身体の中心にあって、それを展開せしめるダンダ
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メール山をヒンディ語辞書で確認していた時、私は不思議な単語を発見した。その名は『メール・ダンダ』。それは人の体幹を支える背骨を意味する言葉だった。身体の中心にあるメール山としてのダンダ。このいかにも意味ありげなネーミングに興味をひかれた私は、再び脳内とパソコンとネット上の情報を検索して回った。
やがて明らかになったインド的身体観。それは前節までに述べてきた全ての『中心』概念を文字通り体現するものだった。
タントラ・シャクティに基づいたヨーガの身体観において、私たちの身体に重なるようにして目に見えない霊的微細身が存在する事は前に書いた。そこにはプラーナが流れる大小のナディが想定され、背骨と重なる中心的なナディがスシュムナー管だ。
このスシュムナー管の周りをらせん状にイダーとピンガラー管が取り巻いている。イダーは月の回路を、ピンガラーは太陽の回路を意味し、中央のスシュムナー管は、それが重なる背骨と共にメール山に擬せられると言う。これは体内に、以前の投稿で詳述した須弥山の構図がそのまま再現されている事を意味する。
ここにインド的身体観の特徴が明確に表れている。つまり身体としての人間存在その総体をミクロ・コスモスと見なし、マクロ・コスモスである世界と同置し、その縮図ととらえるのだ。
その起源はリグ・ヴェーダにまで遡って確認する事ができる。太初に生まれ出でたる黄金の胎児『ヒラニヤ・ガルバ』は、独一の主として世界を統御し支える威力と讃えられていた。
この世界の一切万有が胎児として孕まれ、そして顕現したという事は、この大宇宙が一体の人間の姿をしている事を意味する。
同時にこのヒラニヤ・ガルバが「天と地を支える者」である事から、三界を支えるヴィシュヌや天地両界を支える万有の支柱スカンバとの重なりも見易いだろう。プルシャが世界そのものでありその内部中心に万有の支柱スカンバが立つのならば、それは背骨に他ならない。
この黄金の胎児は一方で原人プルシャとなり、それを供犠とした祭祀を神々が行い、その身体のそれぞれのパーツから現象世界の様々な構成要素が生じる、という「人体祭祀による世界創造観」を生み出している。
その祭祀によって空を飛ぶもの、森に住むもの、村に飼われる家畜たちが作られ、賛歌の詩節とその旋律・韻律そして祭詞が作られた。そしてこれは有名なところだが、プルシャの口からはバラモン祭官が、両腕からは武人クシャトリヤが、両腿からは庶民ヴァイシャが、最後に両足からは奴婢シュードラが生まれたとされる。
ここで焦点となるのは、次の部分だ。
ここまで本マガジンの第五章では、天地両界の車輪世界とその中心軸柱である万有の支柱スカンバ、そして世界の中心軸メール山などを順番に紹介してきたが、上の詩節を見るとそのような世界のマクロな構造が、そのまま人体に重ね合わせて把握されている事が分かる。
天界は頭より転現し、眼から太陽が、思考器官(おそらく脳?)から月が生じ、口鼻からの呼吸は大気の風となる。そして臍からは空界が脚からは大地が生じている。
この世界宇宙と人の身体との重ね合わせである『同置』がやがて人体の解剖学的な知見と重なり合ってヨーギの身体に再帰した時、当然の様に、そこに体内のスカンバやメール山が想定された。
大宇宙世界の中心にブラフマンなるスカンバやメール山が聳え立つ様に、小宇宙である人体の中心には背骨(スシュムナー管、以下同)が、『メール・ダンダ』の名前で直立する、という流れだ。
この様な大宇宙世界と小人体世界との照応関係は、原初の一者・不死なるブラフマンと個我の本質であるアートマンが実は同一である、というウパニシャッドの思想とも深い関わりを持っている。
本稿のこれまでの論考を前提に、宇宙世界を展開・転回する車輪と観た時スカンバ・メール山がその車軸であるならば、メール・ダンダである背骨もまた我々の身体の車軸に他ならない。
その場合、スカンバなるメール・ダンダに貫かれて支えられる天地両輪は、天の車輪が頭骨、地の車輪が骨盤になるだろう。
上のプルシャ賛歌14詩節には「頭より天界は転現せり: śīrṣṇó dyaúḥ sám avartata」とあるが、この『転現』の原語である『avartata』はブッダの初転法輪を表す『pravartana』と重なるものであり、回転する車輪のイメージを強く持っている。つまりこの転現した天界とは、そもそもの原イメージとしてこの時点で既に車輪世界として把握されていた可能性が高い(この点に関しては、胎児の頭が回旋しながら出生するイメージを重ねた可能性もあり)。
このシンプルな体内の天地両輪観(+あばら骨部分は空界)が、その後発展してヨーガ・チャクラ思想を生み出したと私は見ている。
世間に流布しているヨーガ・チャクラ図を見ると、各チャクラの円盤面が正面を向いて描かれる事がほとんどだ。そのため私たちはつい錯覚してしまうのだが、実は本来のチャクラは背骨を車軸に見立てた時に車輪となるように、地面に対して水平に存在している。だがヴィジュアル的に見て、盤面を正面に向けた方が美しく見易いために便宜的にそう描かれるのだ。これはヨーガ・チャクラ図を見れば、ひと目で確認できる事実だった。
各チャクラが車軸に貫かれて七層に重なる車輪である、というその構図は、ストゥーパ頂上に立つ多重チャトラや五重塔の頂上に掲げられた九輪などをイメージすれば理解し易い。
つまりこの体内のチャクラ構造とは、人間の身体の内部中心に仮想構築された七重の輪塔が心柱である背骨=スシュムナー管にその中心を貫かれて聳え立つ姿なのだ。
日本の仏教建築には五重塔だけではなく七重塔も存在するが、あの構造を方形から円輪形に変えて体内に収めたとイメージしてもいい。
その場合、ヨーガの修業とは日常の地平である初重一階(ムーラダーラ)から入って順次階層を昇って行き、最終的には最上層の七重(七階)屋根を超えて、九輪の更に頂(サハスラーラからブラフマン・シヴァとの合一)に至る昇階プロセスに他ならない。
ここで再び思い出されるのは、私がインドで初めてヨーガを学んだ時、最初に言われたこの言葉だった。
「あなたの身体を、神を招来する聖なる寺院として浄化し整えなさい」
伝統的な文脈に乗ったヨーガを学んだ人ならば一度は聞いた事があるはずだが、この言葉と重ねて観れば、体内のメール・ダンダは身体という寺院の中心に聳える心柱に他ならないだろう。
日本の層塔寺院建築の祖型であるストゥーパの形について、それは御仏が坐禅している姿を表すという説を前に紹介した。確かに日本山によく見られる様な釣鐘型のストゥーパは、そのドームの丸みが肩の丸みと重なり合い、瞑想する人の坐形をも思わせるものだ。
だとすると、その中心にある柱は当然脊柱の寓意となり、チョルテンの軸柱構造や五重塔の心柱が、実はヨーガ思想の先駆け、あるいはそのパラレルな仏教版である、という可能性も見えてくる。
一方、前回投稿で紹介した蓮華蔵世界の中心上空に法身の毘廬舎那仏が坐する姿をイメージすれば、その体内に直立する背骨はマクロ・コスモスの巨大なスカンバとなる。その大宇宙なるスカンバと小宇宙なる人の身体のダンダとが重なり合い、さらに法身の仏と個々の衆生が持つという仏性とが重なり合い、それはブラフマンとアートマンの仏教版とも考え得る。
そしてダンダが持つもうひとつの意味が蓮華の『茎』であった事を考えた時、更なるイメージが明らかになる。背骨の最下部、会陰のチャクラはムーラダーラと呼ばれ、それは『根』のチャクラを意味している。これが蓮華の根(含む地下茎)だ。そこで目覚めたクンダリーニのエナジーは『柄茎』である背骨を真っ直ぐに上昇し、ついには頭頂部にサハスラーラ・チャクラ、すなわち『千の花弁の蓮華』を開花させる。
これは前に記述した、
【水底の泥に埋まる根が世俗での生活を、濁った水中を上昇する茎が神を目指す精進を、水面を離れた空中で太陽を受けて花開く蓮華が解脱を表す】
という、あの聖なる蓮華観の体内における再現に他ならず、それはある意味、人の身体による『逆・蓮華蔵』とも言えるかも知れない。
車軸に貫かれて回転する車輪の様に、茎に支えられて花開く蓮華の様に、クンダリニーに貫かれた各チャクラは活性化し、頭頂部のサハスラーラ・チャクラにおいて満開の蓮華輪を開く(蓮華の中心にある花托を柄茎の延長であるとすれば、蓮華も軸柱に貫かれている)。
それはメール山や蓮華蔵世界、ヴィシュヌ神のローカ・パドマとも重なり合い、身体の中に構築された輪層小宇宙=チャクラ・ボディの完成を意味していた。
ヨーガ・アサナを初めて習った時、私は『ヨーガはそのポーズの取り方によって三つに分類できる』と説明を受けた記憶がある。最初は背骨を前後に曲げ伸ばす運動。次に背骨を左右にひねる運動。最後に背骨を両サイドに横曲げする運動だ。
中でも重要なのが最初の運動で、前屈系のパスチモッターナ・アサナやハラー・アサナ、後屈系のブッジャンガ・アサナやチャクラ・アサナなど、最も重要なポーズはほとんどこれに含まれている。つまり(坐法以外の)ヨーガ・アサナとは、背骨を曲げ伸ばす運動と同義なのだ。
そこには、背骨を可能な限り柔軟にし活性化する事によって、重なり合うスシュムナー管にプラーナを通し、もってクンダリーニの覚醒とチャクラの活性化をはかる、という方法論があった。
そしてその背後には、ミクロ・コスモスの車軸である脊柱をアートマンと見立て、マクロ・コスモスの車軸でありスカンバであるブラフマンに帰着させようとする思想が潜在している。アートマンの活性化に呼応してブラフマンも活性化し、二つのエナジーが引き合ってそこに神人合一が成就される。これこそがハタ・ヨーガ実践の究極のゴールなのだ(この場合アートマンに上昇エナジーを与えるのはデヴィ・シャクティ)。
そしてこのような考え方はヨーガだけにとどまらず、武術をはじめとした身体文化すべてに通奏低音のように伏流していた。インド語でエクササイズを表す言葉に『ヴャヤム』があったのを覚えているだろうか。その意味は『すべての方向に曲げ伸ばす』だった。
今思えば、その核心にある焦点こそが『背骨』だったのだ。振り返ってみれば、クシュティのエクササイズを始め、マラカンブやメイパヤットそして棒術の回転技に至る、全てに共通するのが、この背骨に対する強烈な働きかけに他ならなかった。
ここで言う『背骨』とは、頸椎から骨盤の一部をなす仙骨先端の尾骨までの骨格と脊髄を意味し、広義には頭がい骨とその内部の脳をも含む。それがスシュムナー管を意識している事は言うまでもない。
クシュティのラッサは、高所から吊り下げられたロープを両手の力だけで登るエクササイズだった。両手で交互にロープをつかみ身体を引き上げていく動きは、分かり易く言うとトカゲの歩行に似た背骨のうねりを生み出す。
文字通りダンダという名の腕立て伏せでは、ダイナミックな背中の曲げ伸ばしがその特徴だった。マラカンブについては柱上のヨーガという異名がその本質をよく表し、説明の必要さえないだろう。
カラリパヤットの場合も同じ事が言える。段階的な蹴りのエクササイズから始まり180度開脚に終わるメイパヤット。さらに前屈して両手を前についた状態から手を離さずに上体を旋回させる360度旋回ブリッジに至るすべてが、実に強烈な背骨への働きかけに他ならない。これは私自身の実体験からも深く頷けるのだ。
ある時私は、師匠であるヴィジャヤン・グルッカルの娘で英語が話せる事から師範代として私の指導をしてくれていたカヴィータ嬢に、稽古中裸の背筋をスゥッと撫でられてゾクッとした事がある。彼女が20代の魅力的な女性だった事もあって、一瞬私はドキッとした。けれど真剣な彼女の眼に見つめられて、すぐにその勘違いに恥じ入ったものだ。
聞けば象のポーズやライオンのポーズ、ニーキ・デルテと呼ばれるイノシシのポーズなど、下半身の重心を極端に落として上体をグッと起こした姿勢では、仙骨から腰椎にかけての『反り』を常に一定以上に保ちながら、決して猫背にならずに背筋を起こし背骨を立て続けることが一番重要なのだという(これは背筋の腰椎部分が出っ張るか凹むかで判断できる)。そして、この体勢が実にきつい。身体の固い私にとっては蹴り以上に泣きが入ったものだ。
そして棒術の回転技ついても、目立たないながらこの原理は共通している。棒を回しながら頭上で左右の持ち手を変える時、その背筋は大きく反り、お尻の後ろで持ち替える時は逆に背筋が前屈する。左右の体側で持ち手を変える時体幹は大きく捻じれ、ステップと共に棒の回転を切り返す時もまた大きな体幹のひねりを伴う。更に上級レベルのダブル・スティックでは、両手に一本ずつ持った棒を同時に回すことによって、ラッサ以上の体幹のうねりを生み出している。ここではこれ以上の詳述は控えるが、その動きの全てが、やんわりと時に激しく、体幹の柔軟性を開発していくのだ。
インド式エクササイズは、背骨の柔軟性というものをかように重視する。そこには『柔軟な背骨はすべての病を防ぐ』という言葉すらある。これこそがインド武術の第一印象である『異質な身体観』の核心だったのだ。そして興味深いのはこの『すべての病』の中にメンタルな要素も含まれている点だ。
近年さまざまな形で瞑想というものが私たちの生活の中で身近になってきているが、そのほとんどが大本はインドにその起源を発している。そして坐って瞑想するとき、最も重視されるのが、背骨を真っすぐ立てると言う事、さらに禅などではしばしば言われる「腰骨を立てる」事だ。
そしてこの「腰骨を立てる」という状態は、正にカラリ道場で私がカヴィータ師範代に注意された、あの仙骨から腰椎にかけての反りを維持する事に他ならない。
背骨とは単に物理的に体幹を支えるだけではなく、内部を通る脊髄は脳に次ぐ最も密度の高い神経中枢である。背骨を注意深く立て、仙骨骨盤を適切な角度に維持する事によって、内部を走る神経中枢そのものが活性化し自ずから瞑想の深化がもたらされる。
インド的エクササイズにおいて背骨を柔軟に動かすということは、単に物理的、生理的観点だけではなく、全身の神経システムが大動脈的に集まる脊髄中枢そのものの活性化と集中力の強化を意味するのだ。
背骨コンシャスに坐り、運動する。この事は心の座である脳にダイレクトに作用する。もちろん、脳は身体システム全体のオペレータであり、システム全体のバランスをとり、あるいは免疫などの生体防御システムを制御するものでもある。そしてそれらの指令はすべて背骨という下部中枢を通じて全身に展開分配される。
残念な事に、私たちはこの脳自体を物理的に運動させ刺激する事は出来ない。それは頭がい骨という完全にシールドされたカプセルに守られて、外部からの働きかけを拒んでいる(唯一の例外がアルカロイドという脳内活性物質だがここでは触れない)。分かり易く言えば、私たちは脳をストレッチする事も出来ず、マッサージすることもできない。そこで重要になるのが背骨の存在なのだ。
背骨を柔軟に動かし、背骨コンシャスにそのポジショニングを最適化して瞑想することによって、それはダイレクトに脳そのものに作用し、そのメンテを行い活性化させる。その集中は、心と身体のすべてを神経レベルでチューンナップし、戦士にとって最大の障害となる『恐怖』をも克服する。
インドのフィジカル・エクササイズの隠された目的が実はここにある。どんなに太い筋肉でその身を鎧おうとも、それを操作する神経系、さらに総合司令塔である脳や心がシャープでなければ、身体は動かない。特にそれが戦場という極限状態であればなおさらだろう。
私たちの身体の中心には一本のダンダがある。それは身体というインナー・スペースを物理的神経的に支える柱だ。汎インド教的な脈絡においてダンダが『神』であった事を思い出す時、背骨はイコール神そのものをも含意する。その内なる小なる神を活性化する事によって、世界の柱である外なる大いなる神もまた活性化され、そこに『リンク』が開く。
そして大小二つの神が交感しつながった時、戦士はあらゆる迷いや恐怖から解き放たれ最高度のパフォーマンスを発揮し、瞑想者は彼方の世界の解脱を得る。インド的エクササイズとは、その根底にあるアートマンとブラフマンの思想を、ひとつの方法論として見事なまでに体系化し具現化したものだったのだ。
人の身体と1本のダンダを重ね合わせるというこの思想は、ヨーガや武術以外の日常的な宗教実践の中にも違った形で組み込まれている。それが五体投地だ。
これは両足と体幹を真っ直ぐに伸ばしさらに両腕を頭上に挙げた状態で、大地に全身を投げ出して神仏を伏し拝むというもので、日本や東アジアの仏教はもとより、チベット仏教において、そしてヒンドゥ教やジャイナ教、シーク教に至る全インド教において、最上の礼拝法として現代に至るまで脈々と伝えられてきた。
これら五体を大地に投げ出す礼拝法をヒンディ語ではダンダ・ヴァットあるいはダンダ・プラナームと呼ぶ。それは文字通りダンダの礼拝法なのだ(考えてみるとほかの動物と違って直立二足歩行をする人間の身体は、そのままで棒や柱に見えない事はない。意味はまったく違うが、日本語の人柱などという言葉もこの間の消息をよく表している)。
両手両足を真っ直ぐに伸ばして、文字通り手も足も出ない全身一本のダンダ状態で身体を投げ出して礼拝する姿は、神仏であるダンダ・スカンバを見事に『模倣』してもいる。それは至高者に対する完全な帰依と自己放擲を象徴的に表した、身体祈願の法だったのだろう。
そして大地に身を投げ出しては立ち上がり再び投げ出すというその動きは、ヨーガのスリヤ・ナマスカルとも多々重なり合い、背骨(脊髄神経/スシュムナー管)を大いに活性化するに違いない。五体投地行の繰り返しによって人の心はより繊細にチューニングされ、信仰という心の働きは、ますます深まって行くのだ。
人間の体内中心を貫き支える背骨をダンダと見る思想を前提にすると、神仏像の造形デザインにまた新たな光を当てる事ができるかも知れない。
例えば、蓮華蔵世界観に基づいて蓮華座の上に神仏が坐し、その上にチャトラや菩提樹が掲げられている場合、それは蓮の茎から背骨をへて傘の柄や菩提樹の幹に至る、一本の壮大な「ダンダ連なり=世界の軸柱」と見る事ができるのだ。
上の画像はおそらく蓮華蔵世界観に基づいた、無数の世界に現れる無数のブッダを表していると思われるが、柱の様に真っすぐに伸びて妙に強調されている蓮華の柄茎とその上に坐するブッダの背骨を一続きとし、世界の中心軸柱と観る事が可能だ。
同様の構図はヒンドゥ教やジャイナ教においても普遍的に採用されていて、聖なるダンダ、あるいは神的なスカンバによって一貫されている世界観を、見事に体現していると言えるだろう。
上のパールヴァティ像を見ると、まず台座の蓮華を支える柄茎としてのダンダ、彼女自身の背骨としてのダンダ、チャトラの柄軸としてのダンダ、菩提樹の主幹としてのダンダ、という一続きの四連ダンダを観る事ができる。
上のジャイナ教サモウシャラン図においては、車輪世界観の中心車軸の上空に聖蓮華が柄茎に支えられて浮かび、その上に祖師ティールタンカラが背骨を立てて坐り、その上にチャトラの柄軸、背後には菩提樹の主幹が重なる、という形で中心ダンダの五連続の連なりが表現されている。
この構図に興味を持って調べてみると、ジャイナ教にも宇宙世界をひとつの身体と観る世界観が伝わっている事が分かった。その具象化が『コスミック・マン』だ。
上の画像は頭部を天界に腰部を地上界に、それより下の脚部を地獄に見立てたジャイナ教の宇宙・世界図だ。平面図として描かれていると分かり難いが、もちろんこのヒト型世界像モデルは我々人間の身体と同じ『立体』として把握されているので、中心部の細長い階層構造は明らかな軸柱構造を示している。
ジャイナ教思想では原初の一者かつ創造者であるブラフマンは否定されている様だが、このモチーフは「黄金の胎児⇒原人プルシャ⇒万有の支柱スカンバ・ブラフマン」というヒンドゥ教・メインストリームの思想を、シンボリックな『世界観』として間違いなく引き継いでいる。
加えてもうひとつ重要な『車輪世界観』をも引き継いでいる事は、下の画像を見れば、これも明らかだろう。
上画像の左右に描かれた同心円は腰部の地上世界を表したものだが、全体としての車輪形とその中心車軸としてのメール山が明示されている。このメール山はもちろん、ヒト型の世界像における背骨でありメール・ダンダに他ならない。
ここでは軸柱状に描かれたプルシャの身体その内部に車輪世界が取り込まれている事に気づく。そう、円筒状の柱を輪切りにすれば、その断面は円輪の姿を見せるのだ(これは次章で効いてくる)。
この柱状かつ積層構造として描かれるコスミックマンの身体は、おそらく人の背骨が円輪状をした椎骨の積層構造である事からの連想だろう。
これらの絵柄を総合すると、ジャイナ教が人間の住まう大地世界を車輪として把握し、その中心車軸にメール山を据え、更に地獄・地上世界・空界・天界という垂直構造を直立する人の身体と観じ、総じてその全身を宇宙的な軸柱として見ていた事がよく分かるのだった。
実はこのコスミック・マン的な世界認識はヴィシュヌ・クリシュナ教徒の間にもヴィラート・プルシャ(もしくはVirāṭ-rūpa, Viswa-rūpa)として伝わっている。
ここでも腰部の地上世界は円輪形として把握され、その中心でクリシュナがラーダと共にラース・リーラの舞を踊っている姿は、改めて天界の最高処に移される形で描かれている。この構図は以前の投稿で紹介したシュリ・チャクラにおいて、その中心にシヴァとシャクティの合一を意味するビンドゥが打たれていた事と全く重なるものだろう。
そしてそれはもちろん、ヨーガ・チャクラの思想において女神のシャクティがスシュムナー管を下から上へと昇りつめ、頭頂部のサハスラーラ・チャクラにおいてシヴァと合一するという、あの思想へとつながっている。
サハスラーラ・チャクラが千の花弁の蓮華である以上、その中心には花托があり、その花托とは、雌性と雄性が合一する場処に他ならないのだ。
ここでクリシュナの全身が金縁の楕円輪で囲まれているのは、黄金の胎児や原初の宇宙卵の思想を引き継いでいる。胎児にしても卵にしても両性の合一によってはじめて展開が可能になる、という意味でも、これらの表象は筋が通っている。
もちろん、仏教的な文脈においてもこのコスミック・マンの思想と表象は受け継がれていた。チベット仏教におけるヨーガ・チャクラ図がそれだ。
上の画像は、一見して単なるヨーガ・チャクラ図の立像に過ぎないようにも見えるが実は別の意味がある。この類似の絵柄はしばしばジャイナ教と同様コスミック・マンと呼ばれ、ヨーギのチャクラ図を表すと同時に、ヒト型大世界の瞑想階層的な垂直構造をも表しているという。
チベット仏教に関しては私自身未だ調査が行き届いていないのでここでは絵柄を紹介するに留めるが、彼らはインドで滅びてしまった仏教をその終焉の地東インドから直接受け継いでおり、様々な翻案、脚色、変質を伴いながらも、インド仏教(後期密教とそれに至る全仏教史)の原像を確かに留めている。言語の問題さえなければ、いずれとことん沈没してみたいものだが…
特に北・中央インドの平野部において、中世以降ムスリム侵略軍の襲来を受けたインド教諸派は壊滅的なダメージを被り、その豊かな実践的伝統や思想、そのシンボリズムの多くを失ってしまったが、本来はヒンドゥ・ヨーガのチャクラ思想の中にこそ、これらコスミック・マンの世界像は根付いていたはずだと私は思う。
そこでは小世界であるヨーギの身体は大世界であるプルシャへと重ね合わされ、彼の体内で起こるクンダリニーの上昇は、直截的に大プルシャ世界における垂直上昇、すなわち人が住まう地上界から神々更にはブラフマンの解脱界に至る天界への上昇を意味していた。
その大プルシャ世界における体内の『チャクラ』とは、これまで説明して来た大なる世界における車輪の輪層構造に他ならない。つまりムーラダーラ・チャクラは大地の車輪そのものであり、サハスラーラ・チャクラは至高なる天界の車輪そのものになる。
この天地二つの車輪世界の間にはいくつかのサブ・チャクラが想定され、その輪層構造を支える車軸柱であるスシュムナーに沿って、ヨーギの意識は頭頂のサハスラーラ・チャクラに向かって上昇し、それは同時に、大なるプルシャ世界における天界の車輪への到達を直接的に表していた。
黄金の胎児からブラフマンの卵、そして原人プルシャを踏まえた上に展開したブラフマ・チャクラ。その中心たるメール山と壮大な万有の支柱スカンバ、そして人の身体の内部に聳え立つ脊柱・メール・ダンダ。これらが同置され同一視され、様々な思想や哲学さらには修行道の実践法までをも生み出していた流れが、納得して頂けただろうか。
この第五章全体の考察を通して、輪軸世界観というものが汎インド思想的なひとつの核心であった事は、もはや私の中では、不動の確信(まさに車軸の如き!)へと変わったのだった。
~次回の投稿へ続く~
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