万有の中心にあって、それを展開せしめるスカンバ
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話は少し遡る。インド出発の日程が迫る中、改めてインド思想の淵源に没入し彷徨していた私は、そこで今まで想像した事もないような壮大なチャクラ思想のパンテオンを見出して驚く事となった。
そのひとつが、大宇宙を支える『万有の支柱・スカンバ』の思想だ。
前節の流れで古い時代の仏跡データを閲覧していた私は、あのアショカ石柱に引っかかるものを感じていた。インド国章になっているライオン・ヘッドで有名なスタンバだが、オリジナルの姿では、柱の天辺にあるライオン・ヘッドのさらに上に、法輪がひとつ掲げられていたらしい。
それが構造上非常に脆かった事もあって、現在、無傷の法輪の姿はほとんど残されていないが、当時、多くのアショカ石柱の最上部にはこの法輪が掲げられていた事実が様々な証拠から明らかになっている。
同じような造形を、仏跡ではなく生きたヒンドゥ寺院で目撃した記憶が私にはあった。それは以前に訪れたカルナータカ州の州都バンガロールの市内にある、ガヴィ・ガンガダレシュワル寺院の境内に立っている何種類かのスタンバだった。
私はそれを確認すべく09年の暮れにこの地を再訪した。上の写真には円盤を天辺に頂いた柱があるが、これはスリヤパナスと呼ばれるスタンバだ。太陽神への信仰を表していたようだが、その姿はサイズ比率は異なるが本来のアショカ石柱とよく似ていた。
そして、その手前にはもうひとつのスタンバが立っていた。この寺院はご本尊にシヴァ・リンガムを祀るシヴァ寺院なのだが、このスタンバはシヴァの神器であるトリシュラを巨大化したものだった。
このスタンバとしてのトリシュラに私は再びひっかかった。下の絵にある様に、シヴァがその手に持つトリシュラの柄はシヴァが人並みの大きさであればダンダ、つまり棒に見える。だが神が人と同じ大きさのはずはない。おそらくはアトラスの様な大巨人ではないのか。ならばそれをできる限りリアルに表現しようとすれば、ダンダを巨大化してスタンバにするしかない。
同じ構図のチャトラ版が、やはりバンガロール近郊のボガナンディシュワラ寺院に存在した。それは神室前のホールに立つ巨大な石造りのチャトラだった。これも手に持つ大きさならばその柄はダンダだが、巨大化すればそれは立派なスタンバとなる。
その造形は一見して柄軸の太さと傘の大きさがアンバランスで、ある種巨大キノコの様な姿だったが、このチャトラ・スタンバを横倒しにすれば、それはそのまま輪軸の造形に他ならない。
そこには、それが車軸であれ傘や槍の柄であれ、ダンダと呼ばれる棒は巨大化させればスタンバすなわち柱になる、という単純な事実があった。
これは私が長年携わってきた林業に絡めて考えると分かり易いだろう。例えば植えて4~5年の杉の若木を根元から間伐して枝を落とし皮を剥けば、それはちょうど手ごろな棒、つまりダンダとなって人の歩行を支える。一方、植えて20年以上たった杉を伐って同じようにすれば、それは立派な柱、つまりスタンバになって屋根を支える。
そう、ダンダとスタンバとは、その大きさや用途は違うものの『本質的には全く同じもの』であり、『支える』という働きをも共有する。これは私だけの経験的主観ではなく、インドを含めた世界中に普遍的な真理と言えるだろう。
スタンバは巨大化したダンダである。それが木製の場合、どちらもほとんど素のままの樹の幹から造られる。
となると、これまで見て来た様にダンダが=車軸ならば、アショカ石柱もまた巨大化した車軸でありブッダではないのか。これが連想の果てにたどり着いた仮説だった。
前回投稿『法輪の中心にあって、それを転回せしめるブッダ』の中で、私は既に「基壇を車輪としたストゥーパの内部中心に車軸としてのブッダが心柱として聳えている」事を詳述している。
ならばこのアショカ・スタンバとは、車軸であるブッダをストゥーパ内部から取り出して、単立化させたものではないのか。
『ダンダ=スタンバ=車軸』であり、それは同時に『車軸=神仏(ご本尊)』である、というこの仮説を検証するために、再び私は古のヴェーダ神話にまで遡っていった。
思い起こしてみれば、ヴィシュヌ神が世界を支える神として崇められていた事実は、すでにリグ・ヴェーダの中に明らかだった。それは具体的にスタンバというイメージと結びついていたのだろうか。
その原像、とでも言うべきものは、ヴィシュヌではなくインドラの名前で、リグ・ヴェーダの中に記されていた。
ここでは、天地の両界をラタ戦車の両輪に重ね合わせ、アクシャが両輪を支えるように、インドラが天地を分かち支える、というイメージが明示されている。
より具体的にイメージすれば、天地の両輪は上下に離れて存在するのだから、それを分かち支える車軸は直立した形になる。この場合、天地を支える程の車軸とは、すなわち超巨大な『スタンバ』の屹立に他ならないだろう。
この「天と地を分かち支えた」というイメージは、リグ・ヴェーダの様々な神々に共有されており、最終的にヴィシュヌにおいて『世界を支える神』として収斂していったのだろう。そこにおいても本来的に彼は、天地両輪を分かち支える車軸なる神だった可能性が高い。
天地を支える車軸とは人の想像を絶した大きさだろうから、それはもはや軸棒などではなく超々巨大な軸柱に他ならない。
後のヒンドゥ教においてヴィシュヌ神像がダンダを持つとき、その像がせいぜい人並みの大きさであるために私たちはそれを棒サイズだと錯覚する。だが巨大化したシヴァのトリシュラ・スタンバを思い出そう。天と空と地の三界を三歩でまたぐヴィシュヌ神の大きさを考えれば、その手に持つダンダもまた、人間の目から見ればあたかも天地を貫く壮大なスタンバそのものではないか。
言い換えれば、ヴィシュヌが本来的には世界を支える壮大な柱である事を表すために、その手にダンダ(実は超スタンバ)を持たせたと見る事も出来る。
この世界の柱としてのヴィシュヌというイデアを象徴する遺跡が、実は仏跡で有名なサンチーの近く、ヴィディシャの郊外に存在した。そこには地元の人々から親しみを込めてカンブ・ババと呼ばれる一本の石柱が屹立し、ヴィシュヌの乗り物がガルーダである事から別名ガルーダ・スタンバとも呼ばれている。
これは紀元前150年頃にギリシャからインドに大使として赴任していたヘリオドロスによって建てられたもので、当時、ギリシャ人の間にまでヴィシュヌ信仰が広まっていた事実を示して興味深い。ちなみにこのヘリオドロスという名前は『太陽(ヘリオ)の贈り物(ドロス)』を意味し、本来太陽神であるヴィシュヌを自らの守護神としたものらしい。
その造作は、アショカ石柱に比べると大きさや技術においてすこぶる見劣りがするが、それでもなお、ヴィシュヌ神(ヴァースデーヴァ=クリシュナ)が世界のスタンバとして信仰されていた最古の証拠として極めて重要なものだった。
そしてこのヴィシュヌ神をスタンバと同一視する思想は、現代にいたるまで伝わっていたのだ。改めて写真データを見直してみると、あのプーリーのジャガンナート寺院をはじめ、およそヴィシュヌ神を主神として祀るほとんどの寺院に、この石造りのスタンバが設置されている事実を確認することができた。私はこれまで数えきれないほどジャガンナート寺院を訪ねているが、私が気に留めなかっただけで、スタンバはそもそもの最初っからそこに立っていたのだった。
このヴィシュヌ・スタンバを前提に改めてアショカ・スタンバについて考えると、やはりこれはブッダそのものを表していた、という印象が強い。ナガルジュナ・コンダやサンゴールそしてネパールのストゥーパ、チベットのチョルテン、法隆寺の五重塔など巨大な建造物では、本来的には車軸であるものが『柱』となってその中心に聳えていた。そしてその中心の柱が、法輪の車軸としてのブッダそのものである可能性についても検討してきた。
ならば、アショカ石柱はその車軸である柱を分かりやすくストゥーパの外に取り出して、ブッダそのものを象徴する単立のモニュメントとして建てられた、とは考えるのは極めて自然な流れだろう。
また以前に述べたように、ブッダの法輪とヴィシュヌのスダルシャン・チャクラは同時進行的ライバル関係にあった。一方、アショカ・スタンバはヴィディシャのガルーダ・スタンバに先駆けて建てられ、後者が前者を模倣する形で建てられたという事実がある。ヴィシュヌがスタンバと同一視されたのは、あるいはライバルであるブッダがすでにスタンバと同一視されていた事の模倣とも考えられるのだ。
いやこの言い方はやはり適当ではない。本来ならリグ・ヴェーダですでに世界を支える者として崇められていたヴィシュヌこそが、スタンバの元祖だというのは間違いないのだ。それはダンダやチャクラのシンボリズムに関しても同様だ。
より正確には、元々アーリア・ヴェーダのヴィシュヌに由来するものを、ある時代に仏教徒がブッダを象徴するシンボルとして借用し大々的にフィーチャーした。それがアショカ王の権勢に乗ってインド世界全域に広まり、やがてヒンドゥ教の勃興と共に、改めてそれがヴィシュヌのものとして復活していった。それが正しい順序だろう。
この関係はシンボルだけではない。ヴィシュヌの化身であるラーマは、仏伝ではシッダールタの前世の姿として描かれている。またヴィシュヌの9番目の化身として、ブッダ自身が非常にいびつな形で取り込まれている事実もある。アショカ王の時代、すでにブッダをヴィシュヌと重ね合わせる思想があったのかも知れない。ブッダとヴィシュヌは色々な意味で、複雑に錯綜したライバル関係にありながら歴史を綾なしてきたと見るべきだろう。
仏伝によれば、後に覚りを開いてブッダになるシッダールタは、その誕生の直後、七歩歩いて天と地を指さして『天上天下唯我独尊』と宣言したという。直立して右手で天を、左手で地を真っ直ぐに指さしている誕生仏のイメージは、正に『唯一無二の柱』を彷彿とさせる。
そしてこの構図、上下や手の左右は逆だが、怒れるインドラが大雨を降らした時、ゴーワルダン山を片手で持ち上げて傘として、人々をその雨から守ったというクリシュナ神話の構図とも重なり合う。
丸い水盤の中央に立つ誕生仏の構図は当時の仏教徒がブッダを、ヴィシュヌ=クリシュナ神と同じような三界を支える支柱と考えていた事の表れなのかも知れない。
私は前に、『世界の車軸としての神仏(ご本尊)』という普遍的な思想があった、と書いた。ならばそこには当然、ブラフマンやシヴァを世界のスタンバに見立てる証拠も残されているはずだった。この世界あるいは大宇宙を巨大な車輪と見立てるならば、それを支える車軸は人間の想像を遥かに超えた壮大な柱となる。
そして事実はその通り、ヴェーダやウパニシャッドなど諸文献のあちこちにその様な記述を見出すことができたのだ。
紀元前千年前後になると、リグ・ヴェーダ的な多神教人格神群に飽き足らなくなったインド人は哲学的な思索を深め、ついに大宇宙の唯一者であり創造の根源であるブラフマンの思想を確立する。その原風景とも言えるアタルヴァ・ヴェーダの中に、唯一なる万有の支柱『スカンバ』が登場する。
スカンバとはスタンバの別綴りで、一般に柱を意味する『カンブ』に『ス』を冠した名詞だ。ここでスカンバは『カーラ(時間、これが車輪と重ね合されていた事を思い出そう)』などと共に宇宙の根本原理として称えられ、不死の解脱・原初の一者ブラフマンと同一視されていた。
それが天地の両界を支える以上、このスカンバはリグ・ヴェーダにおいて天地両界を車軸の様に分かち支えた神の発展・継承版と見て間違いない。そう思って調べると、まずスカンバについてはリグ・ヴェーダにその証拠が存在した。
そしてアタルヴァ・ヴェーダにおいても、件の車輪世界のイメージが明示されているではないか。
全体に暗喩的で、その意味合いは分かり辛いが、4.詩節の「ひとつの車輪」は1年を、「12のタイヤ」はその月数を表し、「300と60のスポークとピン」は1年の日数だと考えれば筋が通る。続く7.詩節の「東で上へ西で下へ」行くのは太陽であり、「ひとつの車輪ひとつのリムで回転している」は太陽の日周運動、さらには巡る1年の円環運動を表しているのだろうか。
つまりここでは大地の車輪ではなく天界の車輪の展開と運行が語られている事になる。
そこにあるのは、以前に「ヴィシュヌ神の原像とスリヤ・チャクラ」、「影の最高神『デヴィ・シャクティ』」で言及し、加えて「踊るシヴァ神、ナタラージャの秘密」で詳述した様な、この現象世界をひとつの車輪の転回・展開として観る、コスミック・チャクラの思想そのものだった。
一方で、同じアタルヴァ・ヴェーダの中には、スカンバの『中心性』も活写されている。
つまりスカンバ=ブラフマンは、車輪として展開し転回する世界の中心に貫入した、車軸なるアクシス・ムンディなのだ。
ここで注目したいのは、スカンバが「その周りを枝々に取り囲まれて樹の幹が立つ様に」と表現されている事だろう。この辺りは前述したブッダの菩提樹とも関連して非常に興味深い。そこではダンダが意味した『樹の幹』をスカンバと見立てている事実があるからだ(そもそも柱とは樹の幹から切り出したものである!)。
それにしてもここに見るスカンバ観、世界を支え保つとされたリグ・ヴェーダのヴィシュヌ観と余りにも似ていないだろうか。このブラフマンというコンセプトは非人格的な中性名詞であったが後に人格神化し、台頭するヴィシュヌやシヴァなどのヒンドゥ人格神群と共に男性名詞のブラフマーとしてトリムルティの一角を担う事になる。
そしてサーンキャ哲学で紹介した純粋精神プルシャなるアートマンとこのブラフマンが、後期ヴェーダの古ウパニシャッド思想においては同一視されて『梵我一如』の思想が生まれていた事実がある。
アートマンがプルシャであり不動の車軸であったと前提すれば、『ダンダ=車軸=アートマン』と『スカンバ=万有の支柱(世界の車軸)=ブラフマン』、そして『アートマン=ブラフマン』として、すべての文脈が見事に合致する事になる。
そしてヒンドゥ教の最も聖なる音節(シラブル=アクシャラ)である『オーム』が、カータカ・ウパニシャッドの中で『最高者』ブラフマンと呼ばれ、『世界の最も勝れた支柱』と称えられていた事実が、ここにおいて重要な意味を持って来る。
ラタ戦車の片輪を浮かせて回転させれば、地面との擦過音などの雑音を除いた純粋な車輪の回転音を聞くことができる。その製造工程が精緻であればあるほど、車軸と車輪が交わるところに生まれる抵抗は小さく、その摩擦音は精妙になる。私はそれを実際に聞いたことはなく想像にすぎないのだが、ひょっとしてそれは、かそけき神の韻律を思わせる『ウゥォォォン』という神秘的な共鳴音ではなかっただろうか。
やがてインド思想の成熟と共に車軸は直立したスカンバになり唯一至高なるブラフマンとなり、車輪はブラフマ・チャクラとなり展開する天地の現象世界と重なり合った。
聖音オーム。それは車軸なる神と車輪なる世界が交わるところに生まれる、大宇宙の回転音だったのかも知れない。
最後にシヴァ神の場合を見てみよう。シヴァ派の神話によれば、ある時ヴィシュヌ神とブラフマー神の間で、どちらが世界の創造者であるかという口論が起こったという。だがお互いがお互いに我こそはと主張を譲らず結論が出ない。
そこに突然、巨大な炎のリンガが現れた。その頂は天の果てに消え、その根元は海の深みに沈んで見えない。そこでこのリンガの果てを調べるため、ブラフマーは白鳥に変じて天に上り、ヴィシュヌはイノシシに変じて海に潜った。だが二人ともリンガの端を発見できず、それが無始無終の大いなる柱であると確認して恐れ慄くばかりだった。
するとそこに、シヴァ神がリンガの柱を割ってその姿を現したのだ。ヴィシュヌとブラフマーはシヴァの偉大さに脱帽し、彼こそが宇宙の創造者であり、至高の神であると認め礼拝した。それ以来、寺院の中でシヴァ神はリンガとして崇められるようになったと言う。
この神話のソースであるシヴァ・プラーナには、この炎のリンガをスタンバとする明確な記述が確認できる。
さらにシヴァ派の経典には、『三界のすべてを支える万有の支柱であり、一房の髪に月が光り輝く至高のシヴァ神に帰依します』とシヴァ神を称えるマントラさえ存在するという。
炎のリンガはその天と地を貫くイメージ通り、巨大なスカンバそのものだったのだ。このスカンバが大宇宙の中心軸であり、リンガもまたシヴァ・リンガムの造形における車軸だったことを考えた時、これらの言葉は一層深い意味を持って迫ってくる事だろう。
聖音オームは、すべてのヒンドゥにとって重要な意味を持っているが、中でもこのシヴァ神と最も密に関わり合っている。現存するヨーガ流派の多くがシヴァ神を主神として崇めており、オームのマントラは特にヨーガの修行、中でもプラーナヤーマという呼吸法と密接に結びついているからだ。ヨーギやリシと呼ばれる修行者たちは、シヴァ神と同じようにヒマラヤの山中に結跏趺坐し、繰り返しオームを唱えて瞑想にふける。
デヴィ・シャクティ思想に立てば、シヴァが万有世界の支柱スカンバである時、それに貫かれて展開し転回する車輪世界はデヴィになる。もちろんそれは、交合するリンガとヨーニのメタファーでもある。
その視点から聖音オームを観た時、あるいはそれは、車軸なるシヴァと現象世界なる神姫シャクティが交わるところに生まれる、『愛の睦言』と捉える事も可能だろう。
『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画がヒットしてから久しいが、そもそも人は何故世界に『中心』があると発想する事が出来たのだろうか。いやそれ以前に、人は何故、『中心』という概念そのものを獲得することができたのだろうか。
宗教学者のエリアーデによれば、この世界に中心軸『アクシス・ムンディ』が存在するという思想は全ユーラシアに普遍的に存在し、その広がりの地理的中心は中央アジア周辺だという。これをスポーク式車輪の分布の拡大と重ね合わせたら何かが見えては来ないだろうか。
板を張り合わせた旧型の車輪に比べ、スポーク式車輪は高度に精巧なバランスの上に成り立っていた。そこで求められるのは何よりも厳密な中心性だった。それは高速で疾走するラタ戦車の場合にはより顕著だっただろう。もし中心がずれて力学的なひずみが溜まれば、パーツを組み上げた繊細なスポーク式車輪は、あっけなく分解してしまう。
アーリア人はそのような車輪を開発し、何よりも重要な道具として日々密接に関わりを持っていた。彼らはその製造や使用の過程で、いかに中心というものが重要であるかを強烈に意識せずにはいなかったのだ。
そして何より、この車輪はラタ戦車の威力をもって彼らの生活に革命を起こした神威の象徴でもあった。そんな彼らが、車軸を中心に回転する車輪をこの世界と重ね合わせて、この世界にも車軸に相当する中心軸(としての神)『アクシス・ムンディ』が存在するはずだと考えたのは、ごく自然な成り行きではなかっただろうか。
やがてインドにおいて、この『宇宙・世界の中心軸』というコンセプトは、もうひとつ、余りにも稀有壮大な『須弥山』の世界観を生み出すに至る。
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