近藤智子(こんとも)
詩を書いています
2024年がはじまりましたね。 一人のんびりと正月を過ごしていたところ、突然の地震。 都心のマンション4階はゆるりと揺れただけだけど、テレビをつけたら石川県で最大震度7だったと。 災害に遭われた方々に、一日も早く心おだやかに過ごせる日々が来ますようにと願わずにいられない。 2023年はとても意味深い一年になった。 たくさん悩んで、もがいて、「辞める」「手放す」「身をひく」など、これまで継続してきたことから退く決断をした年だった。 悩みの粒を出したり引っ込めたり。答えを出
はじめてみた空だった。 夕方のベランダに出て 日が沈むのを見るのが好きなんだけど 風がゴゥゴゥとふいて 今にも雨が振りそうで 空は不思議な色に染まってた。 同じ場所にいても 同じ日ってないなぁ
うんうん、知ってるよ、と言う人も、 何の因果かここに辿りついてしまった人にも、 とっかかりとして、まずは自己紹介をば。 私はこういう者です。子供の頃、好奇心旺盛で、何にでも手を出し、生傷たえなくて血まみれで帰ることもしばしば。 小学生になると、遠足のバスの中でマイクをジャックして演歌を披露したり クラスの出し物でシンデレラをやりたくて自ら作・演出・主演をするほどの目立ちたがり屋に。 我が物顔でクラスを牛耳っていた小学校時代から一変。 中学時代に思春期をこじらせ、3年間い
誰かに気に入られるために動いていないか? 親の言う通りに進もうとしていないか? 他人の後ろに隠れて吠えていないか? 何かに反対することで自分を立てていないか? 判断基準を外においていないか? 許可を得てから動こうとしていないか? 学んでから、ちゃんと準備できてから、と言い訳していないか? これは誰の人生なんだ?これは、誰の、人生なんだ?! そう自分に問いかければ、たいがいの迷いから覚めることができる。 #内観 #内省 #人生 #戒め #人生訓 #日常 #問い
Facebookは知り合いばかりが見ている。どこかで会ったことのある人や関わりの深い人が見ている。普段の私や仕事先での私と関わったことがある人ばかり。だからつい"いつものキャラ"を自分で意識してしまって素直に書けない。 ツイッターは「刺激的で新しい情報を披露し合う場」みたいな気がして、読むばっかり。 ブログは「今回ばかりは続けるぞ」と思うのに、1週間くらいしたら失速してしまい、フェイドアウト。 それなのに。 noteは毎日書くことができている。 構えず、素直に、自
SNSをサーフィンしていると、 斬りつけるような、投げつけるような、吐き捨てるような、そんな書き込みや文章を見つけることがある。 怒りや憤り、時には悲しみが元になっているんだとわかるが 思いがけずそのようなメッセージに触れてしまうと、体が痺れて痛くなる。 私に向けられた言葉ではないのに。 その人となんの関係もないのに。 私が感じる痛み、ってなんだろう。 考えてみた。 「こんな書き方しなければいいのに」 「言い方がキツイなぁ」 人ごとみたいに思っていたけど 私だって"こ
昨日、仕事終わりにふと思いつき 普段はいかない洋食屋さんに入ってみた。 ちょっと贅沢に"スペシャルMIX"なるメニューを注文。 カウンターに座って コックさんがぱちんぱちんとハンバーグの空気を抜く手際の良さをぼんやりと眺める。 温めておいた鉄板の上にハンバーグを置くとすぐにステンレスの蓋をかぶせ、じっくり火を通す間にカニクリームコロッケとエビフライを揚げる。 からりと揚がったらたっぷりの油から引き上げてバットの上で休ませ、油を切る時間を利用してデミグラスソースを温める。
誕生日前夜のうきうきを抱いたまま眠りについた。 目が覚めたら、うっすら曇り。 なんとなく"快晴だったらいいな"と思ったけど、普通の日ってこんなもんだよね。 洗濯をし、ドリップで珈琲を淹れ、朝食を作って食べ、メールをチェック。 いつもの朝のルーティーン。 隙間の時間に、お気に入りのいちご豆大福を食べて一息ついたら じんわりと幸せな気持ちが満ちてきた。 静かに力がみなぎる感じ。 その時ふと、こんなフレーズが頭をよぎった。 『今日からの1年間は、できるだけ楽観的に、
後数時間したら、私はぞろ目になる。 いま気分が高揚して、わくわくしている。 明日、特別なことをする予定もないし、今日とそんなに変わらないテンションだろうし、プレゼントをもらったり自分で買ったりするつもりもないので、普段と変わらない一日が来るだけだが、前夜であるこの時間がじんわり楽しい。 むかしから、誕生日その日よりも前日に心が踊るたちだった。 これまでの日々を短期的に、長期的に振り返って 「ふーん。ここで分岐して、いまここに立ってんだね」と 人ごとみたいに眺めるの
それが"厳しく受け止められない"と思う一言や出来事だとしても。 道端に咲くバラが美しいのは、ただ咲いているから。 どんな風に見られるか期待して振舞わないから。 咲こうという意思を持って咲くのではないから。 咲くことを目標にしてそこに立っているからではないから。 完璧を求めて努力を重ねているわけではないから。 ただただ、咲いている。 ただそこにある。 それにハッとして目が止まる。 そこにいろんなものを投影させてくれる。 。 。 。 。 。 。 これまで”挑戦しな
なにが足りなくて、何を求めていたのか? 「足りない」という前提で動いていた時は、どこに向かってなにを取りにいこうとしているのかつかめなくて、やみくもに歩いて疲労困憊。 「もうすべてある」というところからはじめれば、その先は未知を楽しむだけ。 どこかへ行こうとしないで 自分に還ってくればいい 悩むこともある 考えが寄せてはかえり、なかなか結論がでない時もある そんな時こそ、足元を見つめればいい。 「ない」と思い込んでいた時に見えなかったものが、見てくることがある。
はじめたい!と思った時が始め時 行くぞ!と思った時が行き時 いちいち 「親はどう思うかな?」 「同僚から何か言われるかな?」 「これまでの自分のイメージと違う、かな?」 と二の足踏んでたら、【お!!これやったら楽しそう。よっしゃ】というエネルギーが半減してしまう。 湧き上がるパッションを大事にしよう。 誰の許可もいらないんだから。 ということで 衝動に任せて刺繍をする私。 ただただ同じステッチをぐるぐる。 下書きもない。 仕上がり予定図もない。 ただ刺
時間は有限だ。 働かされると思うのか、自分の選んだ働き方をしていると胸をはって言えるか。 いつでも自分に問いかけていたい。 かつて。 あたしは巨大な老舗ホテルの裏方仕事をしていた。 レストランのバックヤードで高価な銀器やグラスを磨いたり、朝食用のパンを焼いたりコーヒーを落としたり。 それ以外に、朝、昼、晩、と複数のアルバイトを掛け持ちしていてから、いつだって眠くて眠くて仕方ない。うとうとしながら歩いてガードレールにぶつかって目を覚ます、なんてことが日常茶飯事だったあ
柔道の創始者 嘉納治五郎師範の教えに 精力善用 がある。 ごく簡単に言うと 『自らの力を善きことに役立てよ』という意味。 今日は柔道つながりでご縁のある後輩のお姉様の結婚式。 陰ながらお手伝いさせていただいていたご披露宴が、これからはじまる。 あたしは司会者として表にたつが 気持ちは裏方。 目立たず、主役を引き立てたい。 『自らの力を善きことに役立てよ』 精力善用の教えを胸に 柔道着からスーツに着替えて 宴を盛り上げよう! 心に黒帯をし
もし今、あたしの年表を作るとしたら 《2013年5月》 でひとつの太い線が引かれるだろうな、と思う。 「いいか、ここだぞ。重要だぞ。 俗に言うターニングポイントっつうやつだ。」 占い師とかに事前に言われていたとしても 信じなかったと思う。 だって予感0だったから。 当時 2011年に立ち上げたブライダルのプロデュース会社を ひとりで切り盛りしていた。 ブライダル司会者として仕事していた私は 司会者がウエディングプランナーも兼任してワンストップでお手伝いしたら
#柔道 #自己鍛錬 #人生修行