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サウンド・エデュケーション「きこえない音は存在するか?」〈蓮の花の音をきく〉2024年改訂版

 2011年以降、毎年夏になると昭和10年に繰り広げられた上野不忍池の「蓮の花の音」をめぐる朝日新聞紙上のある「論争」をご紹介しています。この論争の結論は一方的に(現代の言葉で言えばほとんど”エビデンス”のない状態で)科学者から強引な「勝利宣言」で終わりました。そして21世紀の今も「蓮の花の音をきく」という日本古来の風情ある文化は二度と戻ることはありませんでした。いちど消した文化芸術の灯を再び蘇らせることは容易ではありません。〈風流〉を嫌った軍国主義の世相が透けてみえることも興味深いですが、その「呆気なさ」には怖さを感じます。〈非科学的〉の呪縛が、それまで当たり前にあった文化を消してしまうのですから。しかも〈科学的〉であったはずの実験検証も、当時の新聞記事を読む限り驚くほど杜撰で簡単なものでした。国民が総動員された戦争の時代に〈蓮の花の音〉について丁寧に考える余裕を失っていったことも事実です。
 エコロジカルに考えれば、当時の不忍池周辺には市電も走り、想像以上に賑やかなサウンドスケープが存在していました。植物学的には2000種類以上あると言われている蓮の個体差を無視できないだろうとも今なら思います。〈蓮の音〉は文字通りのそれではなく、芸術文化を愛する心の象徴だったかもしれません。しかし日本人はその芸術文化を自ら手放してしまいました。それはなぜでしょうか。
 毎年同じような内容をブログに残していましたが、コロナ禍に入った2021年に、2017年~2019年の連載をこちらに分割してご紹介しました。
 文末にはわたしが記録した2011年以前の不忍池の蓮の写真やピアノ動画もご紹介していますので、そちらと共にお楽しみ頂けましたら幸いです。

(其の① 2017年改訂版)
 今年も美しい蓮の季節が巡ってきた。2017年7月11日は東日本大震災から6年、さらにもうひとつ大事なことは、戦前の治安維持法(大正14年)にあたる共謀罪が施行された日だ。これは今から98年前(大正12年)の関東大震災から戦前昭和の軍国主義へと突入していく時代の空気ととてもよく似ている。当時の芸術家や生活人は、法が施行された時はおそらくまだ他人事だったはずだ。それよりも自分の表現や、夕飯のおかずに頭を悩ませる日々を送っていたことだろう。ただしその後の歴史で何が起こったかを、彼らよりも未来を生きる私たちは知っている。「戦争反対」とつぶやくだけで密告され逮捕され、あげく拷問され殺される。表現の自由、内心の自由が奪われる時代に突入する。そのひとつの象徴的な出来事に、音から世界を捉え直す「サウンドスケープ」思想を研究する自分は、新聞紙上で繰り広げられた「蓮の花の音論争」という小さな記事上での科学の「無音宣言」に注目する。
 2011年の夏、『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー、今田匡彦著 春秋社)の課題「花のひらく音をきく」に惹かれ、私は戦前の朝日新聞紙上で繰り広げられた『蓮の音論争』について調べていた。永田町にある国会図書館の閲覧室には、国会前で原発反対デモを繰り広げる人たちのすさまじいシュプレヒコールの音声が、窓から入り込んで館内に響き渡っていた。東京の事情についてはほとんど報道されなかったが、当時の社会は大きく分断されていた。そのサウンドスケープに包まれながら戦前の朝日新聞を広げ、「蓮の音はしない」と断定された昭和11年の記事を読んだ。その記事が伝えていたのもまた〈有音派〉〈無音派〉の分断であり、音風景の記憶と共にまるでタイムスリップしたかのような非現実的な体験だった。
 当時の新聞には、この国の近現代史を振り返った時に〈戦争に向かうターニングポイント〉となった出来事が大小の記事で沢山記録されていた。中でも2月26日にクーデター未遂事件を起こし処刑された多くの地方出身・青年将校たちの実名が列挙されるた記事は異様で、そこからガタガタと音を立てるように軍国主義に突入していく国の姿も現れる。驚くのは、この昭和11年までは植物学者も含め、蓮の花の音は当たり前に「ある」と思われていた、または「音をきいた」人がいたことだ。その当たり前の文化は「科学」という〈印籠〉を前に呆気なく消えてしまう。「風流」が軍国時代にそぐわないと忌み嫌われるのだ。一方で「国民歌謡」の放送が始まり、東京音楽学校には邦楽科が設立され、日劇レビューもあった。プロ野球も当たり前に開催されていた。注目するのは、東京は後に幻となる「1940年の東京オリンピック」の開催地に決定し、ドイツ・ヒトラーの影がちらつき始めることだ。現在の立派な国会議事堂も完成する。一方で秋田ではダムが豪雨で決壊し400名近い犠牲者が出る。光と影のコントラストが強くなる時代の空気は、ふたたびの2020東京オリンピックを控えた今ともつながるのではないだろうか。
 この年にひっそりと「蓮の音」が消えてしまったことは、当時の人はおそらくそれほど気に留めなかっただろう。しかも数年後に戦争に突入したこの国は上野不忍池を田んぼに埋め立て食糧難を凌いだ。池が現在の姿に戻るのは戦後20年も経つ昭和40年代に入ってからだ。しかし蓮の花は戻っても、「蓮の音」が戻ることはなかった。一度社会から消えてしまった文化の灯を取り戻すことは容易ではないことが解る。
 R.M.シェーファー/今田匡彦が『音さがしの本 リトル・サウンド・エデュケーション』の中で「花(蓮)のひらく音をきく」と提示したのは、そこに「芸術とは何か」の問いかけがあったからに他ならない。たとえば自分以外の誰もが「科学」を掲げて「音はしない」と言っても、芸術の場合は自分が「ある」と思えばある。その音を作品にして提示することも許される。それが「内心の自由」だ。しかし一方で注意しなくてはならないのは、「カミカゼ」を信じて戦争に突入したプロセスも、実はこの発想プロセスの本質と大差ないということだ。だからこそ戦後、蓮の権威と言われた大賀博士は執拗に「蓮の音はしない」と各方面に記している。それは「迷信を信じやすい」この国が起こした戦争の過ちを反省した言葉だった。本当は誰よりも蓮の音を信じて実験していた博士が自ら存在を否定したことが〈エビデンス〉となり、皮肉なことに現在は蓮の音を信じる人はほとんどいなくなってしまった。
 私が毎年この記事を掲載する目的は次世代への〈記録〉を伝えることと同時に、自分のためでもある。人は日々の暮らしの中で呆れるほど多くのことをやり過ごし、そして忘れてしまう。今日も九州地方は豪雨で大変な被害に遭われている。2017年のは熊本地震も起きた。突然はじまったコロナ時代も先が見えない自粛の状況が続いている。「蓮の音をきく」などと〈風流な〉ことを考えている場合ではないと、そう思い始めた余裕のない心につけ込むように、ある日黒い影が忍び寄ってくるかもしれないからだ。(2024年7月加筆)

◎過去の記事では、軍国主義が色濃くなった1930年代の国内有音派・無音派の植物学者たちが、2度の夏に渡って不忍の弁天堂前の蓮音を巡って朝日新聞紙上で繰り広げた『蓮の音論争』をご紹介しています。2017年以前の記事は前述のリンクからどうぞ。
2017年以前の記事(無修正)はこちら→

蓮の音論争写真
昭和10年の朝日新聞

【2019年 改訂版】
 夏になりました。この時期には毎年、昭和10年に掲載された朝日新聞「蓮の音論争」を軸に、日本文化に当たり前にあった「蓮の音がひらく音」が世の中から消えてしまった経緯、そして「きこえない音をきく」とはどういうことかをサウンドスケープ論を元にした「耳の哲学」から思考しています。科学的/物理的に「音がする/しない」を言及する場ではなく、社会の中でひとつの文化や表現の自由が簡単に消えてしまった歴史があったこと、そこには人々が「内心の自由」を隠してしまう空気、軍国主義が背景にあったという事実を知って頂く場と捉えて頂けたら幸いです。 以下は毎年更新しながら掲載しています。・・・・
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 今回は2018年に続き「芸術と科学」の関係性について素人なりに考えてみたいと思いました。なぜなら、この「蓮の音論争」を一方的に収束させた無音派の切り札(言葉)が牧野富太郎氏の「科学の勝利」であり、それは現在の時代や実学中心のアカデミズムの状況と重なってみえたからです。加えて、日常から「表現の自由」が奪われていくような「戦前の空気」に重なります。
 20世紀は「科学の時代」と言われました。約100年前とは言え、新しい科学技術が人々の暮らしや考え方や環境を大きく変えていく感覚は、現在のインターネットやAIと向き合う私たちと大差なかっただろうと思います。宮沢賢治の詩の端々にも科学への憧憬を感じ取ることができます。
 因みにこの「蓮の音論争」が繰り広げられた1930年代の日本も西洋近代化が進み、すでに不忍池周辺の工場の排気による環境汚染が問題視されていました。関東大震災の復興事業や地下鉄銀座線の開通、池の周りには市電も走り、現代の私たちが思い描くような「静かな」サウンドスケープではありませんでした。当時の街の「騒々しさ」を想像しながら記事を読んで頂けたらと思います。
 もっと言えば当時のアメリカではすでに原子力爆弾の製造法が研究開発されていて、それを知る留学経験者(物理学者たち)も国内に存在していました。大人と子どもほどの技術格差がある大国との戦争に突入していく時代を、米国帰りの物理学者たちはどのような想いで過ごしたのでしょう。その「内心」を知ることは出来ませんし、”賢い人”ほど自分を守るために口を閉ざすのは世の常なのかもしれません。この国は治安維持法に縛られ、いつの間にか「戦争反対」を唱えた人たちが隣人の「密告」により捕まり拷問を受け、殺されてしまうような恐ろしい国になっていました。自由を謳歌した大正デモクラシーから僅か10年ほどで、ジェットコースターのように軍国主義に「落ちて」いきました。もしくは反対に、ドイツやイタリアと肩を並べた強国に「上がっていく」と高揚感をもって臨んだ人たちも沢山いた時代でしょう。関東大震災を経てからの時代の空気の変遷はどこか今と重なります。
 「蓮の音論争」が起きるまでは、有音派の植物学者は「非科学的」などと揶揄されずに当たり前に受け入れられていました。科学の中にも多様性があったのです。それが、本当に簡単な実験を経て(地球上に生息するすべての蓮のエビデンスがあるわけでもないのに)、強引にひとつの意見に統一されていきます。「蓮の音をきく」ことは「風流すぎる」と軍国主義が嫌ったからです。そして「科学の勝利」と新聞に書かれた途端(突っ込みどころ満載の「非科学的な」実験だったにもかかわらず)、呆気ないほど簡単に「蓮の音」は社会から消えてしまいました。その冬には226事件が起き、クーデターを起こした多くの青年将校たちが処刑されます。昭和11年は軍国主義に舵を振り切った象徴的な年でした。
 国中の人たちが監視し合いながら「非国民」と密告されることを怖れ、「本心」を隠して大きな力に飲み込まれていきます。「蓮の音をきく」心の余裕もありません。「勝利」を信じて(または信じたふりをして)「お国のために」すべてを差し出す。国民には〈戦争に参加する道だけ〉が残されます。つまり選択肢がないのです。戦争参加を視野に入れたメディア報道や教育による「刷り込み」が子どもたちに及び、「兵隊さん」になってお国のために戦うこと、命を捨てることを「美徳」と感じるように育てられていきます。当時の朝日新聞「蓮の音論争」の記事の隣には、すでに都内で始まっていた空襲訓練を苦に一家心中をした有識者家族の記事が大きく掲載されていました。しかもそれはどこか「負け組」として晒されている印象があります。メディアもすでに戦争の加担者でした。
 ちなみに朝日新聞紙上で「科学の勝利」を謳ったのは「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎氏でした。牧野氏は音楽会をひらき自ら指揮者をするような文化愛好家の一面もありました。彼はご存知の通り、東京帝国大学の’聴講生’の立場から最終的に博士号を授与された稀有の天才科学者でもありました。しかしこの実験時にはすでに70歳を越えた「権威」でしたから、年齢による聴力(きこえ)だけでなく、国の科学者としての「無音宣言」はある意味で正しかったのでしょう。
 さらに注目すべきは全く違う理由で「科学的根拠」をもって「蓮の音」を戦後ふたたび否定した人物の存在です。それは誰よりも蓮を愛し、自宅で検証も積み重ねていた植物学者の大賀博士でした。大賀博士はなぜ「蓮の音はしない」と言い切ったのか。それは「カミカゼ」という「幽音(きこえない音)」を信じて戦争に邁進した盲信的な日本の「国民性」への反省と批判があったからです。
 ふたりの科学者の動機はまったく違いますが、「権威の裏づけ」は「蓮の音」にとっては決定的でした。そのまま昭和の高度経済成長期は「日進月歩」の科学技術の時代になだれ込み、「蓮の音をきく文化」はすっかり忘れられました。気づけば芸術さえも「科学的であること」「ロジカルであること」が求められる時代です。論拠の弱いモノ・コト・ヒトは排除する。「非科学的」であることと「言葉にできないこと」が同義として語られ、逆に言えば「言葉にできること」だけが世界のすべてになっていきます。
 そして2011年3月。衝撃的だった「想定外」の言葉とともに人類史上最悪の原発事故が起きました。その事故の背景には「ブレーキのない自動車を走らせる」ような杜撰な「最先端科学技術」の実態も見えました。あの事故から10年足らず、まだ何も解決していないどころか事態は悪化しているにも関わらず、科学技術は現実逃避のようにAIに邁進し、原発のブレーキを未だ開発出来ないまま再び動かそうとすらしています。その「非科学的な」背景にはいったいどのような思考があるのでしょうか。
 芸術と科学は本来、岡本太郎が提唱した「調和は衝突」の関係性にあるのだと思います。もともとは両者は森羅万象、言葉に出来ないことも含めてひとつの学問でした。科学者の言う「想定外」にあるものは、芸術にとっては必要不可欠な「イメージの力」にあたる領域です。現代科学が到達できない「非言語」の領域を補うのが芸術、科学の社会的な暴走を抑えるのは倫理や哲学です。理詰めの現代音楽のように「科学的なデータ/数字」だけで構成された社会はどこか息苦しいものです。「科学的根拠」も決して「正解」ではない。それは未曽有の原発事故が教えてくれました。
 「蓮の音を聞いた」と言う人を「非科学的である」と言葉で封じ込めるような権利は、実は誰にもない。百歩譲って科学に寄り添っても、この広い世界には2000種類以上の蓮が存在し、土壌や生育環境、蓮の生命力の個体差も含め、すべての可能性を「ゼロ」だと実証することは不可能だと思うからです(あの大賀博士さえ検証は70種類ほどでした)。蓮は蓮だけで存在している訳ではありません。
 「想定外」の存在を否定せずに柔らかに想像の翼を広げること。社会全体が「科学」を盾に「イメージすること」を止めてしまった時、戦争が待っているかもしれない。それこそ想定外の時代がやってくるかもしれないことを、「蓮の花の音」をめぐる歴史が教えてくれるのです。(2024/7月加筆)

【2021年追記】
この記事を書いていた数年の間に、「蓮の音をきいたことがある」という高齢の方のお話を二度伺ったことがあります。いずれも地方の方でした。上野の花の音は消えてしまいましたが、自然豊かな場所では生命力豊かな蓮の音が人々を楽しませてくれていたのかもしれません。


2024年7月19日上野・不忍池 蓮の薫る東京はお盆の季節。


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