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日記:熊本に行って永遠の命といわれた「テセウスのハチロク」の最後を見とどけた話

 皆様は58654号機と言う機関車をご存知だろうか。

 大正11年鉄道院時代に製造され、わが偉大なる地元である福岡が威信をもって改造に改造を重ね、全ての部品を交換してもなお熊本で動かすという、まるでSFのような大改造を重ねながらも今も現役で活躍している化け物機関車である。

 テセウスの船とは、

テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス(英語版) の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。

wikipedea-テセウスの船

 要するに朽ちた部品を全て取っ払ってしまって、全て新造したものを「同一車両」と言うのかどうなのか、という話なのであるがここで一つ疑問が生じる。

 よしんば機械の命ー「テセウスの船」となったところで、それらがアップデートされる職人やエンジニアがいなかったら、若しくはその維持できる資金がなければ、永遠の命とされるものは何のことはない、「有限の命」と化す皮肉である。

 58654号機の運用終了というのはなんだか私たちに問うものがたくさんあるな、と思わざるを得ない。例えば電子書籍や電子アーカイブ化と言うものは大学在籍中、歴史学や図書館情報学で頻りに話されたが、果たしてメンテナンスが容易な紙媒体に対し、デジタル端末が200年、300年と持つのかどうか。

そんなことを脳裏にかすめながら大正の人々も見たであろうSLの最後の姿形を写真だけではなく、有形ではない、記憶という形で目に焼き付けようと仕事の合間を縫いながら見届けた。

 道中、追っかけで終着の鳥栖駅にも訪れたのだが、子供達がSL機関士とともに記念撮影を応じている姿を見て、「大正から令和まで、幾何の人がこの58654号機と共に苦楽逢瀬を共にしたのだろうか」とふと感慨に耽り、やはり結局は「モノや形を残すのは人の情動なのだなあ」、と感じた。

 きっとこのような情動はまた、アーカイブや写真を超えた価値として残り続けるのであろう。

 SL人吉号「58654号機」は3月23日に101年と言う長い歴史に幕を閉じる。


終着鳥栖駅での賑わい 100年余りの喧騒を見つめたSLの最後

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