コンドラチェフ波動。そして、まちづくり青年たちの心理。
こんにちは。コーミンのPRをお手伝いしている、コピーライターの山中です。今日は、「まちづくり」などソーシャルな取り組みに積極的な若者の心理について、ちょっと気付いたことを書かせていただきます。
最近とある仕事で、”コンドラチェフ波動”という経済用語を知りました。ちゃんと理解したい人は大阪経済大学さんのこのページ等を参照いただくとして、簡単に言うと、「景気は50年周期で循環する。そのきっかけとなるのは画期的なイノベーション(=技術革新)である」というもの。
で、直近のおおきな技術革新というと90年代、アメリカ西海岸から起こったIT革命で、そこからいわゆるGAFAMやBATHといった世界的デジタル企業の今日の勃興につながっているのですが、はたして世の中のぜんたいの景気がよくなったかというと「???」です。庶民感覚としては、一部の企業や投資家が富を独占して、大多数の人々は相対的に貧しくなっているのではないか?なんでだろう?
そんな疑問があったのですが、昨日、ある本を読んで個人的に「なるほど」という感じになりました。
IT革命によってもたらされた変化のひとつに、『さまざまなことの限界費用がゼロに近づき、あらゆることが「共有」しやすくなった』ことが挙げられます。これもちゃんと理解したい人はググっていただきたいんですが、簡単に言うと、「情報であっても製品であっても安価で製造や複製コピーしやすくなったので、他人とシェア(=共有)しやすくなった」ということ。
そのため、すごく大雑把に言うと、(特に先進国で)広義のものづくりにかかわっていた労働者の仕事が減ってしまって彼らにお金が回らなくなった、というわけです。人件費の低い国で生産して世界中に売りさばいているファストファッションや、もはや製品を生産する必要さえ無くしたメルカリみたいなサービスを思い浮かべてもらうと、わかりやすいかもしれません。
で、ここからは私の勝手な解釈なのですが。
世界は、所有型社会から共有型社会に、変化してるのではないでしょうか?
つまり、「所有するきもちよさ(=”おかね”がないと得られない快感)」から、「共有するきもちよさ(=”いいね”がないと得られない快感)」に、人々の、特に若い世代の欲望は進んでいってはいまいか?
私は正直、メルカリで売り買いしたり、シェアハウスに住んだり、仲間内だけでこじんまりフェスしたりしてる若者を「おかねが無いのかな」という目で失礼ながら眺めていたのですが、いやいやそうじゃなくて、彼らはおかねで何かを「所有するきもちよさ」よりも、何かを誰かと「共有するきもちよさ」のほうが「きもちいい」から、そうしてるんだ。と、ようやく思い至りました。モノやコトを共有したり、情報や感情を共有したり、時間や空間を共有したり・・・。
そして、何かを誰かと「共有するきもちよさ」の量や質をアップさせてくれるのは、おかね、ではなく、いいね、です。いわば、共有型社会での通貨は”いいね”なのです。共感とか信頼とか縁とか、いろいろ言い換えられると思いますが、私は「徳」が近いんじゃないかと思います。得ではなく徳。徳を積む、の徳です。かの松下幸之助翁は、「人間にとっていちばん尊いものは、徳である」と言いましたから、これはこれで、稼ぐのが大変なしろものではありますが、”いいね”をたくさん持っている人・与えてくれる人のところに、とてもきもちいい共有案件のお誘いがたくさん集まってくる。みたいな。
ここ数年ずっと不思議だった、「おかねに興味があまり無さそうな若者」や「いきなり田舎暮らしをはじめる若者」、そして、コーミンにとっては有難い「まちづくりやコミュニティデザインに積極的」な若者の心理が、ちょっと理解できました。
ざっくりまとめ ❶ソーシャルな取り組みは「いいね」を稼げる楽しさがある ❷若い世代ほど「所有の快感」よりも「共有の快感」を重視。その通貨は、いいね ❸それはデジタル革命によって「いろいろ共有しやすい世の中」になったから
いかがでしょう?間違ってたら、すいません!
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