こっこ

4月から社会人の管理栄養士。 必死で余裕のない毎日です。大好きな「食」をひたすら考えられる毎日です。 日々の何気ない思考をエッセイとして投稿。 noteを通して新しい言葉に出会えたことに感謝します。

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これを愛と呼ばずに何と呼ぶ

優しい嘘 少し前のお話。 私が外出しているタイミングで、なぜか私以外の家族がマクドナルドを食べる事が多いのです。 ”私が外出している日の昼食はマクド” がジンクスのようになっている・・・?私の家は基本的にあまりマクドを食べないので(外食も少なめ・・・) 私だってマクドが食べたい。 いつも家に帰ってきたら、ゴミ箱に袋とかのカスが捨てられてあるんですよね。いくらちっさく畳んでゴミ箱に捨てても、黄色の「M」が見えているんだよってね。それが何回も続いたある日、 どうやら父、母、姉の

    • 何もしていない時間に焦る理由

      なぜか 予定があるわけではなのに、月曜日に有給を取りました。 せっかく三連休なのに、土曜にしか予定が無いなんて。 有効的でない有給の取り方にちょっと反省しています。 だから暇を持て余すよりかは何かしている感覚が欲しくて、 今noteを開けてタイピング中です。 こんな使い方でnoteしてるんかい…と 自分でもあんまり嬉しくないのですが、 「ちょっと何かをしている風」を作ってくれるnoteには感謝・・・。 暇なら暇でぼーっとする幸せな時間を感じたらいいんですけど、 それはもう

      • お金では買えないものを見失っている。

        毎月給料が入るようになり、お金を自由に使えるようになり、 購買への躊躇が前に比べると格段に少なくなり、 欲しいものを考えて吟味して、手に入るようになりました。 自由のうちの1つを手に入れられている感覚です。 でもそれと同時に、 お金では買えないものが多くなってきている気がします。 お金で買えるものと買えないものの量は反比例するんでしょうか。 それとも歳をとっていくにつれてこの感情はある程度当たり前なのでしょうか。 なんだか日々がのっぺりします。 単純な言葉で言い表すと、ド

        • 自分の選択を「正しかった」と思える選択にするしかない。

          「選択」には、正解と不正解があるように思われがちでしょうか。 周りの影響もありながら、最終的には自分の意思で、「選択」しているのだから、 自分にとって良かった、と思える方を選びたい。 だから、良かったと思えたものが、正解と名乗られる選択になるのでしょうか。 私は数年前、朝井リョウさんの「武道館」という本に出会いました。 本の内容は割愛しますが… この本をきっかけに、自分が生きている中でしていく無数の「選択」とどのように向き合うのかを考えることができるようになったと思います

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        記事

          彼から贈られる2回目のメッセージ。

          先日、また歳を重ねました。 20代前半って数字もあまり変わらないし、 何かが変わった感覚は全くなかったです。 それからお付き合いしている彼氏(年下くん)から、 2回目のお祝いをしてもらいました。 人にお祝いしてもらったら、やっぱりバースデー気分になります。 2回目のバースデー手紙を頂きました。 手紙なんて滅多に書かない年下くんなので、 2024年初手紙だったそう。 封筒は昨年と同じ、ポムポムプリンでしたが、 手紙の枚数は1枚だったのが3枚になっていました。 (嬉しい)

          彼から贈られる2回目のメッセージ。

          この労働環境「慣れ」ないようにしたい。

          この労働環境って、労基には反している。 皆さん色々な環境で不満もありながら労働されていると思いますが、どんな環境なんでしょうか。 私は自分がいるこの労働環境しか正社員としては知らないし、多分どれだけ楽な環境でもどれだけ過酷でもある程度これを基準として「慣れ」ていくと思います。 でも「慣れ」ないうちにちゃんと目向けて自分からも改善を促していかないといけないとと思ったのでここに書き記しておきます。 とりあえず、私の病院についてです。 残業はなるべくしないように早く帰ろう!と

          この労働環境「慣れ」ないようにしたい。

          「生きる」を支えている。

          管理栄養士として病院に務めてから半年が経ちました。毎日病院に行って、患者さんと触れる生活が当たり前になってきました。 たった半年だけれど、やはり現実的な人間的な生々しい日々の重なりを実感します。 粋な題名を掲げてしまいましたが、 「食べる」を支えることは「生きる」を支えることに少なくとも結びつき繋がっていることを感じながら半年を駆け抜けてきました。 管理栄養士って献立作るんやっけ?ってよく言われます。病院での管理栄養士業務はおそらくまだまだ浸透が低めだなと。 病院で管理栄養

          「生きる」を支えている。

          バブル時代を生きてみたかった。

          20代前半で 老後の心配なんて現実的なことしてると思っていなかった… テレビをつけたら石破さんと、 衆議院の解散と、 政策を期待しているかについての国民へのインタビューと、 裏金問題と、 介護施設の不適切なケアについてと、 少子化と、 日本が潰れていきそうな雰囲気と… ニュースを見ながら親と話していた。 「こんな将来心配しながら考えていかなあかんと思わんかったわ。老後のこと考えるもん、老後までにある程度資産ないとあかんねんやろな、とか施設入るにしてもちゃんと選びたいし。

          バブル時代を生きてみたかった。

          MBTIを隠したい。

          韓国では、MBTIを公表してから友達になるか決めるとかなんとか。 インスタのプロフィールにもMBTIを書いている人がちらほら増えた体感がある。 MBTIには相性があって、このタイプとことのタイプが合うって公に公表されているもんだから、 まあなんと分かりやすいものか。とは思うけれど。 人との交流までデータ分析、AIじみて ロボットやないかい…。と思ったり。 2つのアルファベットのうち、どちららのタイプなのかが回答結果によって分類分けされ、4区分での分類分けだから、 2の4乗

          MBTIを隠したい。

          noteを育てる

          時間やゆとりやキャパがある時に私はnoteを書くことができます。 ここ何ヶ月かはゆとり、余裕がなくて放置していました。別にnoteから離れた訳でもなく、寝て起きて過ごして気づいたら日が経っていました。 noteって1日で何人もの人がスタートして、初めて自己紹介をしていて、 何人もの人が退いていると思います。 書いている記事が残っているから、noteの世界に介入した全ての人と自分は関われる可能性はあるとは言えるけれど 同じ時を共有するには、自分がたまたまnoteを開いて、

          noteを育てる

          「今」を見ずに「未来」ばかり見据えている。

          私は未来を見据えるのが得意。 ということは逆さにして、 「今」を見るのが苦手。 今後のために、 将来こうしたいから、 こうしておくと安心出来そうだから。 先回りしとけば後悔しなさそうだろう。 私には計画性という武器があるから、 心に余裕を持てるスケジュール管理ができる。 だから「今」に焦らなくて済むことが多い。 締め切りは逆算して少しづつ進めていくタイプ。 テスト対策も2週間前から計画を立てて前日は早く寝るタイプ。 お金も、いつまでにどのくらい貯めたいかを考えて 逆算

          「今」を見ずに「未来」ばかり見据えている。

          マルチタスクでしか生きられなくなっている。

          何に追われている。 なんでこんなにも焦っている。 なぜ無駄を無くそうとしている。 今の社会に凄く従順に乗っかっている生き方をしていると思う。 最近ふと気がついた。 テレビだけを見ていると手持ち無沙汰になって、 ただテレビを見ることができなくなっている。 ''ながら'' をしなければいてもたってもいられなくなっている。テレビをつけて座っているだけだと時間が勿体ないという衝動に駆られて、 テレビを見ている間に スマホで買おうとしていたものを申し込もう。 洗濯を今のうちに畳

          マルチタスクでしか生きられなくなっている。

          好きな人の好きなところ。

          私がお付き合いしている年下くん。 自分の余裕がなくなったら、どんどん好きな人に頼りたくなる。 自分が楽しい予定が詰まっていて、ワクワクでせわしない時は好きな人がいなくてもなんともないと思ってしまう。 どこまでも自己中で薄情で自分が世界の軸となっている人だなと自分に対して客観的に呆れる。 こんなんでいいのか。 こんなものなのか。 寂しい時、悲しい時には側にいてくださーい。 他で楽しい時は、私は楽しんでるから今は大丈夫ー!みたいなね。 すごーくよく言えば、 程よく依存せずに

          好きな人の好きなところ。

          母はいつも被害者。

          母はいつも被害者になる。 私はいつも母を傷つけた悪者。 私はいつも被疑者。 私も被害者側になりたい。 こんなクソみたいな誰にとってもどうでもいい、ただ自分の家庭のうんちゃらかんちゃらをわざわざ書いてる自分も嫌だし、躊躇うけれど、 色々疲れたし、 諦める  という結論に至って、何かが一皮剥けた感覚があったから、文字として書きたくなった。 誰かに話したいけれど、 色々気を使いながら先回りして考えたら すぐに話せるいい人材が今近くにいない… とりあえず明日会う親友と喋ろうかな。

          母はいつも被害者。

          自分を休憩させるために労力を使う。

          どうやったら、全力を出しすぎて疲れずに、上手く息を抜きながら、でもしっかり頑張ってバランスをとるかについて頭の中で悶々と思っていました。 働き始めて半年が経って、健康的な生活リズムは変わらず。1日集中しすぎて頭爆発寸前で家までなんとか帰ってくる時もあれば、 他のことを色々考えられる余裕がある時もあれば、 帰ってきてからのドラマを楽しみにしている日もあれば。 土日にかなりリセットされて、月曜はかなり気合いを入れないと足が重いけれど、 一日経過するのは一瞬で。でも1週間は長く

          自分を休憩させるために労力を使う。

          私の友達自慢

          社会人4ヶ月目になっても、慣れたとはいうものの、疲労、すぐ寝る! が継続している毎日です。 友達と会う度、自分の友達ってすごい自慢できる素敵な存在だなって思います。 社会人になって、かなり前から予定を立てとかないと気軽に会えないことも増えたけれど、 やっぱり定期的に会って、 素敵なところを感じて、吸収して、力を貰うことが自分にとってはすごく大切な時間だなと今思っています。 今週は大学のサークルメンバーと暑っつい中バドミントンをするために集まり、 (バドミントンサークルで

          私の友達自慢