オーディエンス・アイデンティティから語る「VTuber」像―三珠さくまるさんのtweetからの考現学観察 #hinamonzyaゆる考現学観察雑記
キーワード:オーディエンス・アイデンティティ
・先日話題になっていたtweetが「これはもしや先行研究案件なのでは…」と思い好奇心から調べた話。
これについて、大学在籍時代にメディア論をかじったときにちらっと聞いた「アクティブ・オーディエンス(能動的なオーディエンス)」論を想起させた。
先ほどのツイートとこのwikiの記事を絡ませて考えると、『Vtuberファンという言葉自体がにじか、ホロのファンという意味だから、そもそも動画勢Vtuberとか言われても興味ない』というのは具体的に『VTuber』という定義の位相が完全に(チャネルからなにもかも)違うって話じゃないの…とおもって過去の論文をちらっと趣味のj-stageやらにアクセスして覗いてみた。
その記事と関連すると思われる記事。
特にこの部分に注目したい。
つまり、「熱心な消費者」と「生産者即消費者」の関係性でいうと、ホロライブなどの企業Vを消費している人々は『「ファンであること」への文化的承認が得られるようになった』チャネルでVTuberを語っているし、動画勢は『さらなる改良を追求する、既存のコンテンツの共同的で持続的な構築と拡張』を考えていますよね、という話。
明らかに個人の動画作成Vのほうが方針転換のしやすさ、ファンへの個々に対するミニマムなレスポンスと改良や、視聴側もVRChatやバーチャルキャストなどをつうじてやろうと思えば「生産者即消費者」へなりえますよね。ところが、企業のVを追い求めるチャネルはそうではないんですよね…
わたしはこのコント、大いに笑わせていただいたんですけど、結局企業Vのファンのチャネルってさきほどの論文でいうと『「ファンであること」への文化的承認が得られるようになったこと』が最大の行動原理であるので、『「ファン」として自らを位置付ける「オーディエンス」の個別の経験や語りに焦点があてられる』わけで、正に切り抜きといった話は『コンテンツの再消費』であって生産ではないということを念頭におくとわかりやすい。
つまり企業Vというものに芸能人の「ファン」としてファンクラブに入会して、「オーディエンス・アイデンティティ」を置いている、という感じ。では、5chで発言している切り抜きで視聴してる人は先程の論文で言うところの『あまりお金と時間を使えない”趣味的弱者”』であり、切り抜き側は自らのオーディエンス・アイデンティティとしての『文化的承認』を強固化するために提供している、という図式ができあがる。
それにたいして、個人V動画勢は一つ一つのファンが個別に存在して、「個々で動画をお祭りのように参加しながらオーディエンス・アイデンティティをインタラクティブに作っていく」という祝祭的文脈とそこで行われる演劇的要素として解釈をとれるような気がする。
そこに「Vtuber」という単語がなまじ意図する範囲が大きいため、Twitter・まとめサイト・5chをめぐって『カルチュラル・スタディーズ』(送り手が意図したように視聴者は解釈していない)ことがおきたのかな、と考現学的観察としては言えたりするんだろうか…と思った。
最後にPR:三珠さくまるさんの実際の動画(引用いっぱいしてごめんなさい)
やっぱりこうやってバーチャルキャストでわちゃわちゃみんなで個々にインタラクティブにやれるのは個人勢の強みですよね。良い。