空耳図書館のおんがくしつ〈キノコの時間〉
20世紀の偉大な音楽家ジョン・ケージは〈キノコマニア〉としても知られています。彼は著書『サイレンス』のなかで以下のように述べています。
『音楽愛好家たちの野外採集の友』
キノコに熱中することによって、音楽について多くを学ぶことができる。
私はそういう結論に達した。
『サイレンス』ジョン・ケージ著 柿沼敏江訳 水声社 1996より
私が主宰している本×オンガクの空耳図書館で、コロナ直前に〈キノコの時間〉と名付けた〈音楽×哲学散歩〉を開催しました。空耳メンバーと共にこっそり人を募っては、都会の森の中でキノコを〈きく〉時間を過ごしました。森の風景の中にキノコのオンガクを探し出す時間は、サウンドスケープの哲学の学びにも直結すると感じています。
キノコは確かにオンガクだと思うのは、こちらが〈きく〉態度をもつと不思議なほど出会えることです。日常で通り過ぎている道端の草むらに発見することもある。庭の植木鉢の中に見つけることもあります。彼らは日常のすぐ近くに存在しているにも関わらず、人間が気づいていない。それは環境音に耳をひらいたときに発見する風のささやき、鳥たちの歌声、自然のオンガクとも似ています。
しかし彼らは音のように姿を消してしまう。跡形もなく溶けてしまう。キノコとの出会いは、そのほとんどが一期一会なのです。だから出会えると何とも嬉しくなる。しかもキノコの一生には〈誕生から死まで〉が詰まっている。この時間もまた生きるオンガク、みえる時間そのものです。
写真は猛暑で遠ざかっていた森の中で見かけたキノコの親子。実は二度目に通った時に出会えました。草むらの中にひっそりと、親が子を守るように。
実は数年前に、この森のほぼ中央に猛毒のドクツルタケを見つけたことがあります。しかし翌年にはいませんでした。あの無垢なほど真っ白な猛毒のドクツルタケは、存在自体にオンガクそのものを感じます。そこからまた1年、今度は森の別の場所で発見しました。
キノコは姿を消したり、移動したりする。それもまた音楽だなと思います。
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