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経営者から学ぶ~元サントリー会長・佐治尊三「人生はとどのつまり....。」~

半澤洋です。

大学卒業後は食品メーカーで働き、その後独立起業。
人材紹介(キャリアスタンドアップ)
グルメフェス(ふるさとグルメてらす)
ずんだ専門店ずんだらぼ
の3ブランドを展開しています。

会社員から独立するにあたり、一番壁にぶつかったのは安定を望んでしまう自分の考え方。

20代のころそういう意味でそのたくさんの経営者から学び、考え方を少しずつ変えてきました。
影響を受けた経営者の考えを少しずつnoteに書いていきます。

今回はサントリーの元会長、佐治敬三氏。
もともと就活のときから大好きな会社で、社会人になっても大好きな会社で、社員の方とも交流があり、今でも水を買うときは南アルプス天然水のみを買うという大好きぶりです。

そのサントリーを今のグローバル企業に押し上げた人物は数多くいますが、その中でも好きな人が佐治敬三氏。

日本にウィスキー文化を浸透させたサントリー。
戦後にトリスウィスキーで大ブームを起こし、オールドや山崎、響などのブランドも確立し、日本でのサントリーの地位は不動のものとなった。
一時期は独占禁止法違反で企業分割を迫られたほどだ。

そのサントリーがビールへの挑戦を決意したのは1960年。
サントリーの前身・寿屋の創業者で父である鳥居信次郎氏がかつて6年で撤退に追い込まれた事業であり、父のリベンジマッチでもあった。
その時、もらった言葉が、

「人生はとどのつまり賭けや。私は何も言わん。やってみなはれ。」


である。
この言葉はその後のサントリーの大事な精神として受け継がれる。

当時サントリーはビール事業さえつづけていれば安泰だった。
ただ、佐治は危機感を感じていた。


ウィスキー市場ではサントリーは巨人だ。
だが、酒という市場、飲料という市場から見ればまだ小さい存在にすぎない。

と。
そしてビール市場に打って出すことを決意した。

ビールは作るのも難しいが、売るのはもっと難しかった。
キリン、サッポロ、アサヒの3社が市場を独占。


「洋酒のサントリー」として営業に行けば食事までごちそうになるが、「ビールのサントリー」ではお茶も出なかった。

苦難の中、佐治は全社員に1日セールスマン作戦など多様な戦いを展開、赤字に苦しみながらも徐々にビール事業を定着させていく。

そして2008年、ついに黒字化を達成。
事業参入から実に46年目。


実現したのは佐治敬三の息子、信忠だった。

僕も新規事業の立ち上げをしながら日々この道でいいのかと経営判断に悩むことがあります。
しかし、46年から見れば軽い!

やってみなはれ精神で今日も仕事します!!!

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