躁鬱と絵の話
お久しゅう。
鬱病になった話は以前書いたと思う。その上で、私はどうにも双極性、即ち躁鬱のケがあるようだ。鬱の時は過眠で十数時間寝続けたり、或いは起きても抑鬱が故に話しかけられても全く反応したくない(どころか話しかけられる事すら苦痛であったりする)だとか、楽し気な事が何もできなかったりだとかする。私が無口一辺倒の時は大体鬱だと思っていい。かといって何もしないのもそれはそれで中々の苦痛なので、ダラダラとゲームをするなり黙々と点描作業に打ち込むなどしていた。何しろ点描は元々大して楽しくないところ、頭を使わずにずっと続けられるところなどが良い。室温が冷蔵庫と同等である事も心身の体力不足に直結しているのは間違いないが、私は概ね8℃あれば活動可能であるとわかった。それ未満は、躁になっていなければ布団から出られん。
作業に集中したまま躁に入ると、上手く過集中が発生して永遠に作業ができるようになる。過眠していた十数時間分を取り戻すかのように、やはり十数時間ぶっ続けで点描を続け、しかも狙った場所に極めて細かい点を打ち続けられるのだから凄い。その上で尚全く眠くもないというのが躁における過集中である。この点において、躁鬱は才能ではないかと思うのだ。鬱と躁は何もしなければ2~3日で切り替わり、何れの時もカラオケや繁華街、祭等に行くと高確率で離人症の症状が出てくる。全く落ち着かず、これは中々に不快であるので、私はしばらくカラオケなぞ行っていないし、今後も当分は行くまい。尚、元々カフェインは効きやすい体質であったが、躁の気配を感じたタイミングで魔剤やブドウ糖等を摂取すると劇的なブーストが期待できる。一度、魔剤2本・エスプレッソ2杯・ラムネ2本を投入したところ頭の中がパッチパチになったりした。因みに作業モチベが無い時に躁だけ来ると、碌に寝もせずにスマホを弄り続けるだけになったりする。因みに私はそれで『ザ・ファブル』を現行最新話まで読み漁った……あれはファブルが面白過ぎる事に問題があると思う。うん、私は悪くない。
そんな生活を一ヶ月と少々続けたところ、斯様な絵が出来上がった。
上記のような生活を無職で続けていたので、作業時間は200時間以上は確実にいっているだろうと思う。小ネタが多い。
画面中部左側の横長の看板には、ゲバ字で「結界省を断固粉砕せよ!集え2.29層総決起」。2/29という閏日であれば結界省の結界も緩むであろうという安直な思考から決起を呼びかける左翼集団の看板である。
その右の建物の大きい看板左側面、割れながらも読める「DDS-NET」は真・女神転生のネタで、滅びた東京とメガテンのシナジーについては敢えて述べるまでもあるまい。
同じ看板の正面側には映画版『帝都物語』のポスターが貼られている。これもわざわざ言うまでもない。
やや右、斜めになった細長い看板は「月極定礎ホールディングス」、これは2chのネタ。
右隣ビル屋上の看板に「五千里薬品」とあるが、これは実在する"三千里薬局"を捩ったもので、アニメ版の『serial expeliments lain』背景にチラっと出てくる。
一つ飛ばして右側ビル屋上看板「今北産業」も2chネタ。
そのすぐ下、横長の看板にうっすらと書いてあるのは『少女終末旅行』作品内で出てくる表記による「たすけて」の四文字。
その下の方に目を向けてゆくと、ビル左角の縦長看板は少々文字が潰れているが「スパイラルマタイ」「アタマリバース」、これは『素晴らしき日々 ~不連続存在~』のネタ。10th版欲しいなあ。
そこからやや右下、「ヱンヅイ屋」は私のサークル名で、「トリフィド」は『トリフィド時代』による。これは終末系の作品として出したが、風見幽香のファンならばそれとは別に知っていて当然の作品だな。
やや左下、少し潰れているが「Hothouse」は小説『地球の長い午後』原題である。
右隣のビルに移って屋上看板、元がアコムだったので安直に「アトム」に。
右下のビル、やや広めの看板に「The Dark Enlightenment」「Nick Land」、これはニック・ランド『暗黒の啓蒙書』。加速主義の成れの果てが、この滅びた新宿であって欲しいと私は思う。
その下の方に「散」の字があるが、元は「隼」で、なんとなく「集」に見えたのでその反対にしただけの文字。
一つ飛ばして大きいビルの屋上、半円が並んだ看板には「Nuka Cola」。終末系の作品といえば『フォールアウト』は外せない。
その右のビルの大きな屋上看板、「八紘一宇」。大日本帝国の標語の一つで、これは最初に挙げたゲバ字が思想的に左だったので右の言葉を置く事でバランスを取っておこうという案である。パースのかかったレタリングという点で、蓮子の眼と並んでこの絵で最も神経を使った部分だったりする。
蓮子の持っている本は『ミラビリス・リベル』。16世紀フランス、編者不明の予言アンソロジーである。第一章から『メトディウスの予言書』という終末論的な偽書から始まるのが素晴らしく、これは如何にも蓮子が持っていそうだという事で選んだ。暗黒啓蒙を持たせるアイディアもあった。
元の景色がこちら。
これを京都秘封の会場に持って行ったのだが、蓮子の背中の辺り、大ガード下の歩道の点描に注目する人がいた。描くネタが思いつかないから適当に点描で埋めただけなのだが、まあ……得てして、そんなものだ。会場内を彷徨いていたら唐突に声を掛けられそこからしばし熱い感想を聞かされるという事もあった。珍しい事もあるものだ。
折角なので会場に持っていけばよかったなぁと思ったのは、大学の頃に挑んで断念した点描メインの萃香の色紙。
違いがわかるだろうか。
今回の点描がこちら。
点の精度も量も段違いである。これは健常な精神のままではできなかった作業で、私が"躁鬱は才能"と言うのはこれが為だ。一度平坦且つ均等に打った後、濃くすべき部分には後から狙って1つずつ打っていく。視認できる限界を狙ってギリギリまで目を近付け、ペンを寝かせ、上手く点が見えなくなって尚作業を続ける事丸一日、それを1ヶ月である。躁もさながら、このつまらない作業を続けるには鬱で他の趣味に食指が動かないというのも大きく働いている。精神疾患の症状を上手く利用した自信作である。寿命も精神も削りながら描いていたが、いやあ、創作というのは削った命の粉末によってこそ輝くのだナ。ただしこれは私にとっては努力でも何でもなく、ただ、逃避なのだという事は付記せねばなるまい。
……それはそれとして無収入でやってた作業なので、誰か買ってくれんかねえ。それまではゾ邸で飾っとく事にする。
然らば。