見出し画像

おでん解放宣言

 これほど毎日料理をしているのにもかかわらず、おでんを一度も作ったことがなかった。
作ろうとも思わなかった。むしろ、「作らない」くらいの気持ちだった。
何故か。

それは、母のおでんが強烈なインパクトだったせいかもしれない。

 子供の頃から母のおでんが正当だと思っていたので何の疑問もなく食べていたのだけど、大人になると外でおでんに触れる機会が増えて、家のおでんに違和感を感じ始めた。

おでんって関西風、関東風があるかもしれないけど、だいたい色んな具材がお出汁で煮てあって、アツアツでシミシミするお鍋というか煮物というかどっちの定義が正しいのかいまいち悩む料理。鍋ほどちょこちょこ取って食べないし、煮物ほど放っても置かない不思議な立ち位置。
だから、曖昧で良いとも思っている。
地域によって独特の具材もあるし、こうでなくてはいけないというものでもないとは思う。

そうは言っても母のおでんはとにかく強烈だった。

まず、寸胴で朝から煮込む。
それはいい。いっぱい作ったほうがおいしいし、何日も食べられたほうが母も楽だったのだろう。
子供の頃は3人家族なのに、高さ30cm以上の寸胴鍋に口いっぱい煮込む。

寸胴で煮込むのはいいが、それがそのままお膳に供させる。
お膳に。寸胴ごと。

想像してみて頂きたい。お膳とは畳の部屋に座布団敷いて座る高さなのである。
なので30cm以上の寸胴の中身は、膝で立たないと見えない。

膝で立って菜箸で食べたいものを探し当てる。半立ちで。
いくつか取って食べて、また立ち上がり取る。
ひたすらその繰り返し。
父はもちろん座ったまま母に、「はんぺんくれるかな」とか「ジャガイモ食おうかな」とかいうと母が膝で立ってよそう。

そして何より汁が真っ黒。
お出汁シミシミ♡という感じではない。
醤油味醤油色。
関東風という言葉以上の濃い味。濃い色。

そしてそしてどこでどうしてそうなったのか、
鶏皮で出汁をとる。
なので必要以上に脂が浮いている。

具材についてはそれほど変わったものはなく
こんにゃく、はんぺん、大根、ジャガイモ、厚揚げ、
練り物色々、ちくわぶ、焼き豆腐(すき焼きかッ!)、
卵。
そうそう、この卵が殻ごと入っていた。毎回必ず。
それを父も母も熱い熱いと言いながら殻をむいて食べた。

子供のころはこのおでんに違和感を感じず、しかもこの出汁に使った鶏皮まで食べていたが、少し大人になると塩分やカロリーの少ないものを選んで食べるようになってきた。

だいぶ大人になるころにはこのおでんはすさまじい塩分接種をしていたことに気づく。

そして毎朝血圧計測を余儀なくされる今、おでんというとこの黒い煮物がよぎり、遠ざけてきたように思う。

 ある日、主人が泊りでゴルフに出かけた。
翌日は午前中の早い時間に帰ってくるということだった。
よく考えたら、翌日は昼前から予定があり夕方遅くまでかかるので
前日に翌日の夕飯の支度をある程度しておかなくてはならなかった。
そんな時、思いついたのがおでんだった。

主人にはおでんが食べたいといわれてきたが却下していたのを思い出し、
このタイミングで自分の「おでんの殻」を破らなくてはいけない!となぜか感じてしまったのだ。

踏ん切りがついたならそこからは前向きに事が進んだ。
もう、母のおでんに囚われる必要はない。っていうか何で今までそこに囚われていたのだろう。
自分なりの、納得できるおでんを作ればいいだけじゃないか!

そう思うと朝から出汁を取り、勇ましく午前中からスーパーへ向かい必要なものを買い込んだ。

ジャガイモはメークインを選んだ。
こんにゃくには味が染みやすいように細かい切れ目を入れた。
大根は面取りをした。
練り物は全て油抜きをした。
ちくわぶは大きすぎないサイズに切った。
もちろんお出汁は昆布とカツオをいつもより少し濃いめに取った。
そして、ゆで卵の殻はきれいに剥いた。

練り物を入れる前は少し物足りないくらいの塩味で抑えて全部が入った後もお出汁を足しながら煮た。

私は完全に母のおでんを手放すことができた。
思い出の中のおいしかった夕飯として違うドキュメントに入れることができた。

3日は食べられるかな?と考えて作ったが、2日分までは持たなかった。
主人もたくさん食べてくれた。

「おでん、またやろうね」という言葉に達成感を感じた夜だった。

最後まで読んでくださってありがとう。


いいなと思ったら応援しよう!