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無駄なことほど輝いて見える

私には家から最寄りまでの20分の自転車走行が必要である。
それをしなければ電車に乗ってどこかに行くことが出来ない。つまりのところ辺鄙な場所に住んでいる。

私はこの20分を如何にスマートに走行するかに勝負をかけている。
それは朝っぱらの月がまだ輝く時間から、また仕事終わりのしょぼくれた身体に化けている時間からの走行、という
憂鬱なのに不可避なミッションを毎日マストで成し遂げないといけないから。
だから少しでも無駄な時間を省くことに神経を研ぎ澄ましいる。

朝は必ず分単位、52分に家を出る。
帰りは、いきなり急な右折をかました直後に急な坂を登らないといけない道のつくりになっている。
だから、急カーブの途中から自転車の変速を5から2に変え、ある程度助走をつけ、
絶対途中で止まらない意志を持ちながら、
しょぼくれた身体で一気に駆け上がる。
これが、何千回と同じ道を繰り返してきた私の身体に染み付いた、
無駄を省いたスマートな走行。


数日前の帰り際、自転車を揺らしながら予測不能な動きで私の前方を走る危なっかしい小学生が居た。自転車が道を進むための物ではなくて、遊び道具になっている有様だった。
楽しそうだった。

そしたら、私の若々しい頃の無駄と好奇心に溢れた登下校を思い出した。
フウセンカズラのハート模様の種をポケットに入れて喜んだり、
オシロイバナの蜜を吸ったり、
(そしたら犬のおしっこかかってるから汚いでって誰かに言われた記憶がある)
線を踏まずに通れるかゲームをしたり、
手に水のりをつけて乾燥させて、下校中にそれをめくったり、
とにかくよくもこんなに…と思うほど必要のない愉快なことで溢れかえって輝いていた。
(きっとそれは必要なことなのだろが今の私には到底必要でないこと)

簡素化されてスマートに効率よく、
如何に労力を使わず省エネで1日を終えるか、
最近はそんなことにすごく脳を使っていたなと思う。
だからくねくね走行する小学生が輝いて見える。
豊かさが欲しい。




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