「高機能アルコール依存症を理解する」を読んで
2019/09/01
1人ぼっちの期間断酒は変わらず続いている。
わたしは大酒飲みグループからはほとんど、いえ全く声がかからなくなり、実質友人の80%を失った。
そのことと、ワインという親友を失った寂しさと悲しみが時々私を襲う。
そんな折、とても興味深い本に出会った。
「高機能アルコール依存症を理解する」ーお酒で人生を棒に振る有能な人たち
セイラ・アレン・ベントン箸 星和書店
著者は有能なア依存症当事者である。
本書によると「高機能アルコール依存症」とは
仕事や勉学において能力があり、社会的に高い地位、高度な専門職に就いていることも多く、いわゆるステレオタイプのア依存症ではない、でもしっかりアルコール依存症、という人のこと。
私は高い地位ではないしさほど有能でもないが、これまでの日記(特に半年断酒初期のころ)に
「飲んでいたが家事や仕事はしっかりできていた」
「酔って家事や仕事に穴をあけたことはない、むしろ飲んでいた時の方ができていた」
と何度も書いた。
本文中に琴線に触れた引用があったの再引用させて頂く。
「――― もし自分が社会で機能して仕事をやりとげることができるなら、飲むことを恐れる理由など何もない。それは生活の一部であり見返りの一つだ」(ピート・ハミル『ドリンキング・ライフ』)
以上引用終わり。
自分のことを「高機能」プレ依存症と呼ぶのはちょっと違和感はあるが、やるべきことはできていた。そしてだれも私がア依存だなどと思ってはいなかったという点でこの本で指摘されていることと重なる部分がかなりあった。
そして、私の周りのステキな大酒のみの女性たち
かなりの人は「高機能アルコール依存症」だ。決まり。
さて、この本は筆者である元高機能アルコール依存症の米国人女性が
自分がア依存になる過程、そして回復する現在までを様々な検証と研究etc.とともに書いている。
もっと早く知っていたかった、ということも多い。もちろん節酒の難しさも例を伴って研究されている。全てのページに付箋を貼りたいほど共感できた。
しかし、後半、回復の章は断酒をするために宗教やスピリチュアリティがどれだけ大切かということに多くのページが割かれている印象だった。
結局「神」「ハイヤーパワー」にすべてをゆだねて断酒したのか。この高機能な人も。
AAの12ステップに基づいて筆者は回復していく。
「神」とか「ハイヤーパワー」など、スピリチュアルなものにすべてをゆだねて断酒をしようと思っていない私には正直合わないとは思った。
「(とある研究所の)調査では、友達が誰も礼拝に出席していない子供は、ほとんどの友達が礼拝に出席しているという子供に比べて4倍もアルコールや薬物使用のリスクが高くなっている――――」など
ちょっと日本の事情にそぐわない話も多かった。
日本ではキリスト教的な土壌がないので、
いえキリスト教どころか宗教を信仰している人の割合がさほど多くないので
AAの言う「神」や「ハイヤーパワー」はこの国ではどうなんだろう。
宗教やスピリチュアルの素養がない人がこれらの言葉やAAの祈りに違和感を覚えるなら「神」ではなく「自分を超えた大きな力(ステップ2)」など畏敬の念持てる何かと考えると良いのかもしれないと思った。
とにかく、
「わたしは大量に飲むけど仕事も家事もしっかりやっていて誰からも文句を言われることはない」
「わたしは大量に飲むけど専門職で年収も高い。だからア依存ではない」
「アルコール依存症者とはロクな仕事もせず朝から呑んだくれて路上で寝ているような者のことを指す」
と考える人たちはぜひ一読することをお勧めする。
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