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【コーミンで働くひとインタビュー②】ズンチャッチャ夜市の運営プロデューサー

―――ジャスミン詩歩(仮)さんは、コーミンに入社されたきっかけは何ですか?

もともと、まちづくり系のことが嫌いではなかったので(笑)。住道エリアプロデュース戦略策定のためのワークショップに声を掛けてもらって参加しました。その後「まちづくりを一緒にしませんか」とお誘いいただき、働くこととなりました。

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―――まちづくりに興味を持たれたのは、なぜですか?

1991年、結婚を機に神戸市から大東市に来たのが21歳。その時は、まちづくりやボランティアには全然興味ありませんでした。でも、大東市に住みはじめて2年目に子どもが生まれて。そのころ世間では育児サークルというのが流行ってたんですが、私が住んでいるエリアでは無くて、当時、野崎や諸福の児童センターでは育児サークルの機能があったんです。「なんでうちの近所には無いんやろ。ほな、自分で立ち上げたれ」と思って、こどもが生後10ヶ月くらいの時につくったんです。正直、そんなに参加者こないやろ、と思ってたんですが、フタをあけたら20数人も希望者がおられて、自分の家でやろうと思ってたんですけど、全然スペースが足らなくて。急いで広めの場所を探しはじめたんですが、なかなか貸してくれるところが無くって。子どもが20数人って言うと「静かにできますか?」とか言われて「いやいや、乳幼児に黙れ言うても黙りませんし」とかって交渉しながら、はじめて、子どもがいると住みにくいまちやな…って思ったんです。市役所とか保健所とかにも、相談に行ったりとゴソゴソ活動してるなかで、役所とかの道理の悪さを痛感した次第です(笑)。

―――なるほど。

で、保健所に何度もアタックして、共感してくれる看護師さんと巡り会って、その方が上司に掛け合ってくれて保健所の広い部屋を貸してもらえることになりました。

―――粘り勝ちですね(笑)

そのとき、保健所の定期健診で子どもが発達とか何かでひっかかってしまったり、子育てで悩んでいるママが多いので、そういう人を受け入れて欲しいと言われ、対応もしました。

市の児童センターの子育てサークルでは年に一回、市のバスでバス遠足に親子で行ってたんで、私らもやりたい!と思って、これも市にかけあったんです。でも、拒否されて、「同じ市民やのになんでやの?」と。自主的な活動では「責任の所在が無い」って断られたんです。結果的に、諸福児童センターのセンター長さんのご協力で、私らもバスを借りられるようにはなったんですけど、無条件ではない状態に「なんでやの?」というわだかまりは残って。

―――ここでも交渉。

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その後、子どもが幼稚園に入園したので、育児サークルは引き継いでもらって、より多くのお母さんたちを支援できるような新しいグループを立ち上げました。この人だ!と思った講師の方に交渉して話をしに来ていただいたり、座談会やハンドメイド体験企画など、月齢制限なしの託児付きで開催したり、新たに育児サークルを立ち上げたい人のサポートをしたり、子育て情報誌を発行したり。保育士免許を持っているスタッフもいたので、市民保育ボランティアを募集してイベント時の託児の協力もしてもらっていました。運営は、自主事業などを有料にして活動資金の確保をしてました。

そんな活動をしている時に、大東市に『子育て支援センター』ができると知ったので、“公と民で連携しないか”と交渉にいきました。が、けんもほろろ。挙句に「こんな事してないで自分の子どもをちゃんと見てあげなさい!」と偉そうに言われる始末(笑)。

―――ずっと、「公」に対しての違和感というか、動きの悪さを感じてはったんですね。

行政の手が届かいない部分を、私たちは手弁当で助け合ってやってるのに、どうして協力してくれへんねやろ。このまちって、ずっとこのままなんかな…って。そのあたりから、自分の住むまちについて考えるようになりました。26歳ぐらいやったかな。

ちょうどその時期に市が市民参画の「大東顔づくり委員会」を発足され、子育て世代の代表として参加してもらえませんかと依頼をいただいて出席したり、公民館の連絡会の役員や、公民館が発行する冊子の編集委員をしたり。そんなさまざまな活動のなかで、大東市って私がこれまで知っていた『市』より、随分コンパクトで身近だなと感じて、案外簡単に自分達で関わっていけるな…なんて、まちづくりにますます興味が沸いてきたんです。

元々は育児サークルを発足したことがきっかけで、問題点がいろいろ見えてきて、それを解決する人がいないこともわかってきて。「じゃあ、自分でやろう」と。「こんなんあったらいいなぁ」って言うてるだけじゃなくて、自分たちで知恵を出し合って解決していこう、という気持ちになってきました。あと、他人につくられたルールに従うんじゃなくて、自分たちでつくったルールでやりたいしね(笑)。

―――参加型ではなく参画型。

グループの名前ひとつ決めるのも、代表者が決めるんじゃなくて、アイデアを募ってメンバーで決める。代表者はグループの目指す大きな指針と、その実践方法を決める。育児サークルの場合は『子どもたちのため』だけじゃなくて、半分は『お母さんたちのため』という意識で取り組んでました。

―――「自分たちのための取り組みなんだ」と思ってもらうシステムづくりということですね。

ズンチャ5

―――月に一回、住道駅前の橋の上のデッキで開催されてる『ズンチャッチャ夜市』は市内外の飲食店さんが出店されて、音楽イベントなんかもあって、とても賑わってます。この夜市の運営を担当されてますが、これは立ち上げから?

立ち上げから関わってますが、最初は主担当ではなかったんです。途中から「やるよ!」って言っちゃって(笑)。「これまで無かった価値観を創っていく」という感覚でしたね。

市内外の飲食店さん40店ぐらいに出店していただいてますが、出店者さんにも「いっしょに創り上げてるイベントなんだ」って思っていただけるように、プロデュースしています。単なる「販売の場所」という気持ち以上というか。あと、売る人がその商品に思い入れがあるかどうかも重要ですね。

セルさん

―――すでに20数回やられてますが、いかがですか?

実施前や直後は「大東でこんなイベント無理やろ!」って言われてたんだけど、実際には多くの方が来て楽しんでくれています。それと、予想外は、他市の行政や活動団体が見学に多数こられることですかね。SNSで夜市写真と共に『大東やるやん!』『大東で自慢できる祭りができた』『ズンチャ続けて欲しい』とか書かれてあったのを見た時には、本当に嬉しかったですね。

―――それだけ反響があるんですね。

おかげさまで、公民連携事業の成功例として、メディアで記事にしてもらったり。平日(水曜)の夜にお酒が飲める月1イベントって、珍しいんですよね。住道駅は平日の乗降客数が多いのと、ちょうど水曜ってノー残業デーの会社が多かったりして、意外と仕事帰りの男性のお客様も多いですね。リピーターも多い。アンケートを読むと、「大東市で初めて楽しいと思える飲食イベントです」とか「お洒落だから他市の友達も誘いやすい」という言葉もあったり。早い時間に、子連れでママさんが飲みに来ることもあったりします。

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―――メインターゲットは“すっぴん女子”と設定されています。

同じくコーミンで編集をしているタウン情報誌『Nukui』のターゲットも“すっぴん女子”です。WEBでも読めるので、ぜひ読んでみてください。

“すっぴん女子”を簡単に説明すると、化粧をしていない人ではなく、心がすっぴんな人。男性も含んで。ブランド思考ではないけど良いモノを求める・行動力があり分け隔てなく世話好き・おごらず見栄を張らない・地域での暮らしを楽しんでいて皆がちょっと憧れる存在。そんな人のことを指していて、その“すっぴん女子”に集って欲しいんですよね。

―――夜市の運営やタウン誌の編集によって、どんなまちを創っていきたいですか?

このまちに住んでることに誇りをもって、楽しみのある生活を過ごせたり。人との繋がりが盛んで活気のある、そんなまちになって欲しいですね。実は、私の次男は中学生で障がい児なんです。そういう子も、お年寄りも、もちろん“すっぴん女子”も、みんながお互いを認め合って自分らしくイキイキと共生できるまちが目標ですね。

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―――夜市がおこなわれている住道駅では、ストリートピアノの演奏イベントも最近はじまったそうです。イキイキと心浮きたつメロディが聴こえる街。ますます、大東市から目が離せませんね。

インタビュー②おわり/インタビュー③につづく

インタビュー①【ホーカツの赤い情熱】
https://note.com/coomin_daito/n/n5a853781c76e

インタビュー③【オレンジ色の研究】
https://note.com/coomin_daito/n/nb576f360494f


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