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嫌な場所から逃げていい理由。学校から逃げた自分を責め続けたあの頃の私へ

もうこれからの常識ですね。
嫌な場所からは逃げていい。

何年か前に、お笑い芸人の松本さんが「自殺する子どもを減らすために、死んだら負けを俺は言い続ける」というツイートをして、バッシングされていた。
なんで叩かれたのかはあまりよく知らないのだけど、まあ少し的外れだなあとは思いました。

「私は負けた」敗北感は既にある

自殺する子供って、もうとっくに「自分は負け」だと思ってるんですよね。
私もそうだったし。負けてるし、このまま生きていてもあの人たちに勝てるわけでもない。負けた私は惨めで仕方ない。死んでしまいたい。って思う日々だった。

松本さんのような人は、学校のヒエラルキーで言えば常に上にいたようなタイプだと思うので、まあ的外れでも仕方ないかと思う。

今の私が言い換えるとしたなら、
学校に行かなくていいから死なないで」と言いたい。

”学校は行かなくてはいけない所”になっている。特に、中学までは義務教育にされているし。
でも、命を犠牲にしてでも?

私も不登校になったことを、
「私は、逃げたんだ!良くないことだ!」と思って自分を責める気持ちもあった。

時代と共に日本もその風潮は薄れてるけど、”逃げないでやり遂げるのが正義”っていう根性論、いまだに少なからずありますよね。

だから過労死も減らないというのに...。まったく、美徳なんかじゃない。

死んだら元も子もない。

私が死について考えた時や、思いとどまれた理由はまた次回に書こうかなと思うのですが、

私が生きていられたのは、私が学校に行かないという選択肢を取れたことが大きいと思う。

いじめられて自殺、過労で自殺、のニュースを聞くと本当に辛くなる。
ほとんどは、昨日まで学校に行っていた人、通勤していた人だ。
不登校児や、退職者じゃない。

自殺する人はきっと、「このまま学校、会社に行き続けないといけない」と追い詰められていたんだと思うから。まともな判断力を失ってしまうまでに。

私が言いたいのは、
生きてさえいれば、いい。
命さえあれば、どこから逃げても、自由です。

例えそれが惨めに思えても、無責任に思えても。
命が残るなら、それでいいと思いませんか。

学校は中学までは義務教育だけど、行かなくても全然生きていけます。


逃げずに学校に行くのは尊いこと?
最後まで登校し続けた”強いあの子”と比べていた私

いじめられて学校が嫌になっても、行き続ける人もいる。
もちろんそれで死にたいとか思わないなら、行くに越したことはないと思う。

私も、あの時逃げないで行き続けていれば良かった...と何度も思ったこともある。

もちろん当時は、無理だったんだけど後々になると思ってしまうんだよねやっぱり...。

けど10年経った今、全てこれで良かった気がするのです。

だって私は、自分の
もう行きたくない!行けない!という声に正直に従った。無視しなかった。

ある意味、自分を尊重した。

当時は敗北感もあったし、学校の人に対して殺意みたいな感情もあった。絶対に許さない、という強い恨み。そして負けた、逃げた自分。同時に自分のことも責め続けた。

そんな私は今、当時自分が「勝ち負け」とかいう概念を持ってたことも忘れていたし、自分を不登校に追い込んだ人達への恨みも全く無い。
私は、あの人達に今勝ってるのか?そんなことは、もはやどうでもいいことになってる。

もちろん頑張って行き続けた人も、偉いと思う。
けどそういう人どこかで必ず、反動のように、毒が出てきてしまう気がするのです...

私の知っている子で、当時の私と似たような境遇の子がいた。
その子は体育会系の性格で、「行かなくなるのは逃げだから絶対にしない」とよく言ってた。

言いがかりを付けられて連日集団に呼び出されたり、部活でもずっと仲間外れにされたりで、
「私だったらもう行かなくなってそうなのに、強いな...それに比べて私は、弱いな...」って当時は思ってた。彼女も、行きたくないと思っても自分に鞭打って行ってたんだろう。

でも今現在、その子は情緒不安定なところがあって、
「自分はサイコパスだ」とよく言っているし、中学時代の話になると、学校の人の悪口もいまだに言ってたりする。 

逃げないこと、が美徳というかプレッシャーとしておそらくその子は持っていて、今も辞めたいと思っている仕事を苦しみながら何年も続けている。SNSでも行きたくない、とよく病んでる。
「辞めたら?」と言っても、「それは逃げになるから」と返す。
一生懸命なんだろうけど、見ていて少し辛い。

それを否定したいわけじゃないんだけど、
自分の声を無視して、蓋をして強がって、その結果 結局自分の中で問題が解決されていないんじゃないかなと思う。

今思うと、不登校は自分の身と心を守る手段だ。
野生動物が、敵が来たら逃げるように、同じ逃げだと思ってる。
攻撃されなかった人はラッキーだけど、攻撃されて心が死んだなら正当防衛みたいなもん。

行けないから、もう行かない。

もちろん決断したつもりは無いし、
限界を迎えて やむを得ずそうなってしまったんだけど、私はそれで正しいと思う。

それは必ず、あなたがいつか健康な心を取り戻すための鍵になるから。

自分を責めずにいられないあなたに、
私はそう言ってあげたい。

そして、当時の私にも。


マガジンの記事は下記より:



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