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「探究って目的じゃなかった」 動き出している高校生たちの鋭い気づき

こんにちは。代表理事の井上です。
先日、教育に高い関心を持ち活動をしている高校生の皆さんとの対話の機会をいただきました。
お一人おひとりの活動をはじめた動機や、感じている課題や葛藤、疑問などを伺い、私からは、Co-musubiの仕組みや活動に至る背景などをお話しました。

自分の考えを持ち言葉にすることができ、
実際に行動し、
学校が違っても想いでつながり、
葛藤に向き合い続け、
社会や他者の課題を自分ごととして捉え解決を模索していらっしゃる。

どなたも瑞々しく、眩しいくらい素敵で気持ちのいい皆さんでした。

対話の後、高校生の皆さんはさらに振り返りを兼ねて話し合ったそうです。

そして、その直後にご丁寧にそれぞれの感想を送ってくださったので、許可をいただき、このnoteでご紹介をさせていただきます。

なお実践から学ぶことも大きいので、一度、サポートをさせていただきながら、彼らにCo-musubiの小学生に向けたプログラムデザインと実施をしてもらおうと思っています。
その「創る過程」や「やってみたあと」にも、リフレクションを行い、その時々の彼らの「今」や「変化」を記録していこうと思います。

では、彼らから届いた初回対話直後の振り返りをご紹介します。
少し長くなりますが、ぜひご覧ください。

お名前掲載希望の方は、そのまま掲載しています。
探究 / 探求の表記も、いただいたまま掲載しています。

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立川高校2年 *Epala 秋葉 杏介

お話ありがとうございました。一番印象に残り、これからも考えたいと感じたテーマは「理想のコミュニティとその実現方法」です。

以下、私が思うコミュニティについて考察したいと思います。
私の理想のコミュニティは「何でも言い合えて、お互いに個人を認められる場」です。

ところが、自分たちで話し合う中で気づいたのですが、子どもは意図的に褒められた場合にそれを察知する能力があります。
というより、尊敬していない人間から褒められた場合に他のノイズばかりに意識が向いてしまいます。

この課題をかいくぐりながらも自分の理想だと思うコミュニティを作る為にはどうすればいいでしょうか。

自分の身の回りでは、Epala(自分のやっている探求教育活動)のグループ内が、自分が理想だと思う性質を一番多く持っています。
にもかかわらず、コミュニティ作りそのものにはあまりスタミナを割いていません。

一方、学校ではコミュニティ作りにスタミナが多分にかかる他、言いたいことも言えないストレスのかかる環境が形成されます。

これら2つのコミュニティにはどんな違いがあるのでしょうか?

一つには、全員がお互いのことを知っているか否かがあると思います。
私達のチームは5人で、立ち上げ前からもう一年近く一緒にいる仲なので、概ね誰が何を考えているのか予想が出来ます。
私達のチームは今後、メンバーの増員を考えていますが、もし行った時に現在と同じ質のコミュニティを作れるかというとかなり不安な部分があります。
誰かが自分をstrangerだと感じ、また誰かが誰かをstrangerだと感じた時点でコミュニティに歪みができます。

流動性があり且つ大人数のコミュニティで、この課題をクリア出来るかどうかが良いコミュニティを作れるかどうかのポイントだと感じます。

どう達成し得るでしょうか?
その解決策としての「探究」があると思います。
自分で考え、他人と共有し、意見をぶつけ合う。
この過程で、人間は相手と対等であるという共生感を得ます。

今までの私達は、探求が目的になっている部分がありました。
しかし、今回のお話を通して「手段としての探求」を深く考察できるきっかけになりました。今回は本当にありがとうございました。

*Epalaとは
学校の探求の授業の失敗を活かし、探究活動を通して子どもたちの新たな発見に貢献し、学校では教わらない学びの楽しさを教える取り組みをしていきたいと活動している高校生たちの団体。
twitter ▷ https://twitter.com/Epala18


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立川高校2年 Epala 小杉みどり

お忙しい中、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!!
自分にとって、とても濃厚な時間となり、本当に楽しく、勉強になりました。
特に私が衝撃を受けたのは、途中で見せて頂いた子供たちの授業博覧会の映像です。
自分ではあのように他者を想った授業は展開できないと思います。
また、発表する人だけでなく聞いてる人達も真剣に聞いて、自分なりに咀嚼した上で感想や質問が出来る、ということがどれだけ難しいことか。
高校生という立場で毎日痛感しているので、本当に驚きました。
自分の気になることを自分だけで終わらせずしっかりと共有する、人の意見も受け入れる、という循環が好きでした。
また、個人的な話にはなりますが、最初に自分を否定してハードルを下げてから話し始めるのはやめようと思います!!
自分がやりたいことは具体的にはまだハッキリしていないのですが、今回お話を伺って沢山のことを考え直す必要があり、まだまだ考える余地があることを改めて気づくことができました。
自分でもチームでも考え続けて行きたいと思います。本当にありがとうございました。


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立川高校2年 Epala 佐藤幸輝

この度はお話ありがとうございました。
井上さんの語られた教育方法は、私にとってとても魅力的でした。
特に、目指すところは子ども達の「精神的な自立」(創造的に学ぶ中で生まれた根拠のない自信をもとに失敗を恐れずに行動と内省を繰り返しながら人生を歩む)とおっしゃっており、私の言葉にできてなかったところに言葉を与えてくれた気がしました。

私はCo-musubiの話を拝聴して、私たちにとっての探求の位置づけの認識の甘さを感じました。
私たちの活動は探求をすることが目的になっていて、『将来子供たちにどんな人間になって欲しいのか』という部分にフォーカスしていませんでした。
単に、自分らが受けてきた教育へのアンチテーゼをしている気がします。
だとしたら、私たちにとって『子ども達の将来像』とは何なのか。
『探求』とは何なのか。
この2つの疑問にぶつかります。
これらは今後、Epalaの5人で向き合っていかなければならないテーマですが、まずは自分の考えを言葉にしようと思います。

私の目指したい社会は、「幸せを循環できる社会」です。
子どもたちが自分のやりたいことを見つけ、その世界に飛び込む。
飛び込んだ先に自信が生まれ、子どもたちが精神的に自立し(自分でやりたいことを見つけ、自分で行動を起こす)自らの人生を自分で作っていく。
私は、自らの人生を自分で作ることを幸せだと思っています。そして、自分のやりたいことができる幸せをさらに他の人に伝える。これによって社会に幸せの循環が生まれると思います。
ですから私の願う『子ども達の将来像』は、やりたいことを自分で見つけられる人です。
とは言っても、「子ども達はどうやってやりたいことを見つけるのか。」と突っ込まれると、まだ「ん、んっ?」と私自身で分からなくなりますので、まだ詰めていく必要があります。

探求とは自分のやりたいことを見つけるための手段であり、やりたいことの世界へ飛び込むための手段であると思います。
探求のテーマは、自分が本当にやりたいこと・楽しめることでなければ継続できません。
つまり、自分が本当に楽しめるテーマを見つけることは、自分の軸を見つけることと同意です。
そうすると私は『探求』という手段を使って、子ども達が自分と向き合う時間を作りたいのだと思います。
そう簡単に探求のテーマというものは見つかりませんので、結局どうしたら子ども達はテーマを見つけられるのか・自分と向き合うのかは全然見えてきません。ここに関しても、もっと時間をかけて考えていきます。

今回、井上さんから学んだ最大のことは「悩んでいいんだよ。」ということ。それと同時に悩むことは苦しく、時間もかかることだということ。
私がこの半年間悩んで、なんとか構想したものを言語化してみました。
抜けも多く伝わらない部分も今はあると思いますが、自分自身がもっと悩み抜いて、Epalaのみんなと意見をぶつけ合いながら切磋琢磨し、より深めていきます。

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Epalaメンバー

お話ありがとうございました。
お互いがなんでも言い合い、助け合えるコミュニティづくりの大切さや、これからの経済、教育のあり方などの井上さんの考え方は、私が日々感じながらもはっきりと言葉にはしたことの無いものばかりでした。
私は、井上さんのように軸を持ち、自分の理想をとくことができるほどの知識も経験も持ってはいませんが、その分、活力と柔軟な考えを持って色んなことに飛び込んでいきます!
今自分が子どもたちに何を学んでほしいのか、自分の中にはまだどの言葉をとってもグッとくるものがなかったので、井上さんの話を血肉にしてまずは決意だけさせていただきました。本当にありがとうございました!


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Epala メンバー

この度は貴重なお話をして頂きありがとうございました。

私は最初の自己紹介で、今の教育と探究の組み合わせが出来るのかどうかが分からないとお伝えしました。
Epalaでの活動が始まり、少ない数ではありますが今までよりも教育のことを考える機会が増えました。
今までの教育が長いこと変わらなかった理由は、この形が最善であるから、と思われてきたからだと思います。
その教育を私の様な高校生が変えていいのか不安でした。
ですが今回のお話を聞いて、教育の理由は何も子どもの学力を向上させるためだけのものではないと改めて思えました。

小学生の内に周りの顔色を見てしまうせいで、自分の意見を高校生になっても言えない人が多いなと感じます。
自分の意見を他者に伝えられるようになるためには、今回お話で聞いたように「コミュニティ」 が大事であると思いました。
コミュニティによって子どもたちの本音を引き出し、自分で考えたことをそのまま伝えられる様になることを目標に、今後の活動をしていきたいです。再度になりますが、この度はありがとうございました。

============ここまで

きっと、高校生の皆さんの振り返りの話し合いの中で、
・探究は目的ではなく手段だ
という気付きや、
・安心安全な場としてのコミュニティが果たす役割の重要性
が話し合われ、
・高次の目的は何なのか?
と、自分たちの根っこを見つめ考える視点の獲得ができたのかなと、いただいた感想を読んで感じました。

どなたも意欲が高く前向きで、元気をもらえますね。

年齢関係なく、共感しあい高めあえる同志の輪がつながったり循環していくことは、私たちがずっと願っていたことです。
本当にありがたいご縁だと思っています。

こちらこそ、ありがとうございました。



Co-musubiは、2021年1月に「一般社団法人ダイアローグ・ラーニング」として登記申請を行い法人化いたしました。
今後は、法人内の一事業「子ども時代からのリベラルアーツ Co-musubi」として、これまで以上に貢献していけるよう尽力してまいります。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


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