もう食べられないお味噌汁
母方のジジ(おじいちゃん)はお調子者。
ん?お調子者…?誰にでもすぐ声かけちゃうし、明るくて、かまってちゃんで、すぐちょっかいだしてきて…なんて言い表せばいいんだろう。
小さい頃の私の周りにはいないタイプの人だった。ジジといると調子が狂う。小学生ながらにそんなことを思っていた。でも、嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだった。それを言葉にしたことはないけど。
いい加減で適当に見えるのに、実は器用で几帳面。お母さんが言うには、「アイロンはジジが一番うまかった」そう。ご飯も作る、掃除も積極的にする、私たち孫のことを人一倍可愛がってくれる、ジジの世代にしてはなかなかの育メンだったのかも。
そんなジジの作るご飯が大好きだった。
ジジの炊いてくれるご飯は普段のお米よりふっくらしていて、ツヤがあって、形が残っている。食べた時のほろほろ感、甘み。私を白米好きにさせたのは恐らくジジだ。
卵焼き、なめろう、つくね、捌いてくれた刺身、揚げ出し豆腐、きんぴら……酒飲みだったジジが作るものはお酒の肴が多かった。全部大好き。
「あなたはきっとジジみたいにお酒に強くて酒飲みになるわよ(笑)」なんてお母さんに笑われた。それがとっても嬉しかった。
一番好きだったのは、朝必ずジジが作るお味噌汁。
お泊りしたときの楽しみの1つ。具は豆腐とわかめ、ねぎ。いたって普通。でもなんでだろう、出汁が効いていて、じんわりとお腹が温まってくるような味。薄めだけど、それが具材の旨味を引き立てている。
ジジのお味噌汁に勝てるものがなかった。
私もいつかあんなお味噌汁を作れるようになりたい。
だけど、「おいしい」と伝えたことがあったか思い出せない。
ジジのすごさを痛感したのは大学1年生の時。
北海道で一人暮らしをすることになり、自炊生活が始まった。最初は「あさげ」に頼りっぱなし。大学2年生の頃、自分で作ってみるか、、と重い腰を上げた。
ぜっっっっんぜん近づかんーーーーー
味噌か!?出汁なのか⁉何で出汁とってたの??
てか、出汁毎朝取ってたの!?ジジ、まめだな!!!!
お味噌汁の奥深さを知った。ここらが商品開発へのきっかけかもしれない。試行錯誤して作ってもジジの味にはならなかった。むしろ、あさげの方が近い。
「夏休み帰った時に聞こう」
夏休みには必ずジジの家に泊まる。お盆の時期、私の誕生日の時期。
誕生日を迎えたら二十歳。ジジとやっとお酒が飲める。お酒を飲みながら、「ジジのお味噌汁が一番おいしい。あの味が作れないんだ。」って相談しよう。それでお味噌汁のレシピと一緒にいくつか簡単な料理を教えてもらおう。
一本の電話。
ジジが亡くなった。
「すぐに帰る」
「定期試験があるから北海道にいなさい」
泣き崩れた。
何も伝えられてない。
ジジの作る料理が世界一おいしいことも。一緒にお酒飲むのを心待ちにしていたことも。最初のお酒はジジと一緒に「アサヒスーパードライ」って決めていたことも。大好きだったことも。
直接ジジには伝えられなかったから、その分たくさんの人に伝えよう。
おいしいこと、好きなところ、ありがとう、全部。あとで後悔しないように。
私の誕生日はジジが帰ってくる日。
なんたってお盆だから。
いい時期に生まれたでしょう?
毎年隣で飲めるよ。
今年もとっておきの1本を抱えて帰るよ。
減らないお猪口になみなみ注ぐから。
一緒に乾杯しよう。
そのあとに私のお味噌汁食べてよ。
結構自信あるんだ。
まだまだ、ジジには程遠いけどさ。