『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』大人になったシンジくん
去年の今頃は求職中だった。
世の中も自粛モードだったこともあり、これを機に長い作品を一気に観てみようと思った。その作品のひとつ『新世紀エヴァンゲリオン』。
なんでもっと早く観なかったんだろうと思うくらい一気に引き込まれたが、きっとこのタイミングで観る意味があったんだろう。
庵野秀明監督の作品はこれがはじめてではなかった。
『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』を観ており、中でも前者は私の中のお気に入りの上位を飾る作品である。
『新世紀エヴァンゲリオン』を観たことにより先日、最終話とされる『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を映画館で観てきた。私にとっては映画館で観る最初で最後のシリーズ作品だ。
この作品を語るにはまだ早すぎるくらい内容は深いのだが、今の私なりの思いを綴っておこうと思う。
死をやさしく受け入れるということ
シンジは幼きころからお父さんと向きあうことを避けてきていた。「わかってくれない」という思いがずっとあり敵対心があった。
そのお父さんも、奥さんのユイさんを亡くした闇を抱えていた。現実を受け入れることができなかったことから、はじまった物語ではないだろうか。
シンジも身近な人の死に直面する。ストーリーの最後にはきちんとやさしく受け止めることができていた。そんなシンジにお父さんは救われるのである。
「わかってほしい」から相手の心に耳を傾けられるようになったシンジでもある。
人それぞれ孤独という闇をもっている
シンジ以外にもそれぞれ自問自答するシーンがある。最終的には誰かの手で救われる そんな気がする。
大人になったシンジ
決断する=大人になる ことを知ったシンジ。
使徒になったアスカのエヴァを、息を止めることも助けることもできなかった。それを父のせいにしていた。それまでの生き方も誰かのせいにして生きてきている。
アスカと再会した時に殴られそうになったシーンがある。自分を助けなかったから怒ったわけではなかった。決断して行動しなかったことが腹立たしく思ったのだ。アスカは先に「大人」になっていた。
「自分で決断し責任をとる」
このエヴァンゲリオンはシンジの大人になる過程を見守って観ている気にもなる。
私がなぜ今この作品を観ることになったのかはっきりわかった。
この映画を観て思ったのが「先を越されてしまった」ということ。自分の胸に突き刺さった。
まだまだ謎があるからこそ
世の中にはたくさんの作品がある。同じ作品で立ち止まるのはもったいないのでは?と思うかもしれない。
だけど私は気に入ると同じ作品を何度も観たくなる性格なのだ。
そんな作品に出会えることってとても幸せなことではないかと私は思う。
謎があるからこそ、何度も何度も観たくなる。