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みどりのゆび日記③チューリップ譚

 絵を描くのが得意ではなかった昭和の小学生だった私が、唯一自信をもって描いた花が「チューリップ」だった。仲の良かった女の子がとても絵が上手で、3枚の花弁だけで立体的にみえる「描き方」をこっそり教えてもらったからだ。私はその時はじめて、花の絵には秩序があることを知った。それがそのまま自然の秩序を写し取るということかもしれないが。
 その友人とふたりで休み時間にコツコツと絵本を作っていた記憶がある。ちょうど水俣病が問題になっていた頃で、社会の授業でも公害について勉強していた。ノートに鉛筆だけで描いたその絵本の物語は、工業の発達に伴って海が徐々に汚染され、最期は魚たちが骨だけになっても泳いでいるというシュールなものだった。

 話が脱線してしまったが、昭和世代にとってチューリップという花は小学校の記憶と結びつく。生まれてはじめてひらく教科書の最初の1ページには、カラフルな挿絵と共に「さいた さいた チューリップのはなが」が登場した(記憶違いでなければ)。教室の窓の外の花壇にも色とりどりのチューリップが咲いていた。80代の父でさえ、春になると自分の庭に今もチューリップを咲かせている。あかしろきいろのチューリップには、どことなく昭和の香りがする。
 そういえば2年前に代々木上原の東京ジャーミーに見学に行ったとき、トルコ人のガイドさんは「チューリップはオランダではなくてトルコの国花です!」と力説していた。以前、仕事でお世話になったトルコ研究家の渋沢幸子さんもチューリップが大好きだった。私は正直にいうと(自分の描く絵と重ね合わせてしまうせいか)、チューリップは単純な印象で特に好きな花ではなかった。しかし世界中の人に好かれていて、実は1000種類以上もあると知ってからは認識をあらためている。よく見ると花屋の店頭にも様々な色やかたちのバリエーションが並んでいた。私の頭の中にあったチューリップはチューリップそのものではなく、昭和のチューリップという「現象」だったのだ。

 少し季節が過ぎてしまったが、この春、庭に咲いた1本のチューリップの蕾を切り花にして1週間観察してみた。正直、チューリップの花をここまで「みた」のは生まれて初めてだと思う。身近で当たり前にある存在に細やかな注意を向けるということは案外難しい。

チューリップ③

  このシルエットは「誰がみてもチューリップ」である。3枚の花弁だけで描くお手本のような姿をしている。これが私が認識している「チューリップのかたち」だった。
 しかしこの文章のタイトルバナーにある花も、花瓶に入れてから5日目あたりのチューリップだ。もしこの写真だけを見せられたら、私はすぐに頭の中のチューリップと結びつけられただろうか。花弁ではなく「花芯のかたち」から、心許ないチューリップの記憶と重ね合わせたかもしれないが、第一印象はまるで蓮の花のようだった。
 ある朝みると1枚の花弁が扉のように開き、中から花芯が登場した。その存在感には思わず「カミサマ」とつぶやいてしまうほどの神々しさがあった。一週間のチューリップの時間は予想以上に変化に富み、ひとつの物語をみているようだった。

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 チューリップは咲き終わると土の中に球根を残す。父がまるでネギ坊主のように花壇の中に一列に植えた花を刈り、時間を置いて球根を掘りだしていると、チューリップは野菜だなと思った。そして来年は、この球根たちを一直線ではなくもっと自由なリズムで植えようと密かに企てた。
 そういえば、長らく作者不詳とされていた文部省唱歌『チューリップ』(昭和7年)には、作詞・近藤宮子さんの平和への想いが込められていることはあまり知られていない。子どもたちの個性を奪う軍国教育へと徐々に舵を切っていく時代の空気をいち早く感じたのだろうと思う。昭和戦後の高度経済成長期の小学1年生たちが、無邪気にひらいた国語の教科書の最初の1ページにこの歌が紹介されていたことは、教育によって子どもたちの個性を奪うなという先人たちの願いが込められていたのかもしれない。
  「あか しろ きいろ どの花みても きれいだな」。

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