくご自身を「悪い方向へ行っているのでは?!これはまずいのでは?!」という振り分けをしそうになってしまうのも、当たり前なのです。それ自体が、今のあなたの魔法陣(世界の解釈の仕方)の構造なのですから。
私のセラピーが本当にまずいから、かどうかは、関係ないのです。
(ちなみに私はそうですが、セラピストはここで「本当に」セラピストのアプローチにまずさがないか確認するために常に更に外側の客観的な目を別に持っていますし、更には実際いろいろなところにスーパーバイズを受けにいっているはずです)
ご自身の可能性を閉ざす魔法陣に縛られ続けて来た、ご自身の人生の可能性にひたすらフタをすることで表向きとにかく、ご自身の身をその場しのぎで辛うじて守って来られた方(私自身もそうだったのですよ)は、今度こそ本当に「ご自身の人生の手綱を自分で握ることができる」可能性や道に触れたとき、逆に「密室に閉じ込められる(閉じ込められた)」感じを感じます。
そう感じる変換機能が働きます。
私はこういう時にも、「意識」を、目に見えない人生の登山道をのぼる白杖使用者(目の見えない人)、と例えます。
例えばですが物理的に視機能を使うことのできない白杖使用者である私は、「密室」つまり小さな閉め切った、中に何がどこにあるのかもちゃんとわかりきっている場所では、自分自身の「自由」を感じている”つもり”でいます。ただこれは仮初めの自由ですね。自分の行きたいところへはどこへも行けないわけですから。仮初めの安全、ですね。この場所が崩れたら私は本当に安全な場所に逃げることもできないわけですから。そして、この「安全」の中は、誰も入ってこない誰に会いに行くこともできない誰にも気付かれない、寂しくて悲しいわけです。
しかし、白杖使用者の私は、家から一歩外に出て、広い道や、広い広場に出たり、どこか広い場所に連れて行かれたり(連れて行かれそうになったり)すると、途端に恐怖の塊となるわけです。
頭では、手引き者が教えてくれるし守ってくれるし見守ってくれているとわかっていても、目が見えていないわけですから、見守ってくれているかどうか「目」では確認ができない。
それに、広い場所に連れ出されたら、私は、狭い場所であれば自由(?)に動けるのに、広い場所ではどこに何があるか、少し歩いたら自分のいる場所や向いている方向もわからなくなってしまうのではと思い込んでしまい、こんなに空気が澄んで流動して、音の広がりもすばらしい、開放的な空間であるのにも拘わらず、「密室」に閉じ込められたかのような感覚に陥ってしまいます。逆にまるで自由がなくなったかのように思い込み身動きとれなくなってしまうのです。
実はそれはどんなに暴れてもぶつかったりしない、広い、それでいて何かあれば声を発すればすぐ誰かが一緒に動いてくれたり、自分が自分流のやり方であれこれやってみても実は誰かが見守ってくれている…というような、実は本当の意味で自由に動くことができる場所なのに。
しかし、これは、やはり、「今まで狭い知っているところだけにいることが安全で自由だと思い込んでいた」だけのことなのですね。
少し前まで文字通りこんな生活をしていて、買い物ひとつ行けない。
自由ではありませんでした。
しかしこれを、「ああ、私も外を歩いて良いのだ、歩くことができるのだ。広いところでも移動できるのだ」と身体で知ってから、初めて、かつての自由と安全が、全く自由でも安全でもなく、寧ろ自分と自分の人生をどん詰まりと危険に陥れて、下手をすれば命の危険もある、救いようもなくしていくものだったと、気付きました。
(それと同時に、自由に外に歩いて出てみても良いのだ、と知って、手を伸ばし足を伸ばし世界へ出ていくことを知ってからは……こんな楽しい、面白い、感謝に溢れどんどん周りに広がっていく、こんな痛快はありません。楽しくしてどうしようもないものだということも知りました。「出て」から、初めて…気付きだすのです)
本当に当たり前のように「密室」しか知らなかった者は、「密室」を「密室」と感じることができないのです。もう当たり前の慣れ親しんだ場所なのですから。
そして、「密室」ではないものを「密室」だと感じます。もしかしたら、「密室ではないもの」はすべて、「密室」だと感じてしまいます。
本物の愛情、無条件のホスピタリティなどを知らずに来た人は、本当の無償の愛で関わってくれる存在ほど、敵(異物)に見えてしまいます。
本当の心地良い体感を自分で閉ざしてきてしまった人は、初めて本当の心地良さや希望を知ったとき、これを「いや、これは痛みだ、痛みに違いない!」と解釈して痛みとして感じてしまいます。寒い冬の空気の中で露天風呂に入ったら、身体が解凍するような瞬間が訪れ、一時的に痛みかのように感じますよね。
今まで、密室に引き籠って、だんだん空気が薄くなっていたりだんだん室温が氷点下に下がっていても、もはや気付かないまでになっている人は(実際、生きづらさを抱えた人たちは五感も薄く麻痺に近づいています)、そこの窓から「命綱」が入ってきたとしても、それを命綱と感じず、何か自分を脅かす敵、巨大な毒蛇か何かとでも感じてしまいます。
ちなみに…以前の記事で何回か書いていることの補足ともなるかもしれませんが、「だからこそ」命綱の方から、あなたの腕に近づき掴むわけにいかないのです。本当に本人が「…この毒蛇はなぜだか噛みついて来ない…しかも何もせず、(時には私が攻撃してすらも)ただ待ってくれている…」と気付き、「命綱」が「命綱」であると認識し、これを掴む必要をご自身が感じない限り、そうしてご自身で掴むまで、「命綱」は、実は毒蛇と思われようが何と思われようが、そこにいます。
あなたがもし、独りだと思う時、
あなたは「独りである」ことが問題なのではなく、
「独りだと感じてしまっている」こと、魔法陣により外界や自分の状況をそう解釈してしまっている症状こそが、あなたの人生の枷なのです。
もしあなたが、
自分の可能性、人生が閉ざされている、と感じているとき、
独りだと感じてしまっているとき、
もしかしたら、もしかしたら、
人生の可能性が、外界によって実際に閉ざされているのではなく、「人生の可能性が閉ざされている、と感じてしまっている自分」がいて、それは実はただ単に、自分を包んでいる魔法陣に思い込まされてしまっているだけかもしれない、
もしかしたら、もしかしたら、
本当に独りなのではなく、
「私はどうせ独りだと感じてしまっている」ことそのものが、魔法陣により感じているだけのことなのではないか、
と、少しだけでも、思ってみてください。
あなたは、絶対に、人生の可能性を”外側からは”押しつぶされたり閉ざされたりしていません。
あなたは、絶対に、独りではありません。
それを、一緒に証明することができます。
もし本当に苦しい時は、騙されたと思って、いらしてください。
あなたがもし苦しいなら、「騙されず」にあなたの魔法陣のルールの中で従い続けるよりも、一度パターンを崩してみた方が、突破口が開けるかもしれませんよ。
ちなみに、私のクライアントさんたちは、ご自身の魔法陣の慣れ親しんだルールの中で私とのカウンセリングや心理療法を密室と感じながらも、時に激しく私に対する憎しみが噴き出てきながらも、「それ自体が自分の魔法陣が自分にそう思わせてしまっているだけの症状なのだ」とせめて頭だけでも気付き、その憎しみをも私に苦しみとして素直にまっすぐ訴えてこられ、同時に「憎みたくない」という思いもぶつけてこられ、とりあえずご自身のセラピーに協力してみる、ということを少しずつ少しずつ重ねることで、気付いたらいつの間にか素晴らしい成長を遂げられています。
もし、あなたが何か生き苦しい、何か良くわからないけれど漠然と突破口を求めているような気がする、なら、
一度、遠慮なくお気軽にお声をかけてください。
「魔法陣」のしくみや、美しい魔法への入れ替え方、カウンセリングや心理療法、対人支援に必要な土台やスキル、ご自身の中のホスピタリティの発揮など、また更にはまずはご自身を最初のクライアントさんとしてご自身を癒して行きたい、そんな方々はこちらから。
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