【コーミンで働くひとインタビュー①】地域包括支援センターの包括管理者
―――南川美雪(仮)さんはコーミンでは、どんなお仕事を担当されていますか?
地域健康事業部の部長です。メインの仕事は、大東市の地域包括支援センターの統括的な役割を担当させてもらってます。
―――地域包括支援センターって最近よく耳にしますが、どんなところなんですか?
ひとことで言えば、高齢者とその家族の「なんでも相談窓口」ですね。介護や健康にまつわる相談はもちろん、保険、年金、相続のことや虐待、家庭内でのトラブルなど、本当にいろいろなご相談に日々対応しています。
―――じゃあ、「包括」っていうのは、つまり「なんでもまるごと」ってことなんですね。
はい。なんでもアリ。高齢者が生きていく上でのすべての相談OKです。この赤いパーカーや赤い車を見たことありませんか?85歳にして元気いっぱいのキャラクター・鶴田亀代さんが目印です。
―――わっ、インパクトありますね。
地域包括支援センターには市民のみなさまからさまざまな相談事が持ち込まれますので、センターに所属している保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士といった、いわゆる「その道のプロ」たちが、文字通り市内を東奔西走しながら、地域の高齢者の生活を支えるお手伝いをしています。
―――お話を聞くだけでも大変そうですね。
はっきり言って大変ですが(笑)、職員たちはみんなプロとして、この仕事に誇りと生きがいを感じて毎日がんばっています。まさに「包括」なので、ご相談になんでも、まるっとオールマイティに答えられるぐらいのスキルが必要な仕事です。経験を積めば積むほど対応できるお悩みの種類も増えていきますので、やりがいありますよ。
―――ある意味、おひとりおひとりが「職人」的なんですね。
そうですね。私はそんな「職人たち」を管理したり指導したりする立場なので、これはこれでなかなか一筋縄ではいきません(笑)。これが、地域包括支援センターのパンフレットです。これを見てもわかるように、大東市の地域包括支援センターの大きな特長として「介護予防」が挙げられます。つまり、積極的に健康寿命を伸ばして、元気なおじいちゃん・おばあちゃんを増やす取り組みに力を入れています。
体は使わないでいると、だんだん動かなくなって最後は寝たきりになってしまいます。要介護度を悪化させないように、家族やヘルパーさんに任せっきりにせず、できることは自分でやる。そんな、「介護予防ケアプラン」の作成も、私たちの大切な仕事です。
―――あと、元気でまっせ体操も。
はい。高齢者のみなさんに「大東元気でまっせ体操」に継続して参加してもらうためのサポートも、地域包括支援センターで推進しています。
―――大東市で「介護予防」が盛んなのは、どんな理由があるんですか?
大東市だけでなく、日本全体、いや世界全体の社会課題として「高齢化」があります。平均寿命が伸びるのは素晴らしいことですが、そのための社会的負担も増えていきます。介護医療費の増加とか。なので、大東市はいち早く“元気な高齢者”を生み出す取り組みを進めきていて、行政やご家族の負担を軽減しつつ、高齢者ご本人にとってもイキイキ自分らしく自由な生活を満喫してもらえる街を創っているんです。
―――地域包括支援センターの業務を、民間企業であるコーミンが(市から)請け負っていることのメリットは、なんでしょうか?
地域包括支援センターは全国各自治体にあるんですが、大きくは直営型と委託型に分けられます。直営型は、自治体が直接運営するんですが、このカタチは少ないです。ほとんどは委託型で、街をいくつかのエリアに分けて、それぞれを医療法人さんや社会福祉法人さんなどに委託しています。ただ、これのデメリットとしては、エリアごとに請け負っている法人が違うので、微妙に受けられるサービスが異なってくるんです。
―――同じ市内なのに、エリアによって違ってくる。
そう。例えば、こっちのエリアは医療法人が受託してるから看護師さんが充実してるけど、こっちは社会福祉法人なのでそれほどでもない、とか。こっちのエリアで回ってる回覧板が、こっちでは回ってない、とか。
―――なるほど。
ただ、市が直営するのは負担的にも人材的にも難しいので、大東市では昨年度から、全国初の「民間運営による基幹型」の地域包括支援センターをスタートさせまして、その委託をコーミンが受けているんです。
―――基幹型、ですか。
はい。市からコーミンが委託を受けて基幹型地域包括支援センターとなって、コーミンから各エリア(4エリア)それぞれの地域包括支援センターに業務を振り分けて実働してもらう、というスキームです。
―――つまり、コーミンが全体のハブになるんですね。これだと、エリアごとのサービス格差も解消されますね。
医療法人さん、社会福祉法人さん、それぞれ持ち味がありますので、いわばそれを寄せ鍋にして、いいダシをつくるのがコーミンの仕事であり、法人の壁を超えて差配できるのがコーミンの包括の「新しさ」だと思いますね。
なんせ私、人がやったことない、新しいことが好きなんです(笑)大東市で仕事をはじめたのが2000年です。医療法人で看護師をしてまして、それまでは東大阪市にいて異動で大東市に来ました。大東市に来てからの新しい経験のひとつとしては、住道駅の南側に府内でも珍しいシルバーハウジングという24時間の見守り機能が付いた施設が府営住宅にでき、その立ち上げをお手伝いさせていただきました。当時の大阪府知事も視察に来られました。その他にもエリアの地域包括支援センターの立ち上げや所長もやってましたし、できたばかりの頃に訪問看護師もやってました。ケアマネジャー試験も初期に受けてケアマネの事務所の立ち上げも経験しましたし、介護老人保健施設などにも携わってました。で、年齢も50を過ぎて、また「何か新しいことをやりたい!」と思っていた矢先にコーミンからお誘いをいただきました。
―――ずっと高齢者にまつわるお仕事をされてきた、まさにプロフェッショナルですね。ちなみに、コーミンの前におられた介護老人保健施設というのは?
私がいたのは、在宅復帰強化型と言われる老健で、つまり「リハビリなどで元気になってまた家に帰ってもらう」ための施設でした。
―――あ、では、大東市が掲げる「介護予防」推進に近い存在ですね。
はい。まさに健康寿命ですね。後悔しないように、イキイキと長生きしていただきたいと思っているので。
―――これまでのキャリアのなかで印象的だったエピソードは?
たくさんあり過ぎて(笑)あるご夫婦がふたり暮らしで、旦那さんを介護されていたんですが亡くなられて、奥さんがひとりぼっちになって、どんどん落ち込んでいってしまって。ご近所から頼まれて見に行ったらガリガリに痩せてたんです。旦那さんが生きがいだったんでしょうね。でも、押入れを掃除していたら三味線が出てきて、「三味線やってたの?」て聞いたら、「うん、若いころに」て。「ほな、三味線、また習いに行きましょ」言うて。知り合いの三味線のお師匠さんのとこに一緒に行ったんです。結果的に、三味線は高齢でもあって難しかったんですけど、同じお師匠さんがやってはった民謡教室にハマりはって。最初は「私よう歌わんわ」って感じやったのが、そのうち「もう、うるさい」ていうぐらい歌わはるようになって(笑)
―――新しい生きがいを見つけはったんですね。
人が変わったように元気になられて。私のことも信頼してくれるようになって、私が家に行く日に、わざわざお寿司とお味噌汁を用意してくれた時なんかもあって。それも、お寿司のシャリが固くならないように、ちゃんと新聞紙でくるんで冷蔵庫に保管して。ルールがあるんで食べることはできませんでしたが、有難くてね。長年、高齢者にまつわる仕事をやっていると、そういう“忘れられない人”が必ずいますね。
―――モットーは?
大事にしてるのは、もともと看護師なんで「命」。命にかかわる仕事だということを意識してほしい、と。これはコーミンの職員さんにもつねづね言ってます。
エラソーに言うてますが、若い時は、お年寄りが苦手でした。でも、「誰もがじぶんの思い通りのおじいちゃん・おばあちゃんにはなれない」ということが、この仕事の経験と、自分が年をとってきたこともあって、わかってきた。認知症なんか、その最たるもので。誰もが年をとる。それなら、最後まで元気にイキイキしていてもらいたいし、そのお手伝いができるのは「徳」な仕事だと思います。
インタビュー①おわり/インタビュー②につづく
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?