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不幸だと思っていたけれど本当はもうすでに幸せなのかも

ずっと、幸せになりたかったです。

今がつらくてしんどくて、不幸だと思っていましたから。
だから、いつの日か幸せになれることを夢見ていたのです。

でも、あるとき諦めてしまいました。
僕は幸せになれないし、なる資格もないと。
ちょうど現実が絶望で満たされていたときです。

そのときは、こんな毎日がいつまでも続くと思っていましたから。
だったら最初から何も期待しない方が楽でしたし、それ以上傷つくこともありません。


それからしばらく経ちまして、昨年の夏頃のこと。
あるときふと思ったのです。

僕は多分幸せなのだ、ただそれを実感できていないだけで、と。

詳しく言うなら、相変わらずつらいことの多い現実を生きていくために今はきっと幸せだと仮定して、だからそれを感じられるようになるだけで良いのだと、そう考えておくことにしたのです。

だって幸せなら、つらく、しんどくなる必要なんてありませんから。
そうしたら、生きているのも案外悪くないかも? と思ったり思わなかったり。


何が幸せかって、当たり前のことだと思ってわざわざ意識にも留めないことです。例えば、

今日は天気が良くて気持ち良いとか☀

反対に今日は雨で部屋の掃除が捗るとか☔

目覚ましのアラームが鳴る前に起きられたとか⏰

布団の中で微睡むのが心地よいとか

炊きたてご飯🍚がおいしいとか

厚切りの食パン🍞がおいしいとか

今日も車🚗の調子が良かったとか

ENKEIのPF07が格好いいとか

ガソリンが少し安くなっていたとか

そよ風が爽やかで心地よいとか

雲の切れ間から太陽の光が差してきれいだったとか⛅

冷房が効いていて涼しいとか

午後の紅茶がおいしいとか

お弁当がおいしいとか🍱

サラサクリップの書き心地が最高だとか

ピュアモルトが好きとか

本屋さんで面白そうな本を買えたとか📕

推しが尊いとか✨

YuNiちゃんがかわいいとか


真っ赤な夕焼け🌇に心を奪われ

温かい珈琲☕でひと息ついて

ゆっくりお風呂に入って癒される

そんな、ごく当たり前なことです。




……。

運転適性検査の試験会場で1つ前の席にきれいな女性が座っていたり
お昼に行ったお蕎麦屋の店主さんの威勢が良すぎて可笑しかったり
仕事帰りの列車が赤電で嬉しかったり
春菊のおみそ汁にほっこりしたり
レンチンしただけのがんもどきの滋味深さにしみじみしたり
ヤマザキの吹雪饅頭の甘さに酔いしれたり。

なんのはなしですか。

……え? 最近のある1日のよかったことです。
忘れないように書いておこうと思いまして。


そう、この世界はこんなにも幸せなことで満ち満ちています。
自分の考え方や捉え方を変えれば、すぐそこへ手が届きそうです。
自分の殻に閉じこもるなんて勿体ないのかもしれません。

甘い考えでしょうか。
それともこんなこと幸せとは言わないのかな。
いつも上っ面だけで、どん底に落ちたこともないから分かった気になっているだけかもしれませんけれど。

とはいえ僕も、なんだか気分が沈むことなんてしょっちゅうですし、心を閉ざしたくなるときだってあります。
そんなときには幸せが云々なんて考えていられないし、考えたくもありません。


けれど、この世界は絶望しかないとふさぎ込むよりも、幸せに満ち満ちていると考えた方が、生きる希望にもつながりますし精神衛生上よろしいかと思うのです。

今はまだ心の余裕がそれほど無いし、ついマイナス思考に陥ってしまうからすぐには難しいかもしれません。
でも何があっても自分のことをなるべく否定しないで、全てを受け入れることで感性を高めていって。

今の自分の感情をしっかり味わいながら、周りにも意識を広げていけば、あるいは。
この世界が変わらずとも、幸せになれるでしょうか。

もし幸せにはなれなくても、日々の生活の中に様々な喜びを見出して、いつもご機嫌でいられたなら、それはきっと楽しいに違いありません。


そうしていつの日か、

「あの日々はとても楽しく幸せで、かけがえのないものだった。生きてて本当に良かった」

過去を振り返ったときに心からそんな風に思える人生でありたいな、そうしていけたらいいな、と思います。



ありがとうございました🍣。

一応まだ紫陽花の時期かな

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