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朝ドラ『おむすび』メモ 「ギャル」の意味を自分たちで書き換える

朝ドラ「おむすび」における「ギャル」って、『虎に翼』における憲法と似ている。結たちにとって必要不可欠なもの。生き方の枠組み。
そう思えてしまうから、このドラマのこと軽く考えられない。

一般的には、ギャルって多分、あまり素敵なイメージじゃないよね。
どちらかというと、安っぽく、洗練されておらず、一過性で終わった浅い文化だと思われがちで、だから結の父のように、大人は“不良”に近いものとして嫌がるし、同世代の子も、ブームが去ったあとは冷めた目で見ていたりする。

でも、糸島のハギャレンたちにとってはよりどころだった。
派手なメイクやネイル、ハイテンションなパラパラ、友だちと行くカラオケやプリクラ。
それらは、家庭内での淋しさや、夢をもてない虚しさの中で、気持ちをアゲて、仲間とつながり、自分らしく生きるためのツールであり武装。

そして、もっとも大事なのは彼女たちが掲げている「ギャルの掟」だ。

・仲間が呼んだらすぐ駆けつける
・他人の目は気にしない、自分が好きなことは貫け
・ダサいことは死んでもするな

この「掟」、何となくの想像だけど、SNSなんかではdisられてたんじゃないかな?
ギャルに掟なんてあるの? ギャルと関係なくない? 絆の強要じゃないか。ダサいかどうか、誰が決めるわけ?そもそもギャルがダサいけど?
‥‥みたいな感じで。

でも違うんです。
世間に浸透している「ギャル」の意味を自分たちで書き換えているのが、この掟だと思うんです。

若い女の子はいつの時代も、見られ、ジャッジされ、消費される存在だよね。
かわいいとか、かわいくないとか。スタイルがいいとか、良くないとか。
品があるとか、ないとか。女子力があるとか、ないとか。

そうやって客体化されるのではなく、自分たちが決めた、自分たちにとっての「理想のギャルの姿」があるってこと。

孤立しないこと。
自分の思いを大切にして一生懸命生きること。
ダサいかどうかは自分が決めること。
世間のイメージや偏見を拒み、自己肯定感と勇気をもって生きるために再定義している。

もともとギャルになりたかったのは歩の親友の故・まきちゃんで、震災のあと心を閉ざしていた歩は、まきちゃんを思いながらギャルの扮装をすることで、立ち直ることができ、違った意味で心を閉ざしていた結も、ハギャレンの子たちと出会って解放された。ハギャレンの子たちは礼儀正しく正義感が強い。

世間一般でいわれる「ギャルっぽい」子なんていない。
ひとりひとりの女の子がいて、一生懸命生きようとしているだけ。

「虎に翼」の寅子たちは、憲法や法律を学び実践して、世間に抵抗し、連帯した。結たちにとっては、それが「ギャル」なの。きっと。

結が、栄養専門学校のクラスメートに「さっちんはギャルだよ」と言ったとき、「うわーーー!」ってめちゃくちゃ感動してしまって、なんか、私の中でスパーーーンとつながったんだよね。

そして、憲法じゃなくて「ギャル」でつながる子たちに、私はどうしても感情移入してしまうところがある。
(私自身がギャルだったわけではない 笑)
(言うまでもないけど憲法は大切です)

「虎に翼」大好きだけど、やっぱり、いろんな意味で “恵まれた人たちのための物語” だとも感じるんだよね。
「おむすび」のこと、陳腐で、洗練されていない、拙い作風だと感じる人は多いと思うけど、このドラマ自体が「ギャル」っぽい演出をしていて、そこに共感できるんです。

「虎に翼」とは方向性が全然違うけど、「おむすび」も同じくらい切実なドラマだと感じます。


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