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ただ日本で生まれただけ
チェンマイの生活で言われて、涙があふれるほど嬉しかった言葉について今日は書いていく。
海外生活において、滞在VISAの問題が一番大きな問題であり
その他大した問題はないように思えた。
しかし、少しずつじわじわと感じてきた心の問題。
タイ人の子と仲良くなり会話していると、すぐ日本に帰るんでしょ?という感覚でものを言われることがあり。
外国人として滞在においての問題は、現地の人は知るよしもないから
毎日のうのうと生きてて羨ましがられたり。
いや、べつにのうのうとしてませんけど
外国人なりにいろいろあるんだよ、母国の人にはまじでわかんないことあるんだってば。
そういう感情がじわじわと浮かび始めていることに気づく。
この街に住みたい。
じゃあ働けば?じゃあ結婚すれば?
仕事はフリーランスであるから働かない。
結婚はしたい時にする。
そうなると滞在の方法が容易ではない。
これも自分の選択だ。
心は、この街にこの国にずっといたい。
しかし妥協したくない点もある。
わがままと言われたら、そうかもしれない。
でも、まだ自分の納得行く道を模索しているから黙っていてくれ。
そう思いつつ、はっきりと期限や状況が伝えられない私は周りから不安定でずっとはここにいない人扱い。
これは日本を出たときと同様。
わからないモノ、理解できない状況は
もうわかってもらえない。
今ならそう割り切れる。
しかし、奮闘さなかの私はそこまで冷静に受け止められず。
わかってもらえない孤独感や、寂しさが常にどこかに隠れていた。
それは、タイ人であってもそうだし
観光などで来た日本人と会っても
羨ましいです、移住したいです
この言葉多数。
そうだろうけど、色々あるんだよって思ってもわざわざ言っても仕方ないから言わない。
とはいえ、他に向き合うべき問題が山ほどあるので
そのさまよう孤独感はさまよわせつつ日々に集中していた。
時より、一人で大泣きすることで解消していた。
そんな生活の中、とある日。
チェンマイの田舎で日本人客が多いタイ人運営の店でリラックスしていた。
そこの運営スタッフのタイ人と仲がいいので、よくご飯食べたり昼寝しに遊びの行く私。
その日も同じように、食べたあとハンモックで休憩中。
すると、その時滞在中の日本人が私の元へよってきた。
その時タイ人スタッフもそこにいた。
日本人の観光客さんは、私に興味を持ってよくある質問シリーズをしてきた。
いつも通り定型文並に答えていく。
ある程度答えると、
日本人なのに、すごい!とかそういう感じのリアクションされる、同じ日本人から。
するとそれを聞いていたスタッフのタイ人が、こう言った。
この子は、日本で生まれただけだから。
そして私達は皆笑った。
この言葉の意味は、深くないのかもしれない。
でも、私にとっては深く奥まで染み込む級。
はじめて、大好きなチェンマイの人にまるごとこのままで認めてもらえた。
そんな感覚になった。
その後も、そのタイ人は言っていた。
タイ語話せないし、日本語話してるけどマインドとか人間はタイ人と一緒だから。
生まれとか、言葉とかそういうんじゃなく
私と過ごす中で私を知ってくれて、
私自身を見てくれた上での言葉だった。
今でも思い出すと涙が出てくる。
感動も一緒に蘇る。
それほど、思う以上に国や人種が邪魔して本質的なそのものとして受け入れてもらうことが難しい現状がそこにあったんだ、ということも理解できた。
さまよっていた孤独感の正体が、その時はっきりした。
こういうもんだ、そうわかったから
次チェンマイへ戻っても
なんでわかってくれないの?
これはもう発生しないだろう。
わからなくて当然、知らなくてもいい。
時間とともにありのままを受け止めてくれる人が、一人いた。
その言葉は聞いてないけど、後に1人2人と理解してくれてる人に出会えてた。
それだけで、その存在があるだけで
心が強くなれる。
だからもう大丈夫、そう強く思っている。
ただ日本で生まれただけ、忘れられない最高の言葉をありがとう。
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