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だらだら生きましょう、またね〜

チェンマイでの生活で得た感覚について、今日は書いていく。

私は約2年間チェンマイで生活していた。

仕事はフリーランスで日本とのやり取りだったので、チェンマイの生活においては、組織に属することはなく、コミュニティに属することもなく生活していた。

積極的に友達作りをする、という考えもなかった。

以前の日本での暮らしでは、アパレル関係の仕事ということもあってか飲み会や仕事関連の付き合いの場が非常に多かった。

プライベートも仕事もごちゃまぜになり、基本人に囲まれたぎゅうぎゅうな環境だった。それはそれで楽しかった。

日本を離れ、チェンマイへ移動し
大人になってから初めて多くの関わりとの別れ。

それはある意味
"完全に私を知らない人としか出会わない"
というおもしろい体験。

その体験を気が済むまで体感したかった。

日本だと言語も通じるし、日本人同士ということもありコニュニケーションが簡単な部分が多い。
挨拶から始まり、共通点探しやら、出身地話やら。

こういうお決まりのやり取りに飽き飽きしていたところもある。

まったく生まれも育ちも違うもので、言語すらお互いの何を使ってコミュニケーションを始めたらいいのか?

こういう一歩を大切にしたかった。

市場で野菜を買う際のおばちゃんとのやり取り

ソンテウというローカルバスに乗るときの運転手さんとのやり取り

タイマッサージ店でおばちゃんとのやりとり

カフェのスタッフさんとのやり取り

チェンマイでは、場面場面でタイ語や英語やボディランゲージのみなど、時にはふざけて通じる日本語使ったりと臨機応変に下手くそながらに言語を選んで過ごしていた。

こんな生活も非常に面白かったが、
暮らしの中で貴重な素敵な出会いもあった。

それは、数少ない自分に合った友人と呼べる存在だ。

チェンマイ生活1年後くらいに出会った女性。
彼女は私と同じで、組織に属することなくチェンマイで長く暮らすすべを探す。

田舎のチェンマイでは求人が非常に少ない。さらに安月給で労働多め。

彼女は、日本語の先生も視野にいれつつ一人でフリーランスというかたちで収入を得ることも視野に入れつつ。お互いに滞在の為のビザのことも相談し合いながら、先が見えない希望と作戦をよく話していた。

ここだけ聞くと熱心に聞こえるが、私と彼女の大きな共通点はまさにここ。

"そんなに頑張りたくない"

今思うとチェンマイで出会う人々に結構共通するところが、ここ。
タイ人の地元民の方は、頑張る人ももちろんいる。

外国人移住者が多いこの街で、時たま出会う外国人と呼ばれる人々。

語学学校で出会った中国人の先生

タイ人旦那さんと宿経営する日本女性

ノマドで滞在する日本女性

一年に3.4回チェンマイが好きで訪れる日本男性

共通して持ってるマインド

"無理して、頑張りたくない"

雰囲気や口調やスピード感もそんな感じをかもし出す。

こういう人たちが最高に好きだ。

かと言って、ぐうたらな訳ではない。
いや、多少はぐうたらだ。

しかし"やりたくない"が明確にあるからこそ、できることのみにエネルギーを向けているように思える。

ある意味、そのマインドを守るために
特化した能力をどんどん磨いているのだ。

語学学校で働く中国人女性は、
多彩な言語能力と過去の仕事で培ったノウハウと人脈を生かして学校に直談判。自分の働く希望の日数を提示、それ以上は現場に行きたくない。
しかし、学校に利益を持たらせる能力があるから、それを提示し交渉。
交渉が通ったら働くというスタンス。

彼女との出会いは、私にとって非常に大きく影響を与えた。

自分らしくを貫く彼女を見て、思った。

"頑張りたくない、これ以上は働きたくない"

これは立派な理由、個性だ。

私は日本の労働基準や、働き方をベースに価値観が構築されていた。

しかし、これは自分で選ぶこともできる。創り出すことも。

それは簡単なことではない。
時に国のルールなどの弊害が存在するからだ。

しかし、能力があれば交渉が効く。
その度合いも国や地域で異なる。

この事実もチェンマイで、生活していってどんどん実感していった。

そして、その能力とは
自分では気づかないところにあったりもする。

例えば、シンプルに日本人ということが
ある場所では貴重な能力になったりもする。

こんな風にして、大好きな街で暮らすことをきっかけとして。
働き方、生き方の部分で大きく考えが変わっていった。

今は一時的に台湾で暮らし1年4ヶ月経過。

勤勉な人が圧倒的に多いこの国では、なかなか自分のマインドは話ても理解されない。

しかし、大切なのは自分自身が自分に納得いくかいなか。

チェンマイで今も自分のマインドで働く尊敬する中国人女性のように、
私もありたい自分を維持するべく意識して余白を作りまくっている。

恐らく台湾本島から、離島に移動したのも周りの環境がせかせかしてそのノイズが私には心地よくなかったからだろう。
振り返って、自分の為の選択だったということにも気づけた。

久しぶりに先日、チェンマイの友人と連絡をとった。

彼女との最後のやりとり
"じゃ、お互いだらだら生きましょう〜またね〜"

くすっと笑って、いつまでもこうありたい。改めてそう思った。






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