エンパワーメントは「お互いに望んでいないことを選択する構図」から離れることで得られる
このnoteでは、子育てや家事について調べたり話を聴いたりしていく中で、僕が理解したことを少しずつ書き留めています。
前回は、「どっちつかずの状態よりも、明確に選択したほうがエンパワーメントされる」という話について触れました。
今回は、エンパワーメントされるかどうかの節目となる典型的な場面について書いてみたいと思います。
お互いに望んでいない流れを選択し合う構造
エンパワーメントされるか、そうでない選択をするか。
以前に書いた記事の中で、「洗い物を終えた皿に泡が残っていた」という場面のことを書きました。
こうした感じの「モヤモヤ」がたまっていく状況があるとき、夫婦間のそれぞれに以下のような背景を抱えているように思います。
「パートナーに分担した家事について、実施内容や仕上がりに対して、期待値とギャップがあるものの、なかなか言い出しづらい。
言うにしても、我慢・配慮しながら伝える。それが蓄積していくことで、たまに(臨界点を超えるタイミングで、)爆発する。よかれと思ってやったことに、不満(お叱り)が返される。(あるいは、気にせずにいたらやってないことに)
こうした構造にあることは、お互いに望んでいないと思います。
一方で、こうした状況が続くことを「仕方ない」とあきらめている感覚もあるのではないでしょうか。
(「のど元過ぎれば」的であったり、特に何も思わないように扱っていったり)
あきらめる以外に選択する道は「吐き出し、すり合わせ、先取りする」
こうした状況に対して「あきらめる」とは別の選択をしたい場合、どのようなことが必要でしょうか。
各家庭で、いろいろな対応をとられていたり、工夫されていると思います。
僕自身は、いまは以下のように理解しています。
①については
・日々の不満を都度吐き出す(お互いの過不足の認知を、思うままに)
・それぞれの吐き出し内容を相手に伝わる(抵抗感をわかせづらい)ように言語化する
②については
・地雷に関するすり合わせ(一般論的な正解を参考にしつつ、お互いが考える正解を認識を交わしていく)
・家庭内の生活の流れを踏まえて「先取り」となるアクションをとる
こうした対応を適宜とっていくことができれば、「あきらめる」とは異なる選択に至るのではないかと思います。
とはいえ、やはりハードルはあると思います。
「言ってることはわかるけど、それをやるのが難しい」
これまでに述べた「自己理解」等を通じて、やわらぐところも多いと思います。
一方で、それだけでは
「取り組む際のブレーキが大きすぎて、一歩を踏み出すことも難しい」
という感覚があるのではないかと思います。
次回は、このあたりについてどう扱ったらいいか、どういう支援やサービスがあるといいか、といったことを考えてみたいと思います、