あの日、運命が動き出したんだな
もし今、あたしの年表を作るとしたら
《2013年5月》
でひとつの太い線が引かれるだろうな、と思う。
「いいか、ここだぞ。重要だぞ。
俗に言うターニングポイントっつうやつだ。」
占い師とかに事前に言われていたとしても
信じなかったと思う。
だって予感0だったから。
当時
2011年に立ち上げたブライダルのプロデュース会社を
ひとりで切り盛りしていた。
ブライダル司会者として仕事していた私は
司会者がウエディングプランナーも兼任してワンストップでお手伝いしたら喜ばれるに違いない、と考え
「ブライダル業界を変えるんだぁぁ!」と鼻息あらく起業して2年が経っていた。
この頃には起業当初の燃えるような情熱はどこへやら。
問い合わせの対応、土日の現場仕事、打ち合わせやプランニング、取引先との関係づくり、経理、営業活動など
得意な仕事からどう頑張ってもうまくできない仕事まで
ひとりで抱え込んで途方に暮れていた。
気力だけでがんばってる感じで
ここでつまずいたら地面に突っ伏して泣き続けてしまいそうなほど
心も体も疲弊してた。
いや、むしろ泣きわめいて全て投げ出してしまいたかった。
日々、持ち上がる難題を乗り越えることで精一杯。
これからのこと、もっと先の未来のことなんて
考える余裕がまったくなかった。
そんな時
「柔道で日本を変える!」
と熱く語る人物と出会った。
私がいま働いている柔道場
文武一道塾 志道館の館長である。
共通の友人を介して知り合ったその夜
庶民的な居酒屋でビールを豪快に飲みながら
日本の未来を憂いていた。
「このままじゃ日本は駄目になる。
柔道を通して人の心や身体を整えて
同じ志を持つ同士を増やして日本を変えるんだ。
私がやらないで、だれがやる」
みたいなことを力強く語っていた。
後に
道場設立の想いをこう綴っている。
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「後は残された人でよりよい日本を創ってください」
2013年1月3日、私は鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和会館にいました。
そこには、主に10代後半から20代の特攻兵たちの遺書が展示されています。それは出撃前に家族に宛てられた最期の手紙であったり、メモ帳に書き留められたものであったり、辞世の句であったり…とても達筆な字で、国や家族を思う美しい言葉が綴られています。冒頭に掲げた言葉はそんな遺書の中の一節です。
なぜ彼らは、若くしてこんなにも達筆で、こんなに美しい文章が書けたのだろう?なぜ彼らは、こんなにも国や家のことを思うことができたのだろう?
そして、私たちは、今の日本は、命を賭して日本という国の為に尽くしてくれた先人たちに対し、胸を張って「よりよい国を創ることができました」と報告することができるのだろうか?…そんな思いを抱かずにはいられませんでした。
戦後焼け野原から日本は立ち上がりました。終戦後わずか三、四十年で日本は経済大国となりました。物質的豊かさを享受し、情報化社会への変遷を遂げました。とてもとても便利な国になりました。しかし、今の日本は本当に「豊かで幸福な国」と言えるのでしょうか。家庭、地域、学校、会社…様々な社会で人間関係は希薄になり、「個性」という名のもとに価値観は多様化し、善悪の判断ですら個人の価値観に委ねられ、鬱病や自殺者も年々増加の一途を辿っています。本来ならば、夢や希望に満ちている子どもたちでさえ、夢や志を持てなくなっている時代です。
人々が夢や志を持てない社会は、刹那的でただただ暗い…これは何とかしないといけない、このままではこの国は死んでしまう、日本を再生するには教育しかない、いつやるのか…今しかない、誰がやるのか…自分がやる。私の中でそんなえも言われぬふつふつとした思いが芽生えてきました。
志道館とは、次世代の日本を担う子どもたちが「志」を持ち、人生という「道」をしなやかに力強く歩んで欲しい…そんな思いから名付けました。本事業を通し、先人たちが命を賭して紡いでくれた縦糸を、次世代にもつないでいくこと…これが、私に課せられた最期の宿題であると思っています。
2013年8月15日
株式会社志道館
代表取締役 坂東真夕子
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とても驚いた。
これからの日本に危機感を抱いて道場を興そうとするなんて。
あたしなんて自分の仕事をこなすのでいっぱいいっぱいなのに
ひとりで、柔道で、日本を変えようとするなんて。
すげーーーーーーーー、っと思った。
こんな人、いる?
漫画とか、映画とかの、ヒーローみたいじゃん。
ちょう、カッコいい!!
「この人についていったら
見たこともない景色が見れるかもしれない」
あたしはそう直感して
「仕事が土日中心だから、平日時間あるし、ちょっとなら手伝ってあげられるよぉ」と言っていた。
彼女はその突然の申し出に驚いたようだったが
嬉しそうにしてくれた。(酔っていただけかもしれない)
そこから
あたしの"柔道人生"がはじまることになる。
閉塞感のある毎日から
抜け出したかっただけかもしれない。
自分では見つけられない
別の道へ
ワープしたかったのかもしれない。
でも
自分で自分の耳を疑うほど
安易に口をついて出た
「ちょっとなら手伝えるよ」の一言で
あたしの人生が思いもよらない方向へ加速したんだ。
あの日、運命が動いたんだな。
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このnoteでは
私があれよあれよと巻き込まれていった
"柔道にまつわるあれこれ"を
書いてみようと思う。