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チェンマイで知る多種多様な性や愛

チェンマイの暮らしで感じた愛の種類や性について、今日は書いていく。

私はチェンマイでの生活で、いろんな人との出会いがあった。

その中で想像していなかったのが、自由な愛のかたち。

よくいくカフェでは理科教室を子供に向けて行っている先生がいるようで、紹介された。
はじめましてなので、はじめましてトークをお互いにしていると
"一人なの?パートナーは?"そう聞かれ、いないと答える私。すると彼女は
"タイの男はダメだよ、私はたくさん傷ついたから今はガールフレンドなの"とさらっと答えた。
その後、ガールフレンド登場でラブラブな二人を見せつけられる。

とあるマーケットで出会ったタイ人の男の子、日本の文化が好きで仲良くなる。
彼には二人の姉がいる、姉たちが日本人の私に興味津々とのこと。
日を設けて、日本語勉強会を開催し姉たちと彼と私で楽しく日本語。
その後に、彼らとディナー。

そのディナー時に一番上の姉のパートナー的方が登場。
性別がわかりにくい見た目。
後日、彼に聞いたら親が猛反対しているが一番上の姉のパートナーは女性で8年交際しているとのこと。

タイでは同性婚が認められていないので、ただ愛し合っていくとのこと。

田舎町のとあるカフェのオーナーは、整ったお顔立ちの彼だけど一緒に運営する相方はまたもや素敵なお顔立ちの彼。
その彼と彼は交際している。
性格は真逆だけどとってもお似合いだ。

仲良くなったタイ人の女の子、今は日本人男性と交際中。
初めて付き合ったのは女性とのこと。

ざっとあげてこんなところだ。
彼と呼ぶか彼女と呼ぶかも、迷い始める今日このごろ。

今は台湾離島の暮らし。
唯一ここでの女友達が彼女がいるって言っていて、何一つ驚くことなく話を聞いてたら、いい間違えていただけで彼氏だった。もはやどっちでもおっけいという感覚を持っていた私。

チェンマイで生活していて、
人目気にしないし常識にしばられてないと感じるがこういうところも大きいのかもしれない。

その影響あってか、
チェンマイで、出会う際に明らかに女性として見られるという感覚もあまりない。やはりそういう文化の国は、外見で性別を判断するという習慣さえも変わりつつあるのかもしれない。

しばらく様子を見て、判断していくのか。もはや性別の部分に対して、そこまで意識するべきことでもないのかもしれない。

タイ語はサワディーカーが女性、サワディーカップが男性、どちらでもない人が違う語尾を使うって聞いたこともある。

このようにチェンマイの暮らしでは、自分自身も性別をあまり意識せず暮らせていた印象がある。ただの人間の私だ。

女性だから守らなきゃみたいな、厚かましいもてなしもあまりない。

今台湾へきて、チェンマイの暮らしに比べてはわりと女性扱いを感じる。
こういう扱いを喜ぶ人もいるだろう。
しかし、私はあまり好まない性格。

こういう部分も暮らしていて、空気感で感じる不思議でもあり価値ある経験だ。

この先、チェンマイに戻って暮らす中でおそらく私も性や愛について考え方がもっと柔軟になるだろう。
そして広く奥行きを持つだろう。

縛りさえ取り払われたなら、まだ知らない愛がそこにあるかもしれない。

物心ついたときから女性か男性の二択を選びチェックする規則の中で育った私。

選択肢がそこにあるから、どちらかをみんなが選ぶ。

その選択する手続きさえもなかったら?

自分で選んでいい、何歳迄に選んで申請可能。変更も可能。

そんな世の中だったら、自分と向き合いまた新たな選択をし、それと共にもっと周りも寛容になっていくのでは?

チェンマイの魅力のひとつ、多種多様な愛の姿。

もっと現地で触れて知っていきたい。




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