「何でもできます」は当てにならない
こんにちは、FWRITINGの中村雄飛(なかむら ゆうひ)です。
最近、経営者の方とお会いすることも増えまして、気がついたことがあります。
タイトルにも書いたとおり「何でもできます」は当てにならないということです…。
モノを売る文章を書く仕事をしていると、結構、多くのことを勉強する機会が多くてですね…
広告のことを勉強したり、Webのことを勉強したり、デザインを勉強したり、マーケティングのことを勉強したり、経営を勉強したり、美容のことを勉強したり、健康のことを勉強したり、お酒のことを勉強したり、旅行を勉強したり…と、様々な知識が身に付いてきます。
それはそれで、良いことではあるのですが、自分が、何ができるか分からないことがあるんです。あるいは、できると思っていたのに、できなかったりとか。。。
話は戻りますが、経営者の方とお会いした際、頻繁に「色々やってます」みたいなことを言っている自分がいました。
何でもできるって聞くと、一見、スゴイように聞こえるのですが、つまるところ、相手の頭の中は、こうです。
「結局、何ができるの?」
その結果、よく分からない人に認定されて、省エネを好む脳みそによって、相手の記憶から削除される結果になります。
「大は小を兼ねる(大きなものは、小さなものの代わりにもなるみたいな意味)」という、ことわざもありますが、大きすぎても良くないこともあるようです。
ちなみに、この言葉の由来は、中国の春秋繁露の一説からきているそうで…
「賢者は愚者の振る舞いができるけど、愚者は賢者の振る舞いはできない」
という強烈な言葉から生まれたそうです。
そこで、思ったのですが、きっと、賢者って、ボンっと、大きいだけではないと思うんです。
小が積み重なって、大きいな存在になっているというか、中身がギュッと、詰まった大であって、ただ大きな存在ではないと思うんです。
小を経ているから大だからこそ、愚者にもなれるのかなぁと。
話がそれましたが、自分もハリボテの大きな存在ではなく、小が積み重なった大きな存在になろうと、そう思いました。
そして、仕事においても、一つ一つを極めることで、結果、何でもできることはあっても「自分にはこれができます」と、そう誇って言えるよう、まだまだ努力をしていこうと思います。
もしかしたら「何でもできます」というのは、自信のなさの表れだったのかもしれません。
人に誇れる自分でいられるよう、自分が何者なのか、何の仕事をしていて、
誰を助けたくて、結果はどうなっているのか?
自分自身を再度、定義していきながら、日々成長、日々精進で、仕事に励みます。
本日も、ご覧頂まして、ありがとうございます。
次回もまた、宜しくお願いいたします。
中村 雄飛