なぜ離婚したのかファイナル
離婚したいと言い出したのが、1月で実際にできたのが7月。コロナといびつな旦那の家族と本人のせいで、少々時間がかかり、自粛期間も重なってイライラしていた。
1月に会って嫌なところを話したからか、もう本人も厳しいと感じたのか、「離婚したいと思うので、また話にいきます」とメールで旦那に連絡したら、いつもよりは早いスピードで
わかりました
とだけ、返事がきた。あっさりしたもんだ。普通なら、驚いて電話をしてくるところだけど彼は(よく言えば)どんなときも動じない。
この彼の平常心により、私の離婚したいという気持ちは加速した。
その後、どんどん信じられないことが起こる。
義理の両親が、なぜか(私にお見合いを勧めた人だからか)私の叔母に連絡し、我々2人のことを相談し始める。その結果、なぜか、叔母が私の旦那と会って話をすることに。それも最悪なのが、せっかく機会を設けた叔母との話し合いに旦那は寝坊してキャンセルに。その後コロナがひどくなってしまったので、離婚は私の予定より数か月伸びてしまった。
待ちきれない義理の両親は再度叔母に連絡し、2人が叔母に会って話をしたいと言い出す。話したところで何も変わらないと叔母は断ってくれた。
時系列はもう忘れてしまったが、ホラーな出来事も起こった。旦那の実家の旦那の部屋のタンスに入れておいた私の法事用の服と靴が、突然義理の父の名前の送り先で届いた。父の字で
「こちらへ来られる様子が伺われないし、そちらでも必要な場合があると思いますので、預かっていた服と靴をお送りします。」
という手紙が同封されていた。いっこうに来ない嫁の反応を見たかったのか、気遣いのつもりなのか本意はわからないけれど、ただただ怖かった。息子の部屋の中のタンスの中から勝手に私の置いていた服を取り出し、“預かっていた”とあえて言い直して、息子の名ではなく、父親の名で送ってくるこの家族が本当にいびつで怖かった。
そして、私と会っても目さえ合わせなかった不愛想な義理の姉も、本当にあなたが書いたの?って言いたくなるほど流暢な内容のメールで
・私の自己判断で気持ちを聞いてみようと思い立った
・ご縁あって親族になったのに今の状況が続くのはよくない
・本人を含め歩み寄れることがあれば家族も努力します
みたいなことが書かれてあった。義理の姉に対しては、あなたの今までの不愛想ぶりや、餃子でキレまくった情けない態度が離婚の原因の一つだと言いたかったくらいだ。きっと義理の両親に頼まれて嫌々送ったメールだと思う。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。叔母との話し合いを待ちたいと思います。」
という内容の返事はしたが、姉から返事は来なかった笑
結局、もと旦那は周りがこんなに動いていることを全く知らず、両親に問い詰められて、私が会おうとしない!などど、自己防衛なのかウソをついていた。会わないなど言ったことはない。いつも待っていて、こんな状況なのに電話一本もできない旦那を正当だと思っているこの家族は本当にいびつだ。
江戸時代で自分が男なら、刀を差して、斬り込みにいきたいくらい腹が立つ。
義理の親にとっては、何度お見合いをしてもうまくいかず、やっと結婚した相手を大事にもできない息子がおかしいとは思っていないようだ。
(私は自分名義でそのマンションにも住んでいるのに)きちんと家などすべて与えているのに、私が何が不満かわからないそうだ。叔母が旦那と会い、気持ちが離れているので修復は難しいかもしれないが、言いたいことがあるならきちんと私に連絡を一度するよう伝えてくれたが、結局何の連絡もなかった。叔母から再度、伝え方など悩んでいるなら相談に乗ると連絡したが、その返事すら旦那はしなかった。
最後に離婚届けを渡すために、私の叔母とお見合いを仲介してくれたおばちゃんと旦那とで4人で会った。彼から私や叔母に対して何の謝罪の言葉もなかった。
叔母が旦那と会ったあと、義理の両親に2人の気持ちが離れているので修復は難しいと伝えてくれたが、義理の母からのその返事には
○○(旦那の名)には代々続く家を守ってほしいと願っています
と書かれてあり、私と叔母で唖然としてしまった。この期に及んで孫を望んでいるし、次の再婚もほのめかす内容ともとれる・・・
私が離婚した最大の理由は、旦那が何もしない・何も言わない人だったからだ。DVだとか○○ハラなどとは違うので理解してもらえないかもしれないが、彼からは「何もしない」という暴力を受けた。
今まで自分なりに必死で努力して、周りからたくさんの愛情を受けて大事に育てられてきたこの私が、こんなつまらない相手と、1秒たりとも今後つまらない人生を共に歩みたくないと心底思った。
あー、離婚してよかった!今日から風の時代。これからも自由な自分で楽しみます!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
Fin